皆さんも知っての通り300系新幹線は3月17日のダイヤ改正で完全に姿を消します。
一部の方は500系新幹線やN700系新幹線が新幹線の歴史を変えたのではと考えているのかもしれません。
しかし私としては何よりも我が日本の新幹線の歴史を大きく変えたのは300系新幹線の存在だと考えています。
今では当たり前になった270km/h(平地での)運転ですがかつてはかなり難易度の高いものでした。
車体にアルミニウム合金、走行機器には交流電動機が採用されるなど当時の最先端技術が詰め込まれました。
様々な工夫が実を結び1991年3月1日に行われた最高速度試験では325.7km/hを記録しました。
この記録は約5年後に955系新幹線が443.0kmを記録するまで守られました。
そして300系新幹線は1992年3月に初代「のぞみ」車両として華々しく姿を現しました。
当時は1日4往復という小規模でしたが数年後には1時間に1本以上が東京駅~博多駅間で運転されるまでに成長しました。
同時にそれまで「ひかり」などに運用されてきた100系新幹線や0系新幹線を次々と淘汰してきました。
最終的にはJR東海で61編成、JR西日本で9編成が製造され正に「大御所」の名にふさわしい存在でした。
そして2007年7月1日…それまで絶頂の時代を築いていた300系新幹線が一気に激減し始めました。
そうです。その最大の原因は殆どの方が知っていますが「N700系新幹線の急速な増備」です。
開始当初は1日8本しか運用されていませんでしたが現在ではほぼ全ての「のぞみ」を置換えるまでに至っています。
またJR東海はN700系新幹線の導入当初、3年後(2010年)までに54編成を製造する予定と言っていました。
しかしその後も追加増備が決定して今でも数を増やし続けています。
また上記で挙げた理由の他に「短編成化が困難であった」点も理由に挙げられています。
300系新幹線は3両編成を1ユニットとしていた為、短編成化を行うにはかなり大掛かりな改造が必要とされました。
それ故に300系新幹線は0系新幹線と異なり短編成化されて暫く残るのではなく一気に廃車される道を辿りました。
もう残された期間は殆どありません。あと3日後にはJ編成(東海車)の定期運用が完全になくなります。
そしてF編成(西日本車)も「ひかり482号」などを最後に3月12日に定期運用を終えます。
本当のラストランは両車共に3月16日に「のぞみ」として行われます。
やはり私も大好きな車両であったが為に、こんなにも早過ぎる引退は非常に寂しいものです。
明後日からは高校は自由登校になるので引退までの間に出来るだけ乗車と撮影を行っていきたいものです。
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最近、特に鉄道部品の人気が上昇しつつあります。
元々は鉄道部品の販売は廃棄費用を押さえる目的で行われました。
車両を解体して処分する際には当然ですがそこそこの費用が必要とされます。
解体部品を売れば処分費用を節約出来るだけでなく「儲け」が発生します。
正に「金の成る木」です。こんなに上手い話は中々存在しないものです。
しかしここ数年からでしょうか。販売側はどうも調子に乗っているような感じがします。
(決して自分が購入出来ないからといってやきもちを焼いているのではありません。)
部品によっては10万円や50万円という馬鹿高い値段をつける場合も多々あります。
オークションならまだしも一般販売で最初からこんな値段を付けるのは如何なものかと思います。
常識的に考えればどれだけ高くても20~30万円位が限界なのではと私は思います。
単に鉄道部品を売る事によって金儲けをする自体はさほど問題はありません。
ですが節度を持った値段や販売方法を採用する事がまず「絶対条件」なのでは私は思います。
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もうかなり前の話ですが今日は久々に旅行記を書いてみました。
(段々と記憶が薄れつつあります。)
それでは本題です。前回は富山駅から美濃赤坂駅までの行程をご紹介しました。
今回は美濃太田駅から最終目的地である宝殿駅までの行程を公開します。
午後3時43分。日暮れの迫る美濃赤坂駅を後にします。
先程の折り返し列車で大垣駅に戻ります。
さて列車は程良い速度で美濃赤坂駅を後にします。
荒尾駅まではローカル線特有の雰囲気が広がります。
そして本線と合流すると車窓にも徐々に建物などが見えて来ます。
そして大垣駅からは向かい側のホームに停車していた列車に乗車します。
313系を使用した特別快速です。
この列車で乗換駅の岐阜駅を目指します。
乗り換えたと同時に列車は大垣駅を後にしました。
列車は途中駅に停車しますがほぼトップスピードで岐阜駅まで向います。
(この時点からはカメラのバッテリーの残りが危なかったので撮影が少々いい加減になります。)
岐阜駅からは残りの「あの区間」に乗車すべくこの列車に乗車します。
683系2000番台を使用した特急しらさぎです。
この列車で「あの区間」を経由して米原駅を目指します。
列車は大垣駅を出ると関ヶ原駅までは下り線から分離して「あの区間」に入ります。
「あの区間」とは戦前に勾配緩和を目的として設けられた迂回線の事です。
かつては蒸気機関車列車が走行していましたが現在は主に特急列車などが走行しています。
岐阜駅から約30分。乗換駅である米原駅に到着しました。
(同時に東海道本線[旅客線]を全線制覇しました。)
残り少ない行程をこの列車で一気に飛ばします。
223系1000番台を使用した新快速です。
この列車で最後の乗換駅である加古川駅を目指します。
そして日も暮れかかる米原駅を後にします。
列車はそれまでの田園地帯を抜けて灯りの溢れる夜の大都会に入ります。
漆黒の闇の中を列車は全速力で駆け抜けます。
米原駅から約2時間。最後の乗り換え駅である加古川駅に到着しました。
もう既に駅周辺は日も完全に暮れて「夜陰の街」と化していました。
いよいよ最後に列車する列車がこちらです。
223系1000番台を使用した普通列車です。
この列車で本旅行記の最終目的地である宝殿駅を目指します。
午後7時半頃。ついに最終目的地である宝殿駅に到着しました。
かくして私の3日間に渡る旅行記は幕を下しました。
これは今回の旅行記(3日目)の結果です。
・新規走破路線…高山本線、東海道本線
・新規乗車距離…217.3km
・乗車達成率…20.064%→22.092%
(JR6社管内)
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今日は昨日の話の続きです。昨日私は大阪駅で3月16日に姿を消す寝台特急日本海を撮影していました。
しかし非常に腹立たしかったものです。かつて無い位の怒りを覚えた瞬間でもありました。
かつて私がブログを始めて間もない頃に撮り鉄の迷惑行為に関する話題を出しました。
私はこれまで「まさかあんな有様が実際に起こるのか…。」と少し疑っていましたが、これは昨日真実だと立証されました。
同時にに私は下記4つの事を思いました。
・「後から来た身で勝手に割り込もうとするこの大バカ達の神経は一体何なんだ(怒)」
・「それなのに何故、割り込んだ側からは一切、謝罪の言葉が無いのか…。」
・「あれだけ警備員が注意しているにもかかわらず碌に聞いていない奴が何故こんなにも存在するのか?」
・「もし仮に自分(迷惑行為をしていた側)が逆の立場だったらどう思うのか分からなのか!!!」
如何ですか?この4つを見るだけでも状況はある程度、把握出来るはずです。
ではその状況の詳細がこちらです。
後方で撮影している人が何人も存在するのにこの大バカ野郎供(2枚目)は悪びれる事無く前に割り込んで来ました。
私はその場で言葉や表情には表しませんでしたが「直ちに謝罪した上で消え去れ。そして2度と来るな!!!」と思いました。
3つ目に上げた事についてですが、これはこの中で私が最も腹の立った項目でもあります。
警備員は「三脚は必ず黄色線の中に収めて下さい。」や「列車に向けてフラッシュをたかないで下さい。」と言いました。
なのに一部の大バカ野郎は何故これらの指示を完全に無視するのか?自分が注意されている事が分からないのか?
「列車の安全運行」よりも「自分たちの写真の出来」を優先するとは…「撮り鉄」以前に「人としてどうなのか」と思います。
確かに殆どの方は「何としても記念に引退する車両を自分の写真の中に加えたい。」と思っているかもしれません。
しかし警備員の指示に従わなかったり周囲の撮影者を気にせずに撮ったところで本当にそれは記念として残るのか?
もっと真剣に考えてもらいたいものです。
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今日は大学で昼頃から主に推薦試験の合格者を対象にした集合教育が行われました。
ですが集合教育が行われるまでの間、新大阪駅で今年3月16日に姿を消す300系新幹線(特にJ編成)を撮影していました。
上の3枚の写真は何十枚と撮影した中で割と上手く撮影出来たものです。
(実際には約50枚程度、撮影しています。)
そして終了した後には大阪駅で撮影をしました。
流石は大阪駅です。新型車両から国鉄車両まで様々な特急列車が発着します。
最後にですが3日後からは私の高校で卒業試験が始まります。
今日は結構、遊んだ方(!?)なので明日からは真面目に勉強しようと思います。
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さて昨日、JR西日本でも300系新幹線と100系新幹線のラストランに関する情報が公開されました。
300系新幹線は「のぞみ」として、100系新幹線は「ひかり」として3月16日に最後の華を飾ります。
(これは私も十分、有り得る事だとほぼ最初から予想してました。)
同日には300系新幹線などの他にも様々な列車のラストランが存在します。
これは撮影側からすればやや釈然としませんが、警備側としては分散させることで混乱を押さえる利点が存在します。
また上述の列車は真昼間の時間帯を走行します。殆どの人々は仕事または学校に行っているはずです。
故に数年前の寝台特急北陸の引退時の混雑などに比べれば然程、混雑しないのではと私は考えています。
何れの指定券も2月16日の午前10時から全国のみどりの窓口で一斉に発売されます。
当たり前ですが各指定券共に数秒から10数秒程度で完売する事は確実です。
数ある策略の中から最善の方法を選び出す事が非常に大きなカギとなります。
(勿論、私もこれらの指定券の何れか1つを狙う予定です。)
ラストランに関する情報が徐々に明らかになる事は、少し極論ですが題名の通り「大激戦の幕開け」を意味します。
しかし運転日(3月16日)は迷惑行為などが起こらずに定刻かつ安全に運行出来る様になることを祈るばかりです。
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今日は1月17日、かつて神戸市を中心に甚大な被害を齎した阪神淡路大震災が起こった日です。
同時にこの区間を走るJR、私鉄各社にも大きな被害を受けました。
今回はJR線の復旧に関する話題です。
JR線の被害はかなり大きかった方でしたが阪神電鉄や阪急電鉄などに比べればまだマシでした。
理由としてはJR各社からの支援や迂回路線などが存在した事などが挙げられています。
JR神戸線を例に見ると特に大きな被害を受けた駅は新長田駅と六甲道駅です。
特に六甲道駅は高架部分が崩壊して駅舎が下敷きとなった為に復旧までに約2年を要すると試算されていました。
この駅を含む灘駅~住吉駅間は他区間が復旧する中でも最後の最後まで残った区間でもあります。
ちなみにあまり知られていませんが当時、加古川線と播但線が迂回路として非常に大きな役割を果たしたと言われています。
被害の少なかった福知山線が復旧すると即座に多数の臨時列車(「ノンストップ快速」など)が運転されました。
この時には輸送力の増強を目的にJR各社から寄せられた車両(主に気動車中心)が使用されました。
震災後も大規模災害時には再び迂回路として機能する可能性が高い点から両線共に電化されました。
東海道新幹線は京都駅~新大阪駅間で高架橋に罅割れ、山陽新幹線は新大阪駅~姫路駅間を中心に数か所で高架橋の落下が発生しました。
しかし幸運(?)にも営業列車は運転開始前であった為、落下部分に列車が突入するなどという様な大事故は避けられました。
全線復旧した日である平成6年4月8日以降も当面の間、徐行運転(170km/h程度)が行われました。
最後にですがこの大震災は早朝に起きたからこそ被害が最小限で済んだのではと一部の間では言われています。
確かにあと1~2時間後、帰宅時間帯などに発生すれば確実に死者は2万人近くに達していたかもしれません。
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今回は3日目の行程を公開します。(2回に分けての公開です。)
3日目は定刻通りであれば氷見線と高山本線、東海道本線の残り区間を乗車するはずでした。
(これは昨夜に乗車した日本海が大幅に遅延した為、富山駅で下車したからです。)
朝7時15分。本来の開始駅でなかった富山駅に到着しました。(理由は先述)
少々未練が残りますが気を取り直して途中駅から本日の工程を開始します。
本日1番目に乗車する列車はこの列車です。
キハ120系気動車を使用した普通列車です。
この列車で猪谷駅を目指します。
午前8時14分。列車は富山駅を後にしました。
富山駅を出て暫くの間は車窓からも北陸新幹線の高架橋が見えます。
その後はこの先の区間程ではありませんが山や川が広がって来ます。
富山駅から約1時間。白銀の中の猪谷駅に到着しました。
そして先頭に停車していた列車に乗り換えます。
ちなみに次に乗車する列車がこちらです。
キハ40系を使用した普通列車です。
この列車で太多線との接続駅である美濃太田駅を目指します。
そこそこの乗客を乗せた後、列車は駅を後にしました。
車窓左側には悠大な渓流と山々が広がります。
程良い積雪と川の流れが生みだす絶景は見る者を圧巻させます。
そしてその絶景を見ながら駅弁を食します。
源(株)から発売されている「ますのすし」(1300円)です。
大きさはそれ程大きくありませんが1人で完食すればかなりの満腹感を感じます。
猪谷駅から乗車すること約1時間。途中駅の高山駅に到着しました。
長時間停車を行う駅であったので駅弁と軽食類を調達します。
高山駅を出ると列車は集落の中を走ります。
高山駅から暫くの間は雪景色ですが下呂駅に近付くにつれて徐々に雪は消えてゆきます。
ちなみに途中の下呂駅にはこんな変わった物が存在しました。
このオブジェ(!?)からは泉の様に温泉が湧き出ています。
(効果効能は写真4枚目の石版に書かれている通りです。)
猪谷駅から乗車すること約4時間。終点の美濃太田駅に到着しました。
約4時間における長時間乗車でしたが私自身は全く疲労を感じませんでした。
そして後続の普通列車で岐阜駅に向いました。(割愛します。)
美濃太田駅から乗車すること約40分。ついに高山本線の終点である岐阜駅に到着しました。
この駅は高山本線と東海道本線の接続駅と言うこともあり大勢の乗客が下車します。
そして駅のホームの椅子で最後の食事を取ります。
金亀館(株)から発売されている「飛騨牛ほう葉みそ弁当」(1050円)です。
この地方の郷土料理である朴葉味噌を手軽に味わう事の出来る面白い駅弁です。
さて食事を取り終えて暫くした後、私は次の列車に乗車しました。
313系を使用した新快速(各駅停車)です。
この列車で大垣駅を目指します。
そして10分程度で大垣駅に到着しました。
ここからは東海道本線に2つ存在する「あの区間」の1つに乗車します。
この駅から乗車する列車はこの列車です。
313系(2両編成)を使用した普通列車です。
この列車で1つ目の「あの区間」の終点である美濃赤坂駅に向います。
そして列車は大垣駅を後にします。
大垣駅を出ると列車は車両基地の付近(1枚目)を走行します。
そして荒尾駅を出ると列車は完全に田舎の中を走ります。
そして僅か10分程度で終点の美濃赤坂駅に到着しました。
今回はここまでです。次回は当駅から宝殿駅までの様子を紹介します。
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今回は私が3日間に渡って行った全線乗車旅行記の2日目の様子を紹介します。
(あえて2日目からの公開です。)
午前10時20分。少々遅れた寝台特急を下車して青森駅に到着しました。
ここで駅弁と少量の手土産を購入して早速、2日目の行程に移ります。
本日1番目に乗車する列車はこの列車です。
HB-E300系を使用した快速リゾートあすなろ号です。
この列車で大湊線の終着駅である大湊駅を目指します。
それでは車内の様子をご紹介します。
車内には床部分や荷物棚を中心に木目が描かれ温かみを演出しています。
なお出入り口付近には大型の液晶モニターが設置されています。
続いて装備されている座席の様子です。
背面テーブル(4枚目)とインアームテーブル(5枚目)を装備した回転式リクライニングシートが採用されています。
座席間隔も非常に広々としている為、足をかなり伸ばしても前方の座席に当たりません。
ちなみに先頭部分には展望スペースが設けられています。
運転席の直ぐ真後ろには簡易式の椅子(2枚目)が設置されており前面展望を堪能する事が出来ます。
そしてこの前面展望は各車両に設置された液晶モニター(先述)にて生中継されます。
3号車には車椅子対応の大型トイレが設置されています。
外部と内部共に木目が描かれています。また非常に広々とした点が特徴です。
午前11時05分。快晴の下の青森駅を定刻通りに出発します。
列車は当駅から野辺地駅まで青い森鉄道線を走行します。
そして速度制限区間を抜けると一気に最高速度まで加速します。
そして列車は途中の野辺地駅から進行方向を変えます。
野辺地駅を出ると進行方向右側(A席)には主に森林が広がります。
乗車すること約100分。終点の大湊駅に到着しました。
駅構内にはみどりの窓口と待合所が設けられています。
(駅舎は約1年前に改築されたばかりです。)
そして折り返しの快速リゾートあすなろ号で青森駅に向います。
先程よりは乗客の数も少なめでした。
大湊駅を出ると進行方向右側(D席)には陸奥湾が広がります。
晴天の下を列車は程良い速さで快走します。
そして絶景を眺めながら駅弁を頂きます。
吉田屋(株)から発売されている八戸いいとこどり弁当(1100円)です。
(「景色も最高かつ駅弁も旨い」…正に言う事無しです。)
列車は野辺地駅を出ると再び青い森鉄道線に入ります。
JR線内とは異なり列車はかなりの速度で青い森鉄道線を疾走します。
そして高架橋を降りると列車は青森駅に差し掛かります。
乗車すること約100分。青森駅に到着しました。
再び手土産を購入して次に乗車する列車のホームに向かいます。
続いて乗車する列車この列車です。
キハ40系気動車を使用した普通列車です。
この列車で津軽線の終着駅である三厩駅を目指します。
列車は少々遅れて青森駅を後にしました。
青森駅から中小国駅間は単線ですが電化区間を走行します。
しかしこの区間を過ぎると完全に景色は山の中となります。
乗車すること約90分。終着駅の三厩駅に到着しました。
駅周辺は雪で覆われ、軒下には氷柱が立っています。
また1日に発着する列車が僅か5往復と非常に乏しい点も大きな特徴です。
午後5時43分。折り返し列車は大雪の中の三厩駅を出発しました。
殆ど車内に乗客のいない状態で終点の蟹田駅まで列車は走りました。
乗車すること約50分。終点の蟹田駅に到着しました。
ここからは特急スーパー白鳥号で終点の青森駅に向いました。(割愛します。)
午後6時55分。2日目の旅行記の最終目的地である青森駅に到着しました。
ここからは寝台特急日本海に乗車して富山駅(本来は高岡駅)に向いました。
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これは今回の旅行記(2日目)の結果です。
・新規走破路線…大湊線、津軽線
・新規乗車距離…114.2km
・乗車達成率…12.483%⇒14.028% 19.493%→20.064%
(JR東日本管内) (JR6社管内)
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夜7時頃。本日の行程を終えて青森駅に到着しました。
(謝罪日は平成24年1月7日[土曜日]です。)
今回乗車する列車は今年3月9日に定期運転を終了する寝台特急日本海です。
全車が開放寝台で構成されている為、正に正真正銘の「ブルートレイン」です。
そして駅弁と軽食・飲料を購入した後に3番線ホームに移動します。
取材日は牽引機はEF81形直流電気機関車、車両は24系25形客車が使用されました。
また編成は電源車を除いて8両(2両減車)で構成されています。
それでは早速、車内に入ります。(取材日は全席満席でした。)
車内は線路と平行方向に2段ベッドが配置されています。
ちなみに下段寝台は大型の窓を一人占めできる点が大きな利点です。
続いて付属設備の様子です。
各寝台には枕などの寝具、浴衣、ハンガー、スリッパが置かれています。
また小鏡(2枚目)と小物置(3枚目)、荷物棚(4枚目)、読書灯(5枚目)、テーブル(6枚目)が設置されています。
そしてこの寝台は昼間は座席としても使用する事が出来ます。
方法は簡単でカーテンをカバー(3枚目)で固定し、座席を起こして荷物棚と小物置を下げるだけです。
(但し転換時に少し大きな音が発生するので夜間は避けた方が良いと思います。)
そして出入り口側のデッキには喫煙所と更衣室が設けられています。
余談ですが喫煙所は喫煙目的よりはフリースペースとして使用される場合が多い様です。
午後7時45分。約15分遅れで青森駅を出発しました。
(この動画は720pハイビジョン画質で再生可能です。)
非常にのんびりとした加速で列車は青森駅を後にしました。
さて新青森駅を出発してトンネルに入って暫くすると突然列車が停止しました。
何と大雪によってトンネルを抜けた直後に存在するポイントレールの可動部分が凍結してしまう事態が発生しました。
その為、乗客は殆ど灯りの無いトンネルの中で約1時間半の間、待たされました。
(トンネルの中間地点で停車した為、携帯電話などの電波も一切入りません。)
その後、列車は更に遅れて弘前駅、大鰐温泉駅などに停車します。
その間に殆どの乗客が夢の中に入っていました。
私が目が覚めた頃には列車は糸魚川駅付近を走行していました。
僅かに朝日が見えた頃に列車は魚津駅に到着しました。
(本来であれば列車は金沢駅付近を走行しているはずでした。)
その後も列車は大幅に遅れて富山駅に向います。
富山駅付近からは工事中の北陸新幹線の高架橋が徐々に見えて来ます。
工事が順調に進めば平成26年度末頃にはこの区間にも新幹線が通る予定です。
そして明け方の7時15分。約1時間40分遅れてようやく富山駅に到着しました。
ちなみにあと20分遅れれば特急料金分は返金されるはずでした。
故にこの時に私は少々「やられ損」だと思いました。
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