やはり番組の会話なのかとなるのですが、下記の要約はどうなんですかね?
・山田孝之が17日の「まつもtoなかい」でフジテレビにクレームを入れた
・4回ほど傷つけられることがあり、「4回目が前回ここに出たとき」と言及
・韓国ドラマについての会話があったが「編集に悪意がある」として説明した
文字起こしでニュアンスが減るのを読んで分かりそうな物なのに何故か記事にしてしまい更に要約してしまったのを見ると下記の点で印象が悪いのかと感じました。
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これらは普通は言わないし、言えばそれ相当の事態です。
つまり、これを放送する時点で茶番のような話なのでしょうけど、映像や音声のニュアンスがなくなると何か険悪なムードが漂います。
気を衒うのもいい加減にしないと変な誤解を視聴者やネットに植え付ける事になります。
最近、アンミカさんの話でイメージとして番組が付けたシーンが独り歩きして密入国みたいな話をするような事に使用されていたようです。
詳しくない後からまた聞きした人が騙されそうな話です。
幾ら本人が否定してもネットの誤解、風評被害は減らないようです。
番組のビデオを見ても話が通じていないような点があります。
難しいのは松本人志さんの流れは他の番組でもそうですが、実は一般の人相手には難しいニュアンスを含有していたりします。
笑いのセンスがないと埋まらないような会話の機微があって特に関東の方からすると理解出来たり出来なかったりします。
その上、その会話自体も関西人特有の雰囲気やお洒落でないと成立しません。
中居正広さんの会話は相手を慮るのですがそれでも不機嫌ならそう言う演技も含めてテレビです。
なので二人の遣り取りが上手くいっていればまだ救いようが有るのですが、どちらかが知らない話を続けると限界に達します。
お笑いとアイドルの噛み合わない状況に更に俳優が加われば当然ですが、本来は台本があってそれのストーリーに従って話を転がすのが過去の番組でした。
ところが、思いつきの会話や浮かんだ印象や出来事を並べるものだから理解度が低いと話が混乱します。
そんな番組で
・クレームを入れた
・傷つけられ
・編集に悪意がある
・クレームを入れた
・傷つけられ
・編集に悪意がある
とコタツ記事で書いたら、好印象よりも嫌悪感が先行してしまいそうです。
局アナが司会なら軌道修正も可能でしょうし、フリーのアナでも場数を熟していればまだ助けられるのでしょう。
それがお笑いや俳優だと上手く運んでいても悪口を書かれ易いのは内輪の会話的なムードで言って通じる事でなくても気にしない、またはそれを意識しない結果を指摘され易いのかと思っています。
お笑いやアイドルへの許容、寛容で普段ならある程度なら許されるのが三竦み状態になると互いに気にして話が混乱します。
コミュニケーションの難しさが有るのに育った環境で通じると思ったのを通そうとすれば通じなかった時の空気が重いです。
それやこれやで低視聴率などでそうでなくても批判され易いフジテレビでトーク番組を雛壇でなく円卓的な状況にすれば更に空気は重くなっても不思議ではありません。
例えば二人で話す時に向かい合うか、隣に座って話すかでは調子が違いますよね。
それの更なる緊張状態が円卓4人のでしょう。
麻雀ならゲームの方に集中して会話なんて上の空でも成り立てばよく、噛み合わなくても麻雀の事を考えていたで済むのですが。
演劇などの話ならまだ同じ事をしている仲間で話せば順繰りに相手を引き立たせても残滓にはしないのです。
それが違うジャンルで呼吸が合わないのに聞き出そうとしたり、設定そのものに無理があると普段なら使わない言葉を言う羽目になるのかと想像してはみます。
それでも理解が追いつかないのでこう言う記事を書くならネットの動画でも有るのですが説明や茶化しを入れて雰囲気を伝えないと記事になった時点で勘違いや誤解をうむような話になりがちです。
やめるべきとまで言いませんが、ちょこっとでも工夫しないと無味乾燥な感じがしてしまいます。
松本人志さんや中居正広さんの番組にないような重い空気または対立しているかのような印象は受け手に抱かせないようにしないとダメでは?
赤西仁さんが久々に出ているのを見ると余計にプレッシャーの中で会話が探り探りな感じがしていました。
スタッフが想定した内容と現実の会話が違っていたならまだ良いのですが、おそらくこれでいいと言うのなら視聴者は肩凝る事でしょうね。
せっかくの出演でも期待が膨らみ過ぎたと感じてもいいような感じに見えました。
あくまで個人的な感想にすぎません。