ネパール君主制廃止 国王廃位、連邦共和国に
『制憲議会は28日夜、初審議を行い、立憲君主制を廃止し連邦共和制に移行することを圧倒的多数で決議した。この決議で、暫定憲法の規定が法的効力を持ち、同国は共和国となった。新たな国家元首として大統領を新設する。』
wikipediaのまとめ:
ネパールは紀元前から歴史があり、長く王政がしかれていたが、19世紀にイギリスの保護国となった。
1951年に立憲君主制を執り、その後国民主権を定めるが、90年代後半に毛沢東主義者のゲリラ戦が活発化。王族の殺害事件を経て、2005年に議会・内閣を停止し、絶対君主制に戻ったが、収拾がつかなくなり2006年に王がギブアップ。議会を復活した。
2008年四月の議会選挙で毛沢東主義者が第一党となり、連邦共和制への移行が決定した。
毛沢東主義者が中国の傀儡でなければ、平和的な革命と見て良いだろう。ただし内戦の様な状態がしばらく続いてはいたようだが。
話は変わるが、もしチベットでもこのような形で民主化が進んでいたならば、誰も文句を言わなかっただろう。どんな改革でも国民が望まない改革では意味がないし、ましてや外国のお仕着せなどもってのほかだ。それじゃぁ少なくとも民主化じゃない。
いやいや、チベットだけじゃないですよ。イラクもですよ。
石油利権の権化みたいな大統領が、西欧型民主主義を押しつけて、大失敗している。でっち上げにより大規模な戦争を仕掛けといてね。しかも親子二代にわたる念の入れようだ(笑)
なんというか、イラク攻撃を行ったアメリカと、それを支持しまくっていた国々は、中国を批判出来るのか?と言わざるを得ない。
一筋縄ではいかないのが国際政治って奴なのか…
『制憲議会は28日夜、初審議を行い、立憲君主制を廃止し連邦共和制に移行することを圧倒的多数で決議した。この決議で、暫定憲法の規定が法的効力を持ち、同国は共和国となった。新たな国家元首として大統領を新設する。』
wikipediaのまとめ:
ネパールは紀元前から歴史があり、長く王政がしかれていたが、19世紀にイギリスの保護国となった。
1951年に立憲君主制を執り、その後国民主権を定めるが、90年代後半に毛沢東主義者のゲリラ戦が活発化。王族の殺害事件を経て、2005年に議会・内閣を停止し、絶対君主制に戻ったが、収拾がつかなくなり2006年に王がギブアップ。議会を復活した。
2008年四月の議会選挙で毛沢東主義者が第一党となり、連邦共和制への移行が決定した。
毛沢東主義者が中国の傀儡でなければ、平和的な革命と見て良いだろう。ただし内戦の様な状態がしばらく続いてはいたようだが。
話は変わるが、もしチベットでもこのような形で民主化が進んでいたならば、誰も文句を言わなかっただろう。どんな改革でも国民が望まない改革では意味がないし、ましてや外国のお仕着せなどもってのほかだ。それじゃぁ少なくとも民主化じゃない。
いやいや、チベットだけじゃないですよ。イラクもですよ。
石油利権の権化みたいな大統領が、西欧型民主主義を押しつけて、大失敗している。でっち上げにより大規模な戦争を仕掛けといてね。しかも親子二代にわたる念の入れようだ(笑)
なんというか、イラク攻撃を行ったアメリカと、それを支持しまくっていた国々は、中国を批判出来るのか?と言わざるを得ない。
一筋縄ではいかないのが国際政治って奴なのか…