ハイデルクバークプロジェクト
“タイリー・ガイトンとデトロイト”
では、まず、タイリー・ガイトンはなぜデトロイトのこの一画で創作活動を始めたのでしょうか?
その答えは、ガイトンが生まれ育ったデトロイトの今日に至るまでの歴史と切り離せません。彼が生まれた1955年の時代背景はというと、アイゼンハワーが大統領に就任したのが2年前の1953年1月。
3年続いた朝鮮戦争が終結してから2年が経過。
スターリン亡きあとのソ連との核兵器や宇宙開発をめぐる競争はさらにエスカレート。反共産主義路線のもと、米ソの冷戦続行。
文学面では、ビートジェネレーションがポピュラーとなり、音楽はロックンロール。映画といえば、ジェームス・ディーン主演の『エデンの東』が封切られたのが1955年。
やはりこの年、アラバマ州モンゴメリー市で、白人にバスの座席を譲ることを拒否した黒人女性に端を発したバスのボイコット運動が起こり、公民権運動がスタート。(この女性、ローザ・パークスさんはその後「公民権運動の母」と称えられ、デトロイトに移り住むことに
なりました。)
翌年の1956年、アイゼンハワー大統領の重要な業績の一つとされるインターステートハイウェイシステム法案が議会を通過し、国をあげてのフリーウェイ造りが本格化。
他の大都市同様、デトロイトにおけるフリーウェイの発達は、経済的に余裕のある人々(主に白人とごく一部の裕福な黒人層)は市内から住宅事情や教育環境の良い郊外へと転居し、「献身的な市民からなる少数のグループが世界を変えることができる。」
そう信じて疑わなかったのは、人類学者のマーガレット・ミードでした。
芸術を通して地域を変えよう、さらには世界中の人々にその可能性に気づいてもらおう、と地道に活動を続けているアーティストがデトロイトにいるのをご存知でしょうか。