中納言家持 かさゝぎのわたせる橋にをく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける 百人一首拾穂抄北村季吟天和元年霜月冬至日中納言家持延暦二年七月十九日任中納言万葉ノ勸物ニ云〈仙覚法師ノ説〉大伴宿禰家持。大納言贈二位安麿孫大納言旅人子。〈御抄拾芥抄作者部類等ノ説同之〉延暦四年八月ニ薨ス云云。〈猶袋草子ニ委。〉大伴ノ姓ハ者天智天皇孫。大友ノ皇子ノ子与多王大伴ノ姓を給ふよし紹運録にあり。安麿は与多王ノ孫也。拾芥抄ニ云。万葉集廿巻。京中納言〈定家卿〉抄ニ云。撰者無慥説世継物語ニ云。万葉集者高野〈孝謙〉御時。諸兄大臣奉之ヲ云云。但件集橘ノ大臣薨之後ノ歌多ク書之ヲ似タリ家持卿之所ニ註ス尤以テ不審ナリ云云〈諸兄ノ死後家持撰びつき給ふ由仙覚抄ニアリ〉かさゝぎのわたせる橋にをく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける新古今冬題しらず云云。家持集には夜は更にけり云云。かさゝぎの橋とは、淮南子ニ云ク。烏鵲填テ河ニ成テ橋ヲ...百人一首拾穂抄かささぎの渡せる橋