新古今和歌集の部屋

平家物語巻第十二 四 土佐坊切られの事3



 

四 とさぼうきられの事
び弓をしばり、只今よせんと出たち候。すこしもものまふで
のけしきとは、見えさぶらはずと申ければ、判官さればこそ
とて、太刀取て出給へば、しづかきせながとつてなげかけ奉
る。たかひもばかりして出給へば、馬にくらをいて、中もんの
口に引たてたり。判官是に打のり、門あけよとてあけ
させ、今や/\と待給ふ所に、夜はんばかりにとさばう、ひた
甲四五十き、そうもんのまへにをしよせて、ときをどつ
とぞつくりける。判官あぶみふんばり立あがり、大をん声
をあげて、夜討にも又ひるいくさにも、よしつねたやすう
討つべきものは、日本国にはおぼえぬ物をとて、はせまはり
給へば、馬にあくられしとや思ひけん、みな中をあけてぞ
とをしける。去程にいせの三らよしもり、おうしうの佐藤
四ら兵衛ただのぶ、えだの源蔵くま井太ら、むさしばう
べんけいなどいふ、一人たう千兵ども、御うちに夜うち入た
りとて、あそこのしゆく所、こゝのやかたより、はせきたる
程に判官程のなく六七十きになり給ひぬ。とさばう心はた
けうよせたれ共、たすかる者はすくなう、討るゝ者ぞお
ほかりける。とさばうかなはじとや思ひけん、けうにしてくら
                                こ
まのおくへ引しりぞく。くらまは判官の故山なりければ、かの
所のほうしからめ取て、判官殿へつかはす。そうじやうが谷
といふ所にゐたりけるとかや。とさばう其日のしやうぞく
には、かちのひたゝれに、くろかはおどしのよろひきて、しゆつ
ちやうのづきんをそぎたりける。判官えんに立て、とさ坊
を大庭に引すへさせ、いかにとさばう、きしやうにははやく
もうてたるぞかしとの給へば、さん候ある事にかいて候へば、う
てゝ候と申す。判官涙をはら/\とながひて、しゆ君の命
           わたくし
をおもんじて私の命をかろんず。心ざしの程、まことに神
べうなり。わそう命をしくは、たすけてかまくらへつかはさん
は、いかにとの給へば、とさばうゐをりかしこまつて、こは口をしき
事をも宣ふものかな。たすからうと申さば、殿はたすけ給ふべ
きがかまくら殿の、法師なれ共、おのれぞねらはんずる物を
と、仰せかうぶつてしより此かた、命をば兵衛の佐殿に
奉りぬ。なじかはこたび取かへし奉るべき。只ほうをんには、
とう/\かうべをはねらえ候へと申ければ、さらばとてやがて
六条かはらへ引出ひてぞ切てんげる。ほめぬ人こそなかりけれ。
 

平家物語巻第十二
  四 土佐坊切られの事
(帯)び、弓を縛り、只今寄せんと出で立ちたち候。少しもも物詣での気色とは、見え候はず」と申ければ、判官、
「さればこそ」とて、太刀取りて出で給へば、静、着背長(きせなが)取つて投げかけ奉る。高紐ばかりして、出で給へば、馬に鞍置いて、中門の口に引き立てたり。判官、是に打乗り、
「門開けよ」とて開けさせ、今や今やと待ち給ふ所に、夜半ばかりに、土佐坊、ひた
甲四五十騎、総門の前に押し寄せて、鬨をどつとぞ作りける。判官、鐙踏ん張り、立ち上がり、大音声を上げて、
「夜討にも、又昼軍にも、義経容易う討つべき者は、日本国には覚えぬ物を」とて、馳せ回り給へば、馬にあくられしとや思ひけん、皆、中を開けてぞ通しける。
去程に、伊勢の三郎義盛、奥州の佐藤四郎兵衛忠信、江田の源蔵、熊井太郎、武蔵坊弁慶など云ふ、一人当千兵ども、御内(うち)に夜討ち入りたりとて、あそこの宿所、ここの館より、馳せ來たる程に、判官、程の無く、六七十騎に成り給ひぬ。土佐坊、心は武う寄せたれども、助かる者は少なう、討るる者ぞ多かりける。土佐坊叶わじとや思ひけん、希有にして、鞍馬の奧へ引き退く。鞍馬は、判官の故山なりければ、彼の所の法師、絡め取りて、判官殿へ遣はす。僧正(そうじやう)が谷といふ所に居たりけるとかや。
土佐坊、其日の装束には、かちの直垂に、黒革縅しの鎧着て、首丁(しゆつちやう)の頭巾をぞ着たりける。判官縁に立ちて、土佐坊を大庭に引き据へさせ、
「如何に土佐坊、起請には早くも、うてたるぞかし」と宣へば、
「さん候、ある事に書いて候へば、うてて候」と申す。判官、涙をはらはらと流ひて、
「主君の命を重んじて、私の命を軽んず。志の程、真に神妙なり。和僧、命惜しくは、助けて鎌倉へ遣はさんは、如何に」と宣へば、土佐坊、ゐをり畏まつて、
「こは口惜しき事をも宣ふものかな。助からうと申さば、殿は助け給ふべきが、鎌倉殿の、法師なれ共、おのれぞねらはんずる物を
と、仰せ被つてしよりこの方、命をば兵衛の佐殿に奉りぬ。なじかはこたび取り返し奉るべき。只、報恩には、とうとう頭部を刎ねらえ候へ」と申しければ、
「さらば」とてやがて、六条河原へ引き出ひてぞ切りてんげる。褒めぬ人こそなかりけれ。

 

※着背長 大将の着る鎧
 
※高紐 鎧の前胴の肩口についている紐
 
※首丁の頭巾 僧兵が戦場で被る頭巾
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