はじめに
今回は2〜3回に分けての公開を予定しています。
では本題です。諸事情により今回の旅行は大阪駅から始まります。
まず223系2000番台を使用した新快速で京都駅を目指します。
いよいよ約14時間にも渡る長旅が幕を開けます。
午前6時33分。列車は大阪駅を後にしました。
まだ夜明け前の東海道を列車はひた走ります。
大阪駅から約30分。乗換駅の京都駅に到着です。
早朝という事もあり駅前と駅ビル共にかなり閑散としています。
京都駅からは683系4000番台を使用した特急「サンダーバード」で一気に福井駅に向かいます。
余談ですがこの日の自由席は約7割の座席が埋まる程度でした。
(私は混雑すると予想していた為、指定席を手配していました。)
さて列車は湖西線に入ると車両の性能を存分に発揮します。
唐崎駅を過ぎると進行方向右側には琵琶湖(1枚目)が広がります。
そして敦賀駅を出ると列車は全長約13kmの北陸トンネルに入ります。
京都駅から約90分。ようやく福井駅に到着しました。
車両には先頭車両を中心に雪が付着しています。
福井駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で九頭竜湖駅に向かいます。
車体には越美北線開通50周年を記念したラッピング塗装が施されています。
(ラッピング塗装のデザインは全部で3種類存在します。)
午前9時17分。約9分遅れで福井駅を出発しました。
列車は福井駅を出ると直ぐに北陸本線の線路と分離します。
やがて車窓には山々と雪が作り出した雄大な眺めが広がります。
午前10時50分。少し遅れて終点の九頭竜湖駅に到着しました。
今回はここまでです。次回の公開範囲は未定です。
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はじめに
今回は鳥取駅から宝殿駅までの様子を中心に紹介します。
鳥取駅からは智頭急行線の車両を使用した普通列車に智頭駅まで乗車します。
車体にはスーパーはくとを思わせる塗装が施されています。
(車内はキハ120系気動車などと同様にセミクロスシートです。)
午後12時03分。薄曇りの下の鳥取駅を列車は後にします。
途中駅では暫し特急列車との交換待ち(4枚目)が行われます。
そして郡家駅を出た後に私は昼食を摂ることにしました。
アベ鳥取堂(株)から発売されている「ほかほか駅弁 鳥取牛弁当」です。
(夏に加熱式弁当というのもそれ程悪いとは思いません。)
鳥取駅から約50分程度で智頭急行線との連絡駅である智頭駅に到着します。
ここからは反対側のホームに停車している列車に急いで乗り換えます。
智頭駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車に津山駅まで乗車します。
車内は肘掛部分や化粧板を中心に少しずつ老朽化が進行しています。
やがて列車は智頭駅を後にします。
智頭駅を出て暫くすると列車は智頭急行線の線路(1枚目)と分離していきます。
(津山駅に近付くにつれて天候は薄曇りから小雨へと変わってゆきます。)
智頭駅から約1時間。因美線の終着駅である津山駅に到着しました。
ホームの端からは車庫に停車中の気動車を眺めることが出来ます。
津山駅からはキハ40系気動車を使用した普通列車で岡山駅に向かいます。
車両はかつて急行「つやま」などで運用されていたものが使用されています。
午後2時33分。列車は雨の降りしきる津山駅を後にしました。
津山駅付近では全国的にも珍しい扇型機関庫(1枚目)が存在します。
また先程まで降っていた雨も徐々に止み、再び空は薄曇りへと変わりました。
午後4時07分。約3分遅れて列車は岡山駅に到着しました。
到着後は待ち時間を利用して様々な列車を撮影します。
(同時に地域色の車両が明らかに増殖しつつあることを実感しました。)
岡山駅からは115系を使用した普通列車で網干駅に向かいます。
やはり山陽本線を走行する車両にはこの様な塗装が一番似合います。
午後4時44分。大勢の乗客を乗せた列車は岡山駅を後にしました。
東岡山駅を出ると列車は赤穂線の線路(2枚目)と分離します。
そして網干駅付近では進行方向右側に網干総合車両所が広がります。
網干駅からは221系を使用した普通列車で本旅行の最終目的地である宝殿駅に向かいます。
そこそこに長かった今回の旅行も終焉を迎えようとしています。
午後6時06分。列車は網干駅を後にしました。
刻々と夕暮れが迫る山陽路を列車は一気に駆け抜けます。
なお途中の曽根駅では大勢の高校生が乗車し、車内は一気に賑やかになりました。
そして午後6時30分。ついに本旅行の最終目的地である宝殿駅に到着しました。
そして私は自転車を漕いで家路に向かいます。
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はじめに
今回は2回に分けての公開です。
では本題です。今日、私は鳥取方面に出掛けてきました。
なお今回は嘗て無い程に悪天候(大雨や霧など)に襲われる事態に遭遇しました。
(約1週間前の天気予報では晴れると予想されていましたが見事に外れました。)
朝5時35分。今回の旅行も宝殿駅から始まります。
まだ夜明け前ということもあり駅構内は静寂さに包まれています。
まず223系2000番台を使用した普通列車で姫路駅に向かいます。
ここから約13時間にも渡る長旅が始まります。
午前5時38分。いよいよ今回の旅が幕を開けました。
まだ夜明け前の山陽路を列車は高速で疾走します。
姫路駅からは221系を使用した普通列車に乗車します。
日曜日の早朝ということもあり車内は貸切状態です。
午前5時55分。列車は姫路駅を後にしました。
姫路駅を出ると列車は山陽本線の線路と分かれ大きく左側にカーブします。
そして仁豊野駅を出ると車窓には朝焼けの空(2枚目)が広がります。
姫路駅から約1時間。播但線の電化区間の末端である寺前駅に到着しました。
寺前駅からは和田山駅までは非電化区間を走行します。
寺前駅からはキハ47系気動車を使用した普通列車で和田山駅に向かいます。
車内の中央部分にはボックスシート(3枚目)、ドア付近にはロングシートが配置されています。
午前6時40分。列車は寺前駅を後にします。
豪快にエンジン音を唸らせながら列車は生野峠を越えていきます。
そして和田山駅に近付くにつれて進行方向右側には山陰本線の線路(4枚目)が見えてきます。
寺前駅から約50分。山陰本線との接続駅である和田山駅に到着しました。
ここで飲料や雑誌など(暇潰し道具)を調達します。
ここからは223系5500番台(2両編成)を使用した普通列車に豊岡駅まで乗車します。
通学時間帯ということもあり車内には中学生や高校生の姿が目立ちます。
午前7時38分。列車は大勢の乗客を乗せて和田山駅を後にしました。
進行方向左側には住宅地、進行方向右側には山々と川の流れ(2枚目)が広がります。
単線区間でということもあり途中駅では何度か上り列車(4枚目)との交換待ちが行われます。
和田山駅から約35分。豊岡駅に到着しました。
駅舎にはコウノトリが羽ばたく姿を模したデザインが採用されています。
また駅構内には豊岡列車区が併設されています。
豊岡駅からはキハ47系を使用した快速「山陰海岸ジオライナー」で鳥取駅に向かいます。
観光列車ですが運用される車両は普通列車と全く同じです。
(欲を言えば全ての座席が海向きに設置されて欲しかったものです。)
列車は快速と銘打っていますがそれ程速度を出さずに山陰路を駆け抜けます。
餘部駅手前のトンネルを抜けると列車は眼下に日本海や集落(3・4枚目)を眺めつつ餘部橋梁の上を走ります。
そして岩見駅を出て暫くすると進行方向右側では砂丘(5枚目)を眺めることが出来ます。
豊岡駅から約2時間。ようやく鳥取駅に到着しました。
ホームが極端に長いのはかつて長距離列車が多く発着していたことを示す名残です。
(鳥取駅は国鉄分割民営化以前に現在の形となっています。)
今回はここまでです。次回は因美線と津山線の乗車時の様子を中心に紹介します。
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これは「全線乗車旅行記2012-夏編」の2日目に起こった出来事です。
この日、私はかなり早く目が覚めた為、午前6時前にホテルを後にしていました。
そしてホテルを出て食事を済ませた私は広島駅前に向かいました。
ですが時間に余裕が存在した為、広島駅前で広島電鉄の車両を撮影することにしました。
※車両によっては戦前から活躍している物も存在します。
そして15分程度、撮影を行っていると偶然にも最新型車両である5100形に遭遇しました。
この車両を見た途端、私は即「乗車しよう」と決断しました。
(これは単独旅行だから出来る技です。)
しかし遠方まで乗車すると、今後の行程に対して大きな支障を来す可能性が存在しました。
それ故に今回は約10分程度で行ける、5駅先の胡町電停まで乗車することにしました。
では外観の様子を紹介します。
車体は丸みを帯びた部分の多い、優しいデザインとなっています。
また車体側面には所々に紅葉のイラストが描かれています。
続いて車内の様子を紹介します。
先頭部分を除いて基本的に車内はロングシートで構成されています。
昇降口や通路は車椅子での移動を容易とする為、広めに設定されています。
先述の通り広島駅電停から約10分程度で胡町駅に到着します。
ここからは反対側に停車していた列車に乗車して直ぐに広島駅に向かいます。
電停で暫く待つと5000形を使用した列車がやって来ました。
この車両は元々、ドイツ製であった車両を日本向け仕様に変更した車両です。
では車内の様子をご紹介します。
車内は5100形と異なりボックスシートを中心に配置されています。
また座席はかなり派手な模様をした物が採用されています。
やがて列車は胡町電停を後にしました。
列車は道路上を走行する為、バスや自動車と並走しながら走行します。
(バスと異なり車体の揺れも殆ど無く、非常に快適です。)
胡町駅から約10分。終点の広島駅に到着しました。
ここからは広島駅の改札口に向かい、普通列車で岩国駅に向かいました。
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前回は小野田線の乗車を中心にした内容をご紹介しました。
そして今回は下関駅~姫路駅までの様子を中心にご紹介します。
門司駅で広告など収集した私は足早に下関駅に戻ることとしました。
行きの列車と同様に415系を使用した普通列車に乗車します。
午前9時20分。列車は門司駅を後にしました。
列車は門司港方面の線路が見えなくなると徐々に関門トンネルに差し掛かります。
(余談ですがトンネル内は地下鉄並みに騒音が激しい為、出来ることは限定されます。 )
下関駅に到着後は反対側に停車していた115系(2両編成)に乗り換えて新下関駅に向かいます。
編成が僅か2両というのがどうも味気なさを感じさせます。
(…。)
午前9時30分。列車は下関駅を後にしました。
列車は幡生駅で下関総合車両所を眺めた後に新下関駅に到着します。
そして下関駅から僅か10分程度で新下関駅に到着します。
新下関駅のホームの端からは100系新幹線の姿を眺めることが出来ます。
新下関駅からはキハ47系気動車を改造した観光列車である「みすゞ潮騒」で仙崎駅に向かいます。
指定席車両の側面窓は八角形や階段状の物が採用されるなど遊び心に溢れています。
また先頭部分にはヘッドマークが描かれています。
それでは指定席車両の車内の様子をご紹介します。
全ての座席が海側を向いていますが、山側の座席は嵩上げが施されていません。
そして改造車であるが故に、窓割りが極端に一致していない座席が幾つか存在します。
午前9時59分。列車は仙崎駅に向かって程良い速さで走り始めました。
列車は幡生駅を出ると山陽本線の線路と分離して山陰本線の線路に入ります。
ちなみに山陰本線内では、区間によっては眺めを存分に味わえる様に列車は一時停止します。
仙崎駅から約2時間半。終点の仙崎駅に到着しました。
駅舎は一見、木造風に見えますが実際は鉄筋コンクリート製です。
ホームの更に先には錆びた線路と共に車止めが存在します。
仙崎駅で食事を済ませた後、私は「金子みすゞ記念館」に向かうことにしました。
建物の2階部分の一部には、金子みすゞの住んでいた部屋を再現した部屋が存在します。
(1階部分には博物館と思われる建物が別館として設けられています。)
さて金子みすゞ記念館から5分程度歩くと「プロジェクトM20000」と呼ばれる展示館(!?)に到着します。
壁面には様々な文字やイラストの描かれた蒲鉾板が隙間無く並べられています。
これらの蒲鉾板にはブラックライトに反応する塗料で描かれた鰯の群れが映し出されます。
観光を終えた私は仙崎駅に戻って路線バスで長門市駅に向かいます。
長門市駅の駅前には蒸気機関車の車輪を使用したと思われるオブジェが設置されています。
長門市駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で厚狭駅に向かいます。
同時に約2年前の集中豪雨で被害を受けた美祢線の今を観察しました。
やがて列車は長門市駅を後にします。
列車は50分程度走ると、最も被害を受けた厚保駅~湯野峠駅駅間に差し掛かります。
この区間は盛土が崩壊したり橋脚が流されましたが、現在はほぼ何事も無かったかの様に復旧しています。
長門市駅から約1時間。美祢線の終着駅である厚狭駅に到着しました。
在来線側の駅舎は新幹線側もの物と異なり比較的、小さい物が採用されています。
また駅前には地元の英雄とされている寝太郎の銅像が設置されています。
厚狭駅からは115系(2両編成)を使用した普通列車で乗換駅の新山口駅に向かいました。
反対側の先頭車は中間車を改造したものが連結されています。
午後16時55分。列車は新山口駅に向かって走り出しました。
車内は2両編成であることも関係してか少々混雑していました。
新山口駅からは地域色の115系を使用した普通列車で広島駅に向かいます。
ここから約3時間にも渡る長時間の乗車が始まります。
午後5時38分。列車は新山口駅を出発しました。
車窓には時折ですが進行方向右側に瀬戸内海が広がります。
そして広島駅に近付くにつれて、車窓には徐々に夜の灯りが広がっていきます。
(移動中は記事の原稿を書いたり文庫本を読んだりしていました。)
新山口駅から約3時間。ようやく広島駅に到着しました。
ついに山陽本線を全線制覇しました。
そして広島駅からは山陽新幹線を使用して一気に姫路駅に向かいます。
流石は新幹線です。在来線で何時間も要する距離を僅か1時間程度でブッ飛ばします。
(座席の写真は約1年前に撮影した物を流用しています。)
午後9時50分。姫路駅に到着しました。
こここらは普通列車に乗り換えて宝殿駅に向かいました。
(割愛します。)
最後に今回の旅行記(1日目~3日目)の結果を紹介します。
・新規走破路線…吉備線、芸備線、岩徳線、小野田線、美祢線、山陽本線
・新規乗車距離…602.6km
・乗車達成率…22.819%→25.835%
(JR6社管内)
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はじめに
・今回は2回に分けて3日目の様子を紹介します。
朝5時50分。私は下関駅の6番線ホームに向かいます。
今日は下関駅~宝殿駅まで約16時間の長旅です。
まず地域色の115系を使用した普通列車で小野田駅に向かいます。
車内は夏休み期間中ということもあり、かなり空席が目立っています。
(…。)
午前6時00分。列車は定刻通り下関駅を出発しました。
夜が明けて間もない山陽路を列車は比較的速い速度で駆け抜けます。
下関駅から約40分。乗換駅の小野田駅に到着しました。
123系を使用した普通列車で小野田線の雀田駅に向かいます。
(この車両は荷物車を改造することによって誕生しました。)
午後6時42分。列車は小野田駅を後にします。
列車はかつて小野田セメント[株]が栄えていた頃の面影を残す街中を走ります。
また途中駅でも乗客の乗り降りはありますが「殆ど無い」と言って良い程度でした。
小野田駅から約15分。雀田駅に到着しました。
ここからは小野田線の支線である本山支線に乗車します。
午前6時59分。列車は雀田駅を後にしました。
雀田駅を出ると直ぐに進行方向右側の本線と枝分かれします。
そして途中の浜河内駅では誰も乗客を乗せずに駅を後にしました。
(乗客は私を含めて僅か2人でした。)
雀田駅から約5分。本山支線の終着駅である長門本山駅に到着しました。
長門本山駅は1日当たりの列車本数が僅か3本と極端に少ないことで有名です。
かつては駅舎が存在しましたが、現在はホームと待合室が残るのみです。
そして午前7時38分発の折り返し列車で小野田線の終点である居能駅に向かいます。
長門本山駅を発車した時点での乗客は私を含めて10人程度でした。
やがて列車は長門本山駅を後にします。
途中の雀田駅では、中学生と思われる乗客を10人程度乗せて駅を後にします。
(車内を見渡す限り乗客は学生や高齢者が殆どでした。)
長門本山駅から約30分。小野田線の終点である居能駅に到着しました。
居能駅からは105系を使用した普通列車で山陽本線の接続駅である宇部駅に向かいます。
乗客は先程の普通列車からの乗り換え客が大半でした。
午前8時05分。列車は居能駅を後にしました。
列車は駅を出ると直ぐに小野田線の線路と分岐します。
そして居能駅から僅か10分程度で宇部駅に到着します。
宇部駅からは先程と全く同じ105系を使用した普通列車で下関駅に向かいます。
車内は全てロングシートで構成されています。
(故に座席に座った状態ではあまり景色は見えません。)
午前8時18分。列車は下関駅に向かって走り出しました。
車窓からは海は殆ど見えず、基本的に山々や田畑のみが広がります。
また新下関駅付近には、何故か引退したはずの100系新幹線が停車していました。
宇部駅から約30分。出発駅であった下関駅に戻ってきました。
ここからは415系を使用した普通列車で山陽本線の終着駅である門司駅に向かいます。
やがて列車は下関駅を後にしました。
駅を出て暫くすると進行方向右側には車両基地が広がります。
そして車両基地を過ぎると直ぐに列車は関門トンネルに入ります。
ちなみに門司駅の手前では架線からの供給電力が直流から交流に切り替わります。
セクション区間(直流区間と交流区間の間に設けられた非電化区間)では蛍光灯が消えます(1枚目)。
そして使用電力が切り替わると再び蛍光灯が点灯(2枚目)します。
そして下関駅から僅か10分程度で門司駅に到着しました。
今回はここまでです。次回は門司駅から宝殿駅までの様子を紹介します。
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昨日の疲労が抜けない中、今日は広島駅から下関駅までを移動してきました。
かつて無い程に猛烈な過酷さを感じた2日目の様子を紹介します。
朝7時20分。ある事を終えた私は広島駅にいました。
(詳細は後日発表します。)
この時点ではまだそれほど今日が過酷な1日となる事に対して実感がありませんでした。
初めに瀬戸内色の113系を使用した普通列車で岩国駅に向かいます。
通勤時間帯である事に加えて編成が4両の為、車内は結構混雑しています。
午前7時24分。2日目の旅が幕を開けました。
列車はモーター音を唸らせながら山陽路を疾走します。
途中の宮島口駅を出ると進行方向左側には瀬戸内海が広がります。
広島駅から約1時間。乗換駅の岩国駅に到着しました。
ここで大量の飲料と菓子を購入します。
岩国駅からは錦川鉄道清流線の列車に乗車して終着駅の錦町駅に向かいます。
(途中の川西駅までは岩徳線の線路を走行します。)
では車内の様子をご紹介します。
転換式クロスシートが枕木と平行方向に配置されています。
各窓側には折畳式のテーブル(3枚目++)が設置されています。
さて列車は川西駅を出てトンネルを潜ると岩徳線の線路と分離します。
分岐点を過ぎると列車は一気に速度を上げて快走します。
御庄駅を出ると進行方向右側には錦川の清流が広がります。
特に景色の優れた場所では、景色をのんびり眺められる様、列車は徐行運転または一時停車します。
(この日は快晴ということもあり眺めも文句なしです。)
岩国駅から約70分。終点の錦町駅に到着しました。
駅構内には車庫と給油設備が設けられています。
ちなみに改札手前にはJR線連絡の切符を購入できる券売機が存在します。
錦町駅からは岩日線の未成線を利用して誕生した「とことこトレイン」に乗車します。
ここから終点の雙津峡温泉駅まで約40分の観光です。
この路線の最大の魅力は錦町駅手前側のトンネル内に存在します。
ブラックライトの光を特殊な石の集まりに当てることで様々なイラストが現れます。
(トンネル内は写真撮影の為に1回のみ数分間停車します。)
終着駅の雙津峡温泉に到着しました。
ここから先程の折り返し便で錦町駅に戻ります。(割愛します。)
錦町駅からは先程と全く同じ車両で御庄駅に向かいます。
相変わらず車内には10人程度しか乗客は乗っていません。
午後0時24分。列車は錦町駅を後にしました。
行きの列車と同様に進行方向左側には錦川の清流が広がります。
錦町駅から約1時間。御庄駅に到着しました。
写真でも分かる様に御庄駅は山陽新幹線の新岩国駅との接続駅でもあります。
(乗継時間も比較的、考慮されている方です。)
御庄駅と新岩国駅は連絡通路を使用することで行き来することが出来ます。
5分程度歩くと、ようやく新岩国駅の駅構内に到着します。
御庄駅からは路線バスに乗って錦帯橋に向かいます。
ここでは下側(川岸)と上側(展望デッキ)の両方から撮影を行いました。
その後はその場から逃げ去る様に喫茶店へ直行しました。
そして再び路線バスに乗車して西岩国駅に向かいます。
西岩国駅はその特徴的なデザインと歴史的価値などから国の有形文化財に指定されています。
かつては岩国駅という名前でしたが、現在の岩国駅が誕生すると西岩国駅に改名されました。
(岩徳線は山陽本線の旧線でもあります。)
西岩国駅からはキハ47系気動車を使用した普通列車で徳山駅に向かいます。
後ろ側の車両の塗装は広島色です。
僅かな乗客を乗せて列車は西岩国駅を後にしました。
列車はかつて山陽本線であった線路をのんびりとした速さで駆け抜けます。
やがて徳山駅が近づくと、現在の山陽本線の線路と合流します。
西岩国駅から約90分。最後の乗換駅の徳山駅に乗車しました。
ここからは113系を使用した普通列車で、2日目の最終目的地である下関駅に向かいます。
午後6時02分。列車は徳山駅を出発しました。
途中の新山口駅では乗客が一気に下車し、車内はかなり空席が目立つ様になりました。
(不覚にも「これではいつ減便されても仕方ない」と思ってしまいました。)
広島駅から約12時間。本日の最終目的地である下関駅に到着しました。
かつて下関駅は長距離夜行列車の機関車交換などで賑わいを見せていました。
しかし現在は普通列車のみが発着するという、全盛期から見れば少々寂しい光景が広がっています。
ちなみに今日もあるビジネスホテルの部屋でこの記事を書いています。
明日は今日以上に負担がかかる行程にはならないと信じます。
(夕食は河豚を中心とした懐石料理でした。)
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今日、私は1日目の全線乗車旅行記を行っていました。
今回は宝殿駅から広島駅までの様子を紹介します。
なお通常では数回に分けて公開している旅行記を今回は1回で公開します。
(故に記事内で使用する画像数・文章量は恐らく過去最大だと思います。)
朝7時30分。今回の旅は宝殿駅から始まります。
これから約12時間にも渡る長い旅が幕を開けます。
(工程を大幅に変更しています。)
宝殿駅からは223系を使用した普通列車で姫路駅に向かいます。
夏休みですが平日ということもあり車内は少々混雑しています。
いよいよ今回の旅が幕を開けます。
ひめじ別所駅付近からは貨物駅が進行方向左側に見えてきます。
また御着駅付近では新幹線用の保線車両の基地が見えます。
宝殿駅から約10分。姫路駅に到着しました。
旅はまだまだ続きます。
姫路駅からは113系を使用した普通列車に乗車します。
転換式クロスシートが枕木と並行方向に配置されています。
改造時期が車種によって異なる為、基本的に内装はバラバラです。
やがて列車は駅を後にします。
列車は姫路駅を出ると直ぐに姫新線や新幹線と分かれます。
そして途中の相生駅を出ると車窓には今まで以上に車窓には田園や野山が広がります。
姫路駅から約1時間半。岡山駅に到着しました。
ここで駅弁と菓子を購入します。
岡山駅からはキハ47系気動車を使用した普通列車で吉備線を経由して総社駅に向かいます。
固定式ボックスシートが枕木と並行方向に設置されています。
登場時からかなりの年月が経過していますが比較的、車内は綺麗です。
そこそこの乗客を乗せた列車は岡山駅を後にしました。
岡山駅を出て暫くの間は列車は高架橋らしき物の上を走ります。
しかし殆どの車窓は、先程と同様に田園と野山で構成されます。
岡山駅から約40分。総社駅に到着しました。
駅舎は近年になって改築された物だと考えられます。
駅前には観光案内所が存在しますが周辺には民家はそれ程見当たりません。
総社駅からは113系を使用した普通列車で新見駅に向かいます。
体質改善工事を受けていない為、先程の113系と異なりほぼ原形を保っています。
(ただし窓は乗客が開閉が出来ない様にされています。)
午前11時44分。5人程度の乗客を乗せた列車は新見駅を後にしました。
進行方向左側には乗車区間のほぼ全区間で清流が広がります。
そして列車は急曲線区間では速度を落としつつ新見駅に向かいます。
乗換駅の新見駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で備後落合駅に向かいます。
※この区間を移動出来る列車は1日に僅か3本しか存在しません。
(よって乗り遅れたら一巻の終わりです。)
午後1時00分。列車は新見駅を後にしました。
過疎地域を中心に走行する為、全く乗り降りの無い駅も幾つか存在します。
進行方向右側には川が広がりますが進行方向左側は山ばかりが見えます。
(少々車窓にも飽きてきた頃でした。)
新見駅から約1時間。乗換駅の備後落合駅に到着しました。
駅周辺は全くと言って良い程に何もありません。
備後落合駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で三次駅に向かいます。
先程の列車からの乗り継ぎ客を除けば乗客は殆どいません。
木次線の遅れ列車の到着を待った為、列車は3分程度遅れて備後落合駅を後にしました。
写真では判りませんが、線路上には野花や雑草が生い茂っています。
福塩線との接続駅である塩町駅を出ると急に車窓には住宅地が広がります。
午後3時59分。定刻通りに三次駅に到着しました。
そして隣側に停車していた「みよしライナー」で本日の最終目的地の広島駅に向かいます。
午後4時02分。列車は三次駅を出発しました。
刻々と日没が迫る中、列車はただ広島駅に向かってひた走ります。
終着駅の手前である矢次駅を過ぎると、進行方向左側に車両基地が見えてきます。
午後5時30分。ついに本日の最終目的地である広島駅に到着しました。
宝殿駅から広島駅までの約10時間に渡る長旅が幕を終えました。
そして私は現在、あるビジネスホテルでこの記事を書いています。
明日は違う意味で更に過酷さを極める1日となります。
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今日は都会の中のローカル線である「山陽本線の支線(通称:和田岬線)」に乗車しました。
この路線はかつて旧型客車や気動車が運転されていたことで有名です。
また朝夕のみ旅客列車が運転される路線でも知られています。
朝9時頃。今回の旅は山陽本線の起点である神戸駅の1駅隣の兵庫駅から始まります。
ラッシュ時間帯を過ぎた為、ホーム・車内共に非常に閑散としています。
(元々乗客数が少ないことも関係しています。)
では簡単に乗車する列車の車内の様子を紹介します。
線路と平行にロングシートと吊り革が配置されています。
また体質改善工事を施されていない為、登場時と変わらぬ姿をほぼ維持しています。
午前9時10分、列車は和田岬駅に向けて出発します。
(720pハイビジョン画質で再生可能です。 )
列車は駅を出て程なくして単線区間に入ります。
列車は兵庫駅から約4分で終点の和田岬駅に到着しました。
駅はホームと駅看板、待合場のみで構成された非常に簡素なものです。
かつては駅舎が存在しましたが老朽化が原因で数年前に取り壊されました。
ちなみに駅周辺に存在するコンビニには和田岬駅の歴史を記したボードが設置されていました。
取り壊される直前の駅舎の様子も印刷されていました。
そして到着から約10分後に折返し列車で終点の兵庫駅に向かいます。
先程と同様に車内に乗客はあまり乗っていません。
やがて列車は駅を後にします。
列車は住宅地や工場の間を抜ける様に走り去ります。
また兵庫駅に到着する前には車窓左側に川崎重工の神戸工場の姿が見えます。
ちなみに帰りは兵庫駅で切符を購入して自動改札機に入れるという変わった方法がとられています。
(和田岬駅には自動改札機や運賃箱などが存在しません。)
行きの場合は兵庫駅で購入した切符が自動改札機に吸い込まれます。
全ての乗客が降り去った後、列車はドアを閉めて次の発車に備えます。
列車と駅舎共に夕方の発車時刻まで暫し羽を休めます。
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はじめに
・旅行記では今回から大幅に文章校正を変更しています。(無駄な部分を省いて簡潔に表せるように改良しました。)
300系新幹線のラストランを堪能した私はその後、駅構内の売店で土産を購入しました。
そして博多駅を14時00分に出発する「のぞみ」で一気に広島駅まで戻ってきました。
今回の旅は中国都市の中心に位置する広島駅から始まります。
いよいよ今回の最終目的地である網干駅まで約5時間の旅(またの名を苦行)が幕を開けます。
広島駅からは広島色の115系を使用した普通列車で糸崎駅まで乗車します。
さすがは中国地方です。京阪神地区ではあまり目にしない国鉄車両に簡単に出会う事が出来ます。
15時14分。少々遅めですが今回の旅が幕を開けます。
広島駅から天神川駅の区間では車窓左側に広大な車両基地が広がります。
また途中の海田市駅では呉線と分離しますが三原駅付近で再び合流します。
広島駅から約1時間半。糸崎駅に到着しました。
駅舎は恐らく国鉄時代の物が使用されているのではと思われます。
そして駅構内には簡易自動改札が設置されています。
糸崎駅からは今となっては珍しい原色の113系を使用した普通列車に播州赤穂駅まで乗車します。
ドア部分付近にはロングシート、それ以外にはボックスシートが設置されています。
登場時からかなりの年月が経過している為、車内には年季が入っています。
16時46分。列車は糸崎駅を後にします。
当日は曇天でしたが三原駅~尾道駅間を中心に車窓右側では瀬戸内海を眺める事が出来ました。
そして岡山駅に到着する頃には既に辺りは完全に夜陰の中と化していました。
(赤穂線内は夜という事もあってか殆ど景色を眺める事が出来ませんでした。)
糸崎駅から約2時間45分。播州赤穂駅に到着しました。
この駅で反対側に停車している新快速(後述)に乗り換えます。
播州赤穂駅からは最終目的地である網干駅まで223系1000番台を使用した新快速に乗車します。
長かった様で意外と短かった今回の旅行記も終わりを迎えようとしています。
19時33分。列車は播州赤穂駅を後にしました。
列車はトンネルを抜けると山陽本線との接続駅である相生駅に到着します。
そして相生駅からは夜陰の中の山陽本線で疾走します。
そして19時54分。ついに今回の最終目的地である網干駅に到着しました。
この後、私は20時07分発の普通列車で宝殿駅に向いました。(割愛します。)
これは今回の旅行記の結果です。
新規走破路線…なし
新規乗車距離…145.4km
乗車達成率…22.092%→22.819%
(JR6社管内)
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