軒端の梅 玉葉 建久三年二月 後白河院所領処分
玉葉 建久三年二月 十七日辛庚申晴。晩に及び院に參る。昨夜殊夜の外辛苦し給ふと云々。その後落居すと雖も猶快からずと云々。右大臣《兼雅》に謁す。密に御処分の事を語る。北面の下臈等競...
軒端の梅 玉葉 建久三年五月一日 大炊御門殿明け渡し要求
玉葉 建久三年五月 一日壬申雨降る。…略… 前齋院(式子内親王)この亭に渡らるべし《法皇の処分によるなり》と云々。仍つて兼親を以て使となし、...
源平盛衰記 養和の飢饉
源平盛衰記 於巻 第二十七太神宮祭文東國討手帰洛附天下餓死事…略…。去程に去年諸國七道の合戦、諸寺諸山の破滅も猿事にて...
軒端の梅 家長日記 後鳥羽院大炊御門殿で譲位
正月になりぬ。御位ゆずり申させ給ひて大炊の御門の前齋院の御所に移り住ませ給ふ。いまだほ...
源平盛衰記 安元の大火
源平盛衰記 巻第四 京中焼失事 四月廿八日亥刻に、樋口、富小路より燒亡あり。是は…略…燒にけり。折節巽...
軒端の梅 吉田経房 吉田亭蹟の推定
花洛名勝図会 神楽岡 俗に吉田山といふ。黒谷の北西にありたり。 卜部家齋場所 右同所にあ...
冷泉為広筆 月影の宿
見る人の心は のみ 空にあくが すめる れて月 宿かな の影 ...
春歌上 余寒 筆者不明掛軸コレクション
新古今和歌集 巻第一 春歌上 家歌合 後亰極攝政 そらは猶かすみも やらずかぜさえて 雪げにくもる はるのよの ...
秋歌上 浦の苫屋の秋の夕暮 筆者不明コレクション
藤原定家 朝臣浦の 見わたせは 苫屋の 花も紅葉も 秋の 夕暮 ...
墨染寺 今年ばかりは
墨染桜御衣黄(ギョイコウ) 古今和歌集 巻第十六哀傷歌 堀川のおほきおほいまうちぎみ身...