rftgyふじこlp:今は反芻している…JP1NOM

のんべんだらりと生きてしまいましたよ。

自殺幇助

2007年10月12日 04時49分16秒 | ニュース
嘱託殺人容疑者「金欲しかった」と供述

亡くなった女性はどうやら某SNSに入っていて、たった一つ残された日記には「不安だらけだったケド…友達できると楽しい」と綴られている模様。でもそう思おうとしただけで、本心は別の場所に吐露されていたらしく孤独を訴える物だったという。

どん底にいる人は死ぬ事すらできない鬱、無気力な状態に陥る。少し上向いてくると自殺を考えたり自殺を試みる。なかなか実行出来ない人の心理は「金を払ってもいいから殺して欲しい」だ。

自殺幇助の商売は隙間産業的な意味において、資本主義的には正しい。死にたい人にとって役立つ仕事だろう。もっとも剰余価値を生み出す賃労働者を減らしたという意味において、あるいは購買人口を減らしてという意味において、正しくはないという反論もあるだろう。

仏教では殺生を禁じている。これは己を殺す事も禁じていると考えると自殺を禁じている事になる。キリスト教では自殺を禁じていないという。今当たり前のように言われている自殺の禁止は、主に労働人口確保のための規則に過ぎない。

生がその人の自由である、という事は、生の終末を決める事もその人の自由だ。病気や事故で死ぬ事が理不尽な死であるならば、自殺は道理にかなった死である。

また、自殺を手伝う事も、切腹における介錯として日本では横行していた。特別な事ではない。そういう意味でも今回の事件の倫理性を問う気にはならない。ある人の自由を全うする手助けをしたに過ぎないのだ。金が欲しくて強盗殺人を犯したのとは訳が違う。

しかし向精神薬などは法で規制されているし、嘱託殺人も法に触れる。だがもしこれが練炭の通信販売だったとしたら、どうなっていただろう?

幇助の方法を間違えた、ということは言えるかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿