山本より東の方よど河へながれ入川なり。此川は
すなにてうへには水みえず。そこを水行也。
哥にもしたにかよひてなどよめり。見わた
せばと云五文字、とをく望む躰をよむ也。
みなせの里と山本の間三十町も有べし。
一 摂政太政大臣家ノ百首哥合に春曙と
いふ心をよみ侍ける 藤原家隆朝臣
摂政大政大臣とは、後京極殿なるべし。
一 霞立末の松山ほの/"\と波にはなるゝよこ雲の空
増抄云。この哥は末の松山波のこゆる古事をふ
まへてより所とする成べし。末の松山は波の越
る所なればあけぼのゝ比、よこ雲が波にわかるゝ
とみたてたり。雲と云ものは、夜はやまにかゝりて有
あけぼのに山より外へわかれたるものなれば也。
かすみたつゆくすゑと云かけて、遠望の躰
をもたせたり。ほの/"\とは朝の躰なり。
古事に男と女と此山をかけて契りしに、
波のこえけるによりて、わかれしといふことなれ
ば、その古事をおもひて、波にはなるゝとよ
めるとみえたり。かやうのよせなければ、はなるゝ
といふ詞を用たるべし。波にはなるゝ制の詞也。
頭注
末松山みちのく也。
本松中松末松
とて三所に山有
となん。
※末の松山
古今集 冬歌
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
興風
浦ちかくふりくる雪は白浪の末の松山こすかとそ見る
古今集 東歌
君をおきてあたし心をわかもたばすゑの松山浪もこえなむ
※古事に
和歌初学抄、袖中抄、色葉和難集、古今注等