ぐそくし奉て候へ共山のあなたまでは、かまくら殿の御心
中も、はかりがたう候へば、あふみの国にて、うしなひ參らせ
たるよし、ひろう仕り候はん。一ごうしよかんの御身なれば、
たれ申共かなはせ給ひ候はじと申されければ、わが君とかう
の返事にもぬび給はず。さい藤五、齋藤六をめして、宣ひける
は、あなかしこなんぢら、都へのぼり、我道にてきられたり
など申べからず。そのゆへは、つゐにはかくれ有まじけれ共
まさしう此有樣をきゝ給ひてなげきかなしみ給はゞ、
後世のさはり共ならんずるぞ。かまくらまでおくりつけ、
のぼえりたる由申べしと宣へば、二人の者共涙をはら/\
さいとう
とながす。やゝ有て斎藤五、涙をおさへて申けるは、君の神に
も仏にも、ならせ給ひなん後、命いきて二たび都へ帰りの
ぼるべし共存候はずとて、又涙をおさへてふしにけり。若君
今はかうと見えし時、御くしのかたにかゝりけるを、ちいさうう
つくしき御手をもつて、前へかきこさせ給ふを、しゆごのぶし
共見參らせて、あないとおし。いまがた御心のましますぞや
とて、みなよろひの袖をぞぬらしける。其後わか君にしに
向て手を合せ、かうしやうに、念佛十ねんとなへさせ給ひ
つゝ、くびをのべてぞまたれける。かのゝくどう三らちかとしき
り手にえらまれ、たちをひきそばめ、たのかたより、若君
の御うしろへ立まはり、すでにきらんとしけるが、めもくれ
心もきへはてゝ、いづくにかたなを打つくべし共おぼえず。前
後ふかくに覚えければ、つかまつ共存候はず。他人に仰せ付
られ候へとて、たちをすてゝそのきにける。きらばあれきれ
是きれとて、きり手をえらぬ所に、こゝにすみぞめの衣
きたりける僧一人、月げなる馬にのつて、むちをうちてぞ
はせたりける。其へんの者共、あないとをし。あの松原の中
にて、世にうつくしきわか君を、北でう殿の只今、きり奉
らるゝぞやとて、もの共ひし/\とはしりあつまりければ
此僧心もとなさに、むちをあげてまねきけるが、猶もおぼ
つかなきにきたるかさをぬいで、さしあげてぞまねきける。
北でうしさい有とてまつ処に、此僧程なくはせきたり。急ぎ
馬よりとんでおり、わか君こひうけ奉たり。かまくら殿の御
げう書、是に有とて取出す。北でう是をひらいてみるに、誠
や小松の三位の中将、これもりの子そく、六代御前たづね出
されて候。然るを高をの聖、もんがくばうのしばしとひうけふと
ほうでう
候。うたがひをなさず預けられうべし北条四ら殿へ。頼朝とあ
そばひて御はん有。北でうをし返し/\、二三返よぶでし
むへう/\とて、さしをかれければ、さい藤五斎藤六はいふに及ず
北でうの家の子郎等共も、皆よろこびの涙をぞながしける。
平家物語巻第十二
六 六代の事
六 六代の事
具足し奉て候へども、山の彼方(あなた)までは、鎌倉殿の御心中も、計り難う候へば、近江の国にて、失ひ參らせたる由、披露仕り候はん。一業(ごう)所感の御身なれば、誰申すとも、叶はせ給ひ候はじ」と申されければ、わが君とかうの返事にも、ぬび給はず。斎藤斎藤五、斎藤六を召して、宣ひけるは、
「あなかしこ、汝ら、都へ上り、我が道にて切られたりなど申べからず。その故は、終には隠れ有るまじけれども、まさしうこの有樣を聞き給ひて歎き悲しみ給はば、後世の障りともならんずるぞ。鎌倉まで送り付け、のぼえりたる由申べし」と宣へば、二人の者ども、涙をはらはらと流す。やや有りて、斎藤五、涙を抑へて申しけるは、
「君の神にも仏にも、成らせ給ひなん後、命生きて二度都へ帰り上るべしとも、存じ候はず」とて、又涙を抑へて伏しにけり。若君、今はかうと見えし時、御髪(ぐし)の肩に懸かりけるを、小さう美しき御手を持つて、前へ掻き越させ給ふを、守護の武士ども見參らせて、
「あな愛おし。今がた御心のましますぞや」とて、皆鎧の袖をぞ濡らしける。その後、若君西に向て手を合せ、かうしやうに、念佛十念唱へさせ給ひつつ、首を延べてぞ待たれける。狩野工藤三郎親俊(ちかとし)切り手に選まれ、太刀を引き側め、他の方より、若君の御後ろへ立ち回り、既に切らんとしけるが、目も暮れ、心も消へ果てて、いづくに刀を打つくべしども覚えず。前後不覚に覚えければ、
「つかまつとも存じ候はず。他人に仰せ付られ候へ」とて、太刀を捨ててぞ、退きにける。切らば、あれ切れ是切れとて、切り手を選ぬ所に、ここに墨染の衣着たりける僧一人、月毛なる馬に乗つて、鞭を打ちてぞ馳せたりける。その辺の者ども、
「あな愛おし。あの松原の中にて、世に美しき若君を、北条殿の只今、切り奉らるるぞや」とて、者どもひしひしと走り集まりければ、この僧、心許無さに、鞭を挙げて招きけるが、猶も覚束無きに着たる笠を脱いで、
差し上げてぞ招きける。北条、
差し上げてぞ招きける。北条、
「子細有り」とて待つ処に、この僧程無く馳せ來たり。急ぎ馬よりとんで降り、
「若君、請ひ受け奉りたり。鎌倉殿の御教(みげう)書、是に有り」とて取り出す。北条是を開いて見るに、誠や
「小松の三位の中将、維盛の子息、六代御前尋ね出されて候。然るを高雄の聖、文覚房の暫しとひ受けふと候。疑ひをなさず預けられうべし。北条四郎殿へ。頼朝」とあ
そばひて御判有り。
そばひて御判有り。
北条をし返しをし返し、二三遍よぶで神妙神妙(しむへう/\)とて、指し置かれければ、斎藤五、斎藤六は云ふに及ばず、北条の家の子郎等どもも、皆喜びの涙をぞ流しける。
※狩野工藤三郎親俊 不詳。本姓は藤原南家工藤氏流で伊豆国狩野郷の住人と思われる。