日本の教育を縛る「金八先生・泣き虫先生」モデル ーー教師のブラック環境が消えない「意外な難点」
学校の先生が校外学習で世間から見れていなければこんな話も通用したかもしれません。
ですが、行き帰りの交通指導にしても生徒との関係はもっと熱くないのが実情です。
それは校外ですら見えてしまいます。
と言うか子供達も昔よりは学校の方を向いていないのでしょう。
大人並みとまで言いませんが、団体生活への関心よりも自分の時間や価値観があって下手な問題行動さえもしない程度に頭が働いているように見えます。
まして大人のように人間関係の従属がないのにそんなにストレスを溜め込むのかが難しい点です。
つまり昔のドラマの頃の社会的な背景は荒廃していましたが、今どうですか?
現在の社会的な背景は不登校でもいいから自殺を選ばないでとなっています。
そしてその苦慮はあってもリモートも有るので昔よりは改善されています。
また校長や教頭、教育委員会も責任を問われる恐れから必ずしも評価される学校を目指すとは限りません。
リアリティに欠けるような話をしても本当にどうなのかと思ってしまいました。
ブラックと言う割には更に凄い事を書いているのが無茶苦茶です。
批判したくもない程度に教育学的な固まった世界の人に何を言っても通じないのでしょう。
昔のドラマが生徒と闘っていたなら、今の時代モンスターペアレントなどと闘い、PTAすらも難しいような社会です。
なのに学術論文や教育学的なモデルを述べられても残念ながらそれどころではないのが現状でしょう。
門を固く閉ざしている割に昔より気さくになった教師にとって求められる理想は高くても現実は精一杯頑張っているように思えます。
現状にマッチングした教育への要望しないとブラックな状況から離脱し辛いのでは?