今日、九州新幹線長崎ルート(以下;長崎ルートと表記)の起工式が長崎市で行われました。
これによって武雄温泉駅~長崎駅間がフル新幹線規格で建設されることが明確化されました。
沿線住民の中には今か今かと新幹線の開通を待ちわびる人々も存在するかもしれません。
しかし私は「長崎ルートの建設は失敗で終わる可能性が非常に高い」と考えています。
まず新幹線化後の所要時間が現行と比較しても大差が無い点に対して問題があります。
(殆どの人々は「新幹線開通≒劇的な所要時間の短縮」と考えているはずです。)
沿線自治体によれば新幹線開通後の博多駅~長崎駅間の所要時間は約1時間20分と予想されています。
しかし現在、同区間を走行する特急「かもめ」は同区間を約1時間50分で運転しています。
つまり新幹線化しても所要時間は現行の約2/3程度にしかなりません。どう考えても無駄です。
フリーゲージトレインでの運行にも大きな問題点が存在します。
フリーゲージトレインは在来線区間を走行する為、車体寸法を在来線の物にする必要があります。
つまり必然的に座席定員数や快適性の面で新幹線用の車両よりも劣ってしまいます。
また台車に軌間変換装置を搭載している為、走行用台車の重量が新幹線用の物と比較して増加しています。
これは線路や分岐器に負担を与えるだけでなく、車体の振動が大きくなるなどの影響を齎します。
(この他にも軌間可変装置を通過する際の速度が極端に遅くなることも問題とされています。)
地方にも新幹線を開通させて欲しいと思っている人は多く存在するはずです。
しかし実際には在来線特急や連絡バスの充実などで事足りてしまう場合も多く存在します。
特に整備新幹線の場合、沿線自治体は建設費用の約1/3を支払わなければなりません。
それ故に沿線自治体は新幹線の必要性を改めて真剣に考えて欲しいものです。
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今回は路面電車の可能性に関する話題です。
皆さんも存知の通り、現在の日本では広島などの一部を除き路面電車は殆ど運行されていません。
かつて路面電車は戦後から高度経済成長期にかけて庶民の足として大きな役割を果たしていました。
しかしそれ以降は目にも止まらぬ速さで全国から次々と姿を消していきました。
特に地下鉄や路線バスが発達するに従って、その「悪い流れ」は更に加速していきました。
しかし近年、それまで扱き下ろされ続けてきた路面電車が徐々に見直されつつあります。
理由としては路線バスなどには無い様々な利点を兼ね備えている事が大きく関係しています。
路面電車における利点と欠点は以下の通りです。
利点
・大量輸送(バスの約2~3倍)が可能。
・二酸化硫黄などの有害物質を排出しない。
・比較的、走行音が小さい。
・定時性の高い運行が可能。
・惰性走行が可能。
・建設費が比較的、安価である。
欠点
・走行経路が限定される。(迂回が困難。)
・路線・車両の維持費が高額。
・自動車と衝突する可能性が高い。
路面電車は路線バスと異なり編成を組める点などから大量輸送が可能です。
これは朝夕などに次々とバスを走らせている路線では大きな効果が見込まれます。
(路面電車でもバスと同様に次々と発車させる事が出来ます。)
惰性走行が出来る点も路面電車の大きな売りです。
「車輪と線路の摩擦」は「タイヤと道路の摩擦」と比較してもかなり小さいです。
つまりバスの様に常時加速を行う必要が無い為、エネルギーの消費を抑える事が出来ます。
さて近年では走行用電源に蓄電池を採用した路面電車も試験的に登場しています。
搭載される蓄電池は座席下に収納出来る程度に小型化・大容量化されています。
後は蓄電池の低価格化を待つのみです。これが行われれば確実に導入は進むはずです。
最後にですが「今後、路面電車は確実に増えるはず」だと私は予想します。
(今日はこれで失礼します。)
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これは「全線乗車旅行記2012-夏編」の2日目に起こった出来事です。
この日、私はかなり早く目が覚めた為、午前6時前にホテルを後にしていました。
そしてホテルを出て食事を済ませた私は広島駅前に向かいました。
ですが時間に余裕が存在した為、広島駅前で広島電鉄の車両を撮影することにしました。
※車両によっては戦前から活躍している物も存在します。
そして15分程度、撮影を行っていると偶然にも最新型車両である5100形に遭遇しました。
この車両を見た途端、私は即「乗車しよう」と決断しました。
(これは単独旅行だから出来る技です。)
しかし遠方まで乗車すると、今後の行程に対して大きな支障を来す可能性が存在しました。
それ故に今回は約10分程度で行ける、5駅先の胡町電停まで乗車することにしました。
では外観の様子を紹介します。
車体は丸みを帯びた部分の多い、優しいデザインとなっています。
また車体側面には所々に紅葉のイラストが描かれています。
続いて車内の様子を紹介します。
先頭部分を除いて基本的に車内はロングシートで構成されています。
昇降口や通路は車椅子での移動を容易とする為、広めに設定されています。
先述の通り広島駅電停から約10分程度で胡町駅に到着します。
ここからは反対側に停車していた列車に乗車して直ぐに広島駅に向かいます。
電停で暫く待つと5000形を使用した列車がやって来ました。
この車両は元々、ドイツ製であった車両を日本向け仕様に変更した車両です。
では車内の様子をご紹介します。
車内は5100形と異なりボックスシートを中心に配置されています。
また座席はかなり派手な模様をした物が採用されています。
やがて列車は胡町電停を後にしました。
列車は道路上を走行する為、バスや自動車と並走しながら走行します。
(バスと異なり車体の揺れも殆ど無く、非常に快適です。)
胡町駅から約10分。終点の広島駅に到着しました。
ここからは広島駅の改札口に向かい、普通列車で岩国駅に向かいました。
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前回は小野田線の乗車を中心にした内容をご紹介しました。
そして今回は下関駅~姫路駅までの様子を中心にご紹介します。
門司駅で広告など収集した私は足早に下関駅に戻ることとしました。
行きの列車と同様に415系を使用した普通列車に乗車します。
午前9時20分。列車は門司駅を後にしました。
列車は門司港方面の線路が見えなくなると徐々に関門トンネルに差し掛かります。
(余談ですがトンネル内は地下鉄並みに騒音が激しい為、出来ることは限定されます。 )
下関駅に到着後は反対側に停車していた115系(2両編成)に乗り換えて新下関駅に向かいます。
編成が僅か2両というのがどうも味気なさを感じさせます。
(…。)
午前9時30分。列車は下関駅を後にしました。
列車は幡生駅で下関総合車両所を眺めた後に新下関駅に到着します。
そして下関駅から僅か10分程度で新下関駅に到着します。
新下関駅のホームの端からは100系新幹線の姿を眺めることが出来ます。
新下関駅からはキハ47系気動車を改造した観光列車である「みすゞ潮騒」で仙崎駅に向かいます。
指定席車両の側面窓は八角形や階段状の物が採用されるなど遊び心に溢れています。
また先頭部分にはヘッドマークが描かれています。
それでは指定席車両の車内の様子をご紹介します。
全ての座席が海側を向いていますが、山側の座席は嵩上げが施されていません。
そして改造車であるが故に、窓割りが極端に一致していない座席が幾つか存在します。
午前9時59分。列車は仙崎駅に向かって程良い速さで走り始めました。
列車は幡生駅を出ると山陽本線の線路と分離して山陰本線の線路に入ります。
ちなみに山陰本線内では、区間によっては眺めを存分に味わえる様に列車は一時停止します。
仙崎駅から約2時間半。終点の仙崎駅に到着しました。
駅舎は一見、木造風に見えますが実際は鉄筋コンクリート製です。
ホームの更に先には錆びた線路と共に車止めが存在します。
仙崎駅で食事を済ませた後、私は「金子みすゞ記念館」に向かうことにしました。
建物の2階部分の一部には、金子みすゞの住んでいた部屋を再現した部屋が存在します。
(1階部分には博物館と思われる建物が別館として設けられています。)
さて金子みすゞ記念館から5分程度歩くと「プロジェクトM20000」と呼ばれる展示館(!?)に到着します。
壁面には様々な文字やイラストの描かれた蒲鉾板が隙間無く並べられています。
これらの蒲鉾板にはブラックライトに反応する塗料で描かれた鰯の群れが映し出されます。
観光を終えた私は仙崎駅に戻って路線バスで長門市駅に向かいます。
長門市駅の駅前には蒸気機関車の車輪を使用したと思われるオブジェが設置されています。
長門市駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で厚狭駅に向かいます。
同時に約2年前の集中豪雨で被害を受けた美祢線の今を観察しました。
やがて列車は長門市駅を後にします。
列車は50分程度走ると、最も被害を受けた厚保駅~湯野峠駅駅間に差し掛かります。
この区間は盛土が崩壊したり橋脚が流されましたが、現在はほぼ何事も無かったかの様に復旧しています。
長門市駅から約1時間。美祢線の終着駅である厚狭駅に到着しました。
在来線側の駅舎は新幹線側もの物と異なり比較的、小さい物が採用されています。
また駅前には地元の英雄とされている寝太郎の銅像が設置されています。
厚狭駅からは115系(2両編成)を使用した普通列車で乗換駅の新山口駅に向かいました。
反対側の先頭車は中間車を改造したものが連結されています。
午後16時55分。列車は新山口駅に向かって走り出しました。
車内は2両編成であることも関係してか少々混雑していました。
新山口駅からは地域色の115系を使用した普通列車で広島駅に向かいます。
ここから約3時間にも渡る長時間の乗車が始まります。
午後5時38分。列車は新山口駅を出発しました。
車窓には時折ですが進行方向右側に瀬戸内海が広がります。
そして広島駅に近付くにつれて、車窓には徐々に夜の灯りが広がっていきます。
(移動中は記事の原稿を書いたり文庫本を読んだりしていました。)
新山口駅から約3時間。ようやく広島駅に到着しました。
ついに山陽本線を全線制覇しました。
そして広島駅からは山陽新幹線を使用して一気に姫路駅に向かいます。
流石は新幹線です。在来線で何時間も要する距離を僅か1時間程度でブッ飛ばします。
(座席の写真は約1年前に撮影した物を流用しています。)
午後9時50分。姫路駅に到着しました。
こここらは普通列車に乗り換えて宝殿駅に向かいました。
(割愛します。)
最後に今回の旅行記(1日目~3日目)の結果を紹介します。
・新規走破路線…吉備線、芸備線、岩徳線、小野田線、美祢線、山陽本線
・新規乗車距離…602.6km
・乗車達成率…22.819%→25.835%
(JR6社管内)
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はじめに
・今回は2回に分けて3日目の様子を紹介します。
朝5時50分。私は下関駅の6番線ホームに向かいます。
今日は下関駅~宝殿駅まで約16時間の長旅です。
まず地域色の115系を使用した普通列車で小野田駅に向かいます。
車内は夏休み期間中ということもあり、かなり空席が目立っています。
(…。)
午前6時00分。列車は定刻通り下関駅を出発しました。
夜が明けて間もない山陽路を列車は比較的速い速度で駆け抜けます。
下関駅から約40分。乗換駅の小野田駅に到着しました。
123系を使用した普通列車で小野田線の雀田駅に向かいます。
(この車両は荷物車を改造することによって誕生しました。)
午後6時42分。列車は小野田駅を後にします。
列車はかつて小野田セメント[株]が栄えていた頃の面影を残す街中を走ります。
また途中駅でも乗客の乗り降りはありますが「殆ど無い」と言って良い程度でした。
小野田駅から約15分。雀田駅に到着しました。
ここからは小野田線の支線である本山支線に乗車します。
午前6時59分。列車は雀田駅を後にしました。
雀田駅を出ると直ぐに進行方向右側の本線と枝分かれします。
そして途中の浜河内駅では誰も乗客を乗せずに駅を後にしました。
(乗客は私を含めて僅か2人でした。)
雀田駅から約5分。本山支線の終着駅である長門本山駅に到着しました。
長門本山駅は1日当たりの列車本数が僅か3本と極端に少ないことで有名です。
かつては駅舎が存在しましたが、現在はホームと待合室が残るのみです。
そして午前7時38分発の折り返し列車で小野田線の終点である居能駅に向かいます。
長門本山駅を発車した時点での乗客は私を含めて10人程度でした。
やがて列車は長門本山駅を後にします。
途中の雀田駅では、中学生と思われる乗客を10人程度乗せて駅を後にします。
(車内を見渡す限り乗客は学生や高齢者が殆どでした。)
長門本山駅から約30分。小野田線の終点である居能駅に到着しました。
居能駅からは105系を使用した普通列車で山陽本線の接続駅である宇部駅に向かいます。
乗客は先程の普通列車からの乗り換え客が大半でした。
午前8時05分。列車は居能駅を後にしました。
列車は駅を出ると直ぐに小野田線の線路と分岐します。
そして居能駅から僅か10分程度で宇部駅に到着します。
宇部駅からは先程と全く同じ105系を使用した普通列車で下関駅に向かいます。
車内は全てロングシートで構成されています。
(故に座席に座った状態ではあまり景色は見えません。)
午前8時18分。列車は下関駅に向かって走り出しました。
車窓からは海は殆ど見えず、基本的に山々や田畑のみが広がります。
また新下関駅付近には、何故か引退したはずの100系新幹線が停車していました。
宇部駅から約30分。出発駅であった下関駅に戻ってきました。
ここからは415系を使用した普通列車で山陽本線の終着駅である門司駅に向かいます。
やがて列車は下関駅を後にしました。
駅を出て暫くすると進行方向右側には車両基地が広がります。
そして車両基地を過ぎると直ぐに列車は関門トンネルに入ります。
ちなみに門司駅の手前では架線からの供給電力が直流から交流に切り替わります。
セクション区間(直流区間と交流区間の間に設けられた非電化区間)では蛍光灯が消えます(1枚目)。
そして使用電力が切り替わると再び蛍光灯が点灯(2枚目)します。
そして下関駅から僅か10分程度で門司駅に到着しました。
今回はここまでです。次回は門司駅から宝殿駅までの様子を紹介します。
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昨日の疲労が抜けない中、今日は広島駅から下関駅までを移動してきました。
かつて無い程に猛烈な過酷さを感じた2日目の様子を紹介します。
朝7時20分。ある事を終えた私は広島駅にいました。
(詳細は後日発表します。)
この時点ではまだそれほど今日が過酷な1日となる事に対して実感がありませんでした。
初めに瀬戸内色の113系を使用した普通列車で岩国駅に向かいます。
通勤時間帯である事に加えて編成が4両の為、車内は結構混雑しています。
午前7時24分。2日目の旅が幕を開けました。
列車はモーター音を唸らせながら山陽路を疾走します。
途中の宮島口駅を出ると進行方向左側には瀬戸内海が広がります。
広島駅から約1時間。乗換駅の岩国駅に到着しました。
ここで大量の飲料と菓子を購入します。
岩国駅からは錦川鉄道清流線の列車に乗車して終着駅の錦町駅に向かいます。
(途中の川西駅までは岩徳線の線路を走行します。)
では車内の様子をご紹介します。
転換式クロスシートが枕木と平行方向に配置されています。
各窓側には折畳式のテーブル(3枚目++)が設置されています。
さて列車は川西駅を出てトンネルを潜ると岩徳線の線路と分離します。
分岐点を過ぎると列車は一気に速度を上げて快走します。
御庄駅を出ると進行方向右側には錦川の清流が広がります。
特に景色の優れた場所では、景色をのんびり眺められる様、列車は徐行運転または一時停車します。
(この日は快晴ということもあり眺めも文句なしです。)
岩国駅から約70分。終点の錦町駅に到着しました。
駅構内には車庫と給油設備が設けられています。
ちなみに改札手前にはJR線連絡の切符を購入できる券売機が存在します。
錦町駅からは岩日線の未成線を利用して誕生した「とことこトレイン」に乗車します。
ここから終点の雙津峡温泉駅まで約40分の観光です。
この路線の最大の魅力は錦町駅手前側のトンネル内に存在します。
ブラックライトの光を特殊な石の集まりに当てることで様々なイラストが現れます。
(トンネル内は写真撮影の為に1回のみ数分間停車します。)
終着駅の雙津峡温泉に到着しました。
ここから先程の折り返し便で錦町駅に戻ります。(割愛します。)
錦町駅からは先程と全く同じ車両で御庄駅に向かいます。
相変わらず車内には10人程度しか乗客は乗っていません。
午後0時24分。列車は錦町駅を後にしました。
行きの列車と同様に進行方向左側には錦川の清流が広がります。
錦町駅から約1時間。御庄駅に到着しました。
写真でも分かる様に御庄駅は山陽新幹線の新岩国駅との接続駅でもあります。
(乗継時間も比較的、考慮されている方です。)
御庄駅と新岩国駅は連絡通路を使用することで行き来することが出来ます。
5分程度歩くと、ようやく新岩国駅の駅構内に到着します。
御庄駅からは路線バスに乗って錦帯橋に向かいます。
ここでは下側(川岸)と上側(展望デッキ)の両方から撮影を行いました。
その後はその場から逃げ去る様に喫茶店へ直行しました。
そして再び路線バスに乗車して西岩国駅に向かいます。
西岩国駅はその特徴的なデザインと歴史的価値などから国の有形文化財に指定されています。
かつては岩国駅という名前でしたが、現在の岩国駅が誕生すると西岩国駅に改名されました。
(岩徳線は山陽本線の旧線でもあります。)
西岩国駅からはキハ47系気動車を使用した普通列車で徳山駅に向かいます。
後ろ側の車両の塗装は広島色です。
僅かな乗客を乗せて列車は西岩国駅を後にしました。
列車はかつて山陽本線であった線路をのんびりとした速さで駆け抜けます。
やがて徳山駅が近づくと、現在の山陽本線の線路と合流します。
西岩国駅から約90分。最後の乗換駅の徳山駅に乗車しました。
ここからは113系を使用した普通列車で、2日目の最終目的地である下関駅に向かいます。
午後6時02分。列車は徳山駅を出発しました。
途中の新山口駅では乗客が一気に下車し、車内はかなり空席が目立つ様になりました。
(不覚にも「これではいつ減便されても仕方ない」と思ってしまいました。)
広島駅から約12時間。本日の最終目的地である下関駅に到着しました。
かつて下関駅は長距離夜行列車の機関車交換などで賑わいを見せていました。
しかし現在は普通列車のみが発着するという、全盛期から見れば少々寂しい光景が広がっています。
ちなみに今日もあるビジネスホテルの部屋でこの記事を書いています。
明日は今日以上に負担がかかる行程にはならないと信じます。
(夕食は河豚を中心とした懐石料理でした。)
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今日、私は1日目の全線乗車旅行記を行っていました。
今回は宝殿駅から広島駅までの様子を紹介します。
なお通常では数回に分けて公開している旅行記を今回は1回で公開します。
(故に記事内で使用する画像数・文章量は恐らく過去最大だと思います。)
朝7時30分。今回の旅は宝殿駅から始まります。
これから約12時間にも渡る長い旅が幕を開けます。
(工程を大幅に変更しています。)
宝殿駅からは223系を使用した普通列車で姫路駅に向かいます。
夏休みですが平日ということもあり車内は少々混雑しています。
いよいよ今回の旅が幕を開けます。
ひめじ別所駅付近からは貨物駅が進行方向左側に見えてきます。
また御着駅付近では新幹線用の保線車両の基地が見えます。
宝殿駅から約10分。姫路駅に到着しました。
旅はまだまだ続きます。
姫路駅からは113系を使用した普通列車に乗車します。
転換式クロスシートが枕木と並行方向に配置されています。
改造時期が車種によって異なる為、基本的に内装はバラバラです。
やがて列車は駅を後にします。
列車は姫路駅を出ると直ぐに姫新線や新幹線と分かれます。
そして途中の相生駅を出ると車窓には今まで以上に車窓には田園や野山が広がります。
姫路駅から約1時間半。岡山駅に到着しました。
ここで駅弁と菓子を購入します。
岡山駅からはキハ47系気動車を使用した普通列車で吉備線を経由して総社駅に向かいます。
固定式ボックスシートが枕木と並行方向に設置されています。
登場時からかなりの年月が経過していますが比較的、車内は綺麗です。
そこそこの乗客を乗せた列車は岡山駅を後にしました。
岡山駅を出て暫くの間は列車は高架橋らしき物の上を走ります。
しかし殆どの車窓は、先程と同様に田園と野山で構成されます。
岡山駅から約40分。総社駅に到着しました。
駅舎は近年になって改築された物だと考えられます。
駅前には観光案内所が存在しますが周辺には民家はそれ程見当たりません。
総社駅からは113系を使用した普通列車で新見駅に向かいます。
体質改善工事を受けていない為、先程の113系と異なりほぼ原形を保っています。
(ただし窓は乗客が開閉が出来ない様にされています。)
午前11時44分。5人程度の乗客を乗せた列車は新見駅を後にしました。
進行方向左側には乗車区間のほぼ全区間で清流が広がります。
そして列車は急曲線区間では速度を落としつつ新見駅に向かいます。
乗換駅の新見駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で備後落合駅に向かいます。
※この区間を移動出来る列車は1日に僅か3本しか存在しません。
(よって乗り遅れたら一巻の終わりです。)
午後1時00分。列車は新見駅を後にしました。
過疎地域を中心に走行する為、全く乗り降りの無い駅も幾つか存在します。
進行方向右側には川が広がりますが進行方向左側は山ばかりが見えます。
(少々車窓にも飽きてきた頃でした。)
新見駅から約1時間。乗換駅の備後落合駅に到着しました。
駅周辺は全くと言って良い程に何もありません。
備後落合駅からはキハ120系気動車を使用した普通列車で三次駅に向かいます。
先程の列車からの乗り継ぎ客を除けば乗客は殆どいません。
木次線の遅れ列車の到着を待った為、列車は3分程度遅れて備後落合駅を後にしました。
写真では判りませんが、線路上には野花や雑草が生い茂っています。
福塩線との接続駅である塩町駅を出ると急に車窓には住宅地が広がります。
午後3時59分。定刻通りに三次駅に到着しました。
そして隣側に停車していた「みよしライナー」で本日の最終目的地の広島駅に向かいます。
午後4時02分。列車は三次駅を出発しました。
刻々と日没が迫る中、列車はただ広島駅に向かってひた走ります。
終着駅の手前である矢次駅を過ぎると、進行方向左側に車両基地が見えてきます。
午後5時30分。ついに本日の最終目的地である広島駅に到着しました。
宝殿駅から広島駅までの約10時間に渡る長旅が幕を終えました。
そして私は現在、あるビジネスホテルでこの記事を書いています。
明日は違う意味で更に過酷さを極める1日となります。
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今日は都会の中のローカル線である「山陽本線の支線(通称:和田岬線)」に乗車しました。
この路線はかつて旧型客車や気動車が運転されていたことで有名です。
また朝夕のみ旅客列車が運転される路線でも知られています。
朝9時頃。今回の旅は山陽本線の起点である神戸駅の1駅隣の兵庫駅から始まります。
ラッシュ時間帯を過ぎた為、ホーム・車内共に非常に閑散としています。
(元々乗客数が少ないことも関係しています。)
では簡単に乗車する列車の車内の様子を紹介します。
線路と平行にロングシートと吊り革が配置されています。
また体質改善工事を施されていない為、登場時と変わらぬ姿をほぼ維持しています。
午前9時10分、列車は和田岬駅に向けて出発します。
(720pハイビジョン画質で再生可能です。 )
列車は駅を出て程なくして単線区間に入ります。
列車は兵庫駅から約4分で終点の和田岬駅に到着しました。
駅はホームと駅看板、待合場のみで構成された非常に簡素なものです。
かつては駅舎が存在しましたが老朽化が原因で数年前に取り壊されました。
ちなみに駅周辺に存在するコンビニには和田岬駅の歴史を記したボードが設置されていました。
取り壊される直前の駅舎の様子も印刷されていました。
そして到着から約10分後に折返し列車で終点の兵庫駅に向かいます。
先程と同様に車内に乗客はあまり乗っていません。
やがて列車は駅を後にします。
列車は住宅地や工場の間を抜ける様に走り去ります。
また兵庫駅に到着する前には車窓左側に川崎重工の神戸工場の姿が見えます。
ちなみに帰りは兵庫駅で切符を購入して自動改札機に入れるという変わった方法がとられています。
(和田岬駅には自動改札機や運賃箱などが存在しません。)
行きの場合は兵庫駅で購入した切符が自動改札機に吸い込まれます。
全ての乗客が降り去った後、列車はドアを閉めて次の発車に備えます。
列車と駅舎共に夕方の発車時刻まで暫し羽を休めます。
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