倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

宗左近著「私の縄文美術鑑賞」4 Sakon Sou Jomon books

2011-01-15 11:22:59 |  縄文心導ヒーリング
たぶん、その人の内側の奥へ、である。こころの暗いところへ、である。(これは、じつに素晴らしいことである)。
しかしその人の外側の奥へ、その人でない。一口に言って、作品をうんだ縄文人のほうへ、縄文人の精神と完成のつくる世界、ではない。(これがじつに悲しいことである)。

なぜ、なのか。
なぜなら、縄文の策分の三つか四つをあなたが見たところで、縄文のその作品をうんだ(生活の、そして芸術の)風土が浮かんでこないのだから。極端ないいかたをすれば、じつは縄文の風土は無いに等しいのだから、、、、。

まさか、とお思いのもおられるであろう。日本人の直系の先祖たちの風土が無いにひとしいなんて、そんな不思議がありえようか。

ところが、(縄文人とその作品をあわせって今後、一口に縄文とよぶことにして)縄文はまことに不思議にみちているのである。


続く

.一口メモ

朝日新聞い月12日に書かれていた山海塾の公演案内が目にとまりました。

舞踏カンパニーの山海塾がパリ市立劇場、北九州芸術劇場と共同で制作し、すでにパリで初演された新作「二つの流れ――から・み」を北九州と東京で日本初演する。「から」は身体という器、「み」はその中に宿る有形無形の細胞や魂を示す。「人体という宇宙をつぶさに、虚心に見つめてみる」と主宰の天児牛大(あまがつ・うしお)は語る。

 「人間の身体のなかみは、環境や時間といった外的要因に呼応し、絶え間なく変容する。そのミクロな宇宙に、できるところまで肉薄したい」


いまブログに書いている宗左近さんの書かれている文章に当てはまるものを「二つの流れーから、み」にかんじました。
主宰の天児牛大(あまがつ・うしお)さんは縄文に造詣ふかく、宗さんとダブルような縄文アートをかんじます。



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