小田原教懐上人打破水瓶事 付陽範阿闍
梨梅木切事
小田原と云寺に教懐聖人と云人ありけり。後には髙
野にすみけるが新しき水瓶の樣なとも思樣なるを儲て
殊に執し思けるを、縁に打捨て奥の院へ参にけり。
彼にて念誦なんどして一心に信仰しける時、此水
瓶を思出してあだに並たりつる物を人や取らむと
不審にて心一向にも非ざりければ、由なく覚て返
るやをそきと、あまだりの石たゞみの上に並て打くだき捨
てけり。私云水瓶は
金甁といえへり又横川に尊勝の阿闍梨陽範と
云ける人、目出たき紅梅を植て又無物にして、華ざ
かりには偏に此をけうじつゝ、自ら人のをるをもことに惜
みさいなみける程に、いかゞ思けん弟子なんども外へ行て
人も無りけるひまに心もなき小法師の獨り有けるを
よびて、よきや有るもてこよと云て此梅の木を土きは
より切て、上に砂打散して跡形なくて居たり。弟子
歸て驚き怪みて故を問ければ、唯由し無ればとぞ
答ける。此等は皆執をとゞめる事を恐ける也。教
懐も陽範も倶に往生を遂たる人なるべし。實に假の
家にふけりて長き闇に迷事、誰かは愚なりと思はざ
るべき。然れども世々生々に煩悩のつぶねやつことなり
ける習の悲しさは知ながら、我も人もゑ思ひ捨てぬ
なるべし。
※小田原と云寺 久世にあった興福寺の別所。
※教懐聖人 藤原教行の子。興福寺で出家し、小田原で庵居して、後に高野山に移った。高野山の念仏聖の祖として仰がれた。寛治七年(1093年)没。93歳。
※奥の院 高野山の空海入定の聖地。
※陽範 伝未詳