
この夏のワークは何故タッチングか?タッチングとはなにか?
フィンランド人の雑誌記者2社からもタッチングについて質問されたり、エストニア人とこの夏はタッチングに始まり、終わりました。
アメリカ人とタッチングについて話しました。
タッチングによって痛みが出るのはワンダフルな過程なんだ。
痛みを解き放つということはとても素晴らしい!
肉体的な痛みだけでなくプライベートをさらけ出そうとする、探検しょうとするのと同じように。
私は自分の尊厳の生命によって立っているという。
タッチングする二人はお互いに知られたいと思っているし、我々には価値があると思っている。
信頼関係を持っている人と一緒に感じたり、シェアーしたりすることはとても素晴らしいことです。
私は聞いたことがあります。仏教の坊さんから痛みの価値のことを。
私はサイコロジーが好きだし、精神的なそれらの力はヒーリングパワーを与えることと理解したい。
ボディーワークやストレッチ、瞑想で実際に身体の痛みを共に一緒にシェアする。
ディスカスしないけれど、それらは個人の限界を越えて行く。私にはテレパシイーの力はないが。
しかし恋人同士が違う場所で時間で一緒に存在すること、神様と一緒にいることを理解しようとしていること。
時として愛はなぜ放射しないのか、愛をくれる人に愛が広がって行かないか考えることがある。
愛は選択、時々人は助けられない。しかし愛は恋人同士の中で特別なんだ。
愛とは貴重な選択権かもしれないと。
少年少女のような会話をたくさんしたり、笑ったり、本当に恋人同士が変わることをどのように楽しむことが出来るか?
自分がなりたい人間像をみつめます。
そんな時私は嘘をつきます、自分の人生についての。
その時々にたくさんの人に出会ったけれども、近ずいたという感じや、シェアーしたと言うことは嘘だ。
たくさんの人と知り合ったけれど、私が望んでいたものではなかった。
そこにはいくつかの淋しさがあった。他の人も時として感じているのではないか、そう思っている、たとえ家族でさえも。
私にとってもタッチングは孤独とは反対のことである。
それは誰かと繋がることである。
何故私がタッチングが好きなのかわかっています。
人々に欠けているものをギフトすることが出来ることデス!。