今日は題名の如く「鉄道の電化方式」に関する話題です。
皆さんも存知の通り、鉄道の電化方式としては直流と交流の2種類が存在します。
まずはこれらの電化方式の長所と短所を紹介します。
直流電化は変電所などの設備こそ割高ですが車両の製造価格は安く抑えれます。
これは大都会の様に高い輸送力が求められる路線で多く採用される傾向があります。
また絶縁距離を短く出来る為、地下鉄などの様にトンネル断面の小さい路線でも電化する事が出来ます。
交流電化は車両の製造費は割高ですが変電所の数を直流電化よりも減らす事が出来ます。
また送電圧を高く設定する事が出来るので送電ロスを押さえる事が出来ます。
さて以前は電化されていた区間が非電化区間に降格するといった事例も幾つか存在します。
(これは廃線が目前まで迫っている事を暗示している場合もあります。)
福塩線の下川辺駅~府中駅間を例とすると、1962年頃までは電化されていましたがそれ以降は非電化とされています。
こういった路線は蒸気機関車の煤煙問題を解決するなど理由に電化された為、元々高い輸送力を必要としません。
それ故に両数や運転本数の少ない路線であれば電車での運行はかえって割高となってしまいます。
ちなみに「電化=所要時間の大幅短縮」と勘違いする人が存在しますがこれは誤解です。
電化工事と並行して軌道強化などを行わない限り、短縮される時間は約3~10分程度です。
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最後に余談ですが電流の流れている架線に触れた場合、人体に高圧電流が流れる事は当然の事です。
しかし交流電化された架線は半径1m以内に近付くだけでも簡単に感電します。
皆さん如何お過ごしでしょうか?地獄の様に多忙な日々が続いている今日この頃です。
(最近は午後7時以降に帰宅する事も珍しくなくなりました。)
では本題です。昨日JR西日本のプレスリリース欄に下記の様な内容が発表されました。
「サロンカーなにわを使用した団体専用列車を大阪駅~敦賀駅間で運転します。」
これは北陸本線の長浜駅~敦賀駅間の開業130周年記念の一環として行われるイベントです。
なお敦賀駅到着後には歓迎式や社内見学会も行われる予定です。
これは私の予想ですがこの団体専用列車は日本旅行(株)によって運転されるものだと思われます。
当然ですが予約開始とほぼ同時に募集定員に達することは間違いないでしょう。
さてこの様な団体専用列車が運転される時にはほぼ間違いなく様々な問題が生じるものです。
恐らく一部の馬鹿な撮り鉄は今回も懲りずに運行妨害などを行うのだと思われます。
サロンカーなにわは近年では徐々に運転回数が減少しつつあるお座敷客車でもあります。
特に国鉄時代から活躍していることを考えれば今後は更に運転回数が減少するかもしれません。
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JR九州が来年をめどに運転を予定している豪華寝台列車の名前が決定しました
気になる列車名ですが最終的に「七つ星」という名前に決定しました。
この列車名は九州7県の魅力を発信するという意味が込められています。
運転経路はまだ正式に決定していませんが3泊4日の行程で構成されることは確定しています。
基本的には博多駅を出発して様々な観光地を巡って4日後に戻るといった行程になるのではと思われます。
なお基本編成は7両で食堂車やラウンジカーも設けられる予定です。
客室は5両編成中に14室で最も高額な部屋は1人当たり50万円とされる予定です。
寝台列車は新幹線や航空機と異なり乗車時間が圧倒的に長いことが大きな特徴です。
今後は既存の寝台列車を含めてこの利点を活かしたサービスを展開していく必要が存在します。
(ロビーカーを連結したり売店営業を行うだけでも状況は変わるはずです。)
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今や京阪神地区における看板列車となった新快速はどの様な変化を遂げていったのでしょうか?
かつて戦前の東海道本線には新快速の前身となる急行電車(料金不要)が存在しました。
途中停車駅は大阪駅、三ノ宮駅、元町駅の3駅のみで、所要時間も特急列車より速く設定されていました。
(これは現在でも部分的に当てはまります。)
そして1975年10月に新快速は京都駅~西明石駅間で113系を使用して運転を開始しました。
データイムを中心に1日6本が運転され、途中停車駅には大阪駅、三ノ宮駅、明石駅が選ばれました。
これによって京都駅~大阪駅間は最短32分、京都駅~西明石駅間は最短79分で結ばれる様になりました。
なお翌年には草津駅~京都駅間が延長運転される様になりました。
運転開始から2年が経過した1977年3月には急行「鷲羽」に使用されていた153系電車が運転を開始しました。
また塗装も白を基調に青い線が1本入ったものに変更され「ブルーライナー」という愛称が定着しました。
運転本数も1時間当たり4本に増発され、その内の1本(約7カ月後には2本)は姫路駅まで延長運転されました。
1980年2月には新快速用に新規製造された3代目の車両である117系電車が運転を開始しました。
並行する民鉄各線に競合するべく大型窓や木目調の化粧版など破格の車内設備が設けられました。
また運用開始時には「車内に全く吊革が存在しない」ということで大きな注目を集めました。
国鉄分割民営化後の1988年3月には4代目の車両として221系電車が運転を開始しました。
そして阪神大震災の発生した1995年の夏頃には5代目の車両である223系電車が運転を開始しました。
2006年11月には湖西線の全線と北陸本線の一部区間の直流化に伴い運転区間が敦賀駅まで延長されました。
これにより新快速は最長列車では敦賀駅~播州赤穂駅までの256.0㎞を走破するまでに至りました。
そして2010年には6代目の車両である225系電車が運転を開始しました。
「更なる安全性」と「高い快適性」を追求した本車両は、登場から2年後の今でも好評を得ています。
登場から間もなく40年が経過しようとする現在でも未だに進化を続ける新快速…。
今後は岡山延伸や更なる新型車両の登場などが特に大きな話題となるはずです。
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「引退することが悲しい」…今回のダイヤ改正でもこの台詞を何回聞いたことでしょうか。
少々言葉が悪いですが私は「この人達の中の一部は本当にこんな事を思っているのだろうか」と考えざるを得ません。
ましてや引退直前(残り1週間前程度)になって撮影を行う人は世間の波に翻弄されて動いている様にしか見えません。
一言で言えば「本当に引退が悲しいのであれば普段から撮影して下さい。」ということです。
テレビや新聞で取り上げられる様な段階に入ってから撮影を開始する方法は殆ど無意味です。
特にターミナル駅(大宮駅など)や有名撮影地では引退前に満足な写真を撮影することはまず出来ません。
これらの場所には異常な数の撮影者が各地から押し寄せる為、普段の様に構図を考えて撮影するといった事はほぼ不可能です。
それ故に最終的には「もっと早くから撮影しておくべきだった。」と後悔するのが成れの果てです。
基本的に引退の半年前になれば引退する車両・列車に関する情報はある程度集まってきます。
特に国鉄車両が未だに使用されている特急列車は、いつ新型車両に置き換わっても不思議ではありません。
(一気に新型車両が投入される場合もあれば段階的に投入される場合も存在します。)
ちなみに路線が廃線となる場合は遅くとも1年前までに予定時期が公表されるはずです。
この場合は廃線まで残り半年を切らなければ展望映像を撮影したりなどほぼ思い通りに撮影を行うことができます。
さて来年の3月にも多くの車両や列車が一気に姿を消すことが十分に想定されます。
現時点でも予想が付くものは今の内から撮影しておいた方が良い事は言うまでもありません。
こういった事は「先手必勝」です。早めの行動は後々になってほぼ間違いなく良い結果に結び付きます。
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さて今日は大阪Station Cityの開業から丁度1年が経過した日です。
今回は開業直前の大阪駅の様子に関する話題です。
これは開業の約7ヶ月前(8月上旬)の大阪駅の様子です。
コンコースやドーム屋根に関してはこの時点で殆ど整備が完了していました。
しかし橋上駅舎やそれに続くエスカレーターや階段については完成していませんでした。
(駅ビルに関しても同様に順調に整備が完了しつつありました。)
ちなみに当初の計画ではドーム屋根部分に存在するホーム屋根を撤去する計画が存在しました。
ですが皆さんも存知の通り既存の古い屋根に新たにガラス板を設置する方法が採用されました。
今日で開業1年を迎えた大阪Station Cityは更にどの様な進化を遂げるのか…。今後も目が離せません。
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