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■タイ・ロングスティ特集(4)

2011-07-19 | ●タイロングスティ
■■■■■■■■古都チェンマイへの道■■■■■■■■
昨日早朝3時半から、テレビの前で釘ずけの2時間だった。
ついに、なでしこジャパンが、女子サッカー世界制覇の偉業を達成した。
いまだ勝ち星のない強豪米国を相手に最後まで敵を翻弄し遂にせり勝った
極めて日本らしい勝利だった。小兵ながら、いささかも臆する事なく、
知恵と走力とチームワークと意気込みで金メダルを手にし
 
 (提供 AFFPP)
かく言う日本は、いま「なでしこ」一色である。東北津波地震で低迷を続ける
日本全土に、明るい活気と明日への希望をもたらしてくれた。
今朝ほどには、
バンコクのタイ人の知人から日の丸の祝電をいただいた。

9月から始まるロンドン五輪アジア予選は、9月1日,なでしこJAPANとタイ女
子代表
チームの日タイ国際競技で開幕する。
さて今回は、タイロングスティの経緯や、ロングスティヤーの心を捉えた古都
チェンマイの魅力
について、当事者の視点で話を進めたい。
 
■「海浜山間JTIROの選択
今を去る11年前の1999年秋JTIROがタイロングスティに参入するに際して
海外生活滞在地にふさわし
推奨地域をタイのどこにするか。所轄するタイ国
政府商務省と協議し、
タイ南部(海浜)、中央部(都会)、北部(山辺)の3地域
わたり、JTIRO理事全員でつぶさに踏査した。
 
 
 
当時のタイは、1997年のタイバーツ下落によるアジア危機を克服し、よううやく
再興の兆しが伺え、政府部内にもタイの街々にも復興の活気が横溢していた。
タイ政府も、日本からの投資導入する一環として、日本のロングスティヤーの取込
みに、極めて前向きであった。
 ●当時JTIROは、日本のシニアのニーズを把握するため海外ロングステイについ
て しばしば
アンケートを試みた。
おりしも日本では、エコブームが叫ばれ始めた頃
だったが、日本のシニアの大半は緑多い林間を希望されたと記憶してる。
 その結果について、私どもは歴史的に農耕民族である日本人のDNAの確かな証
と理解したものだ。
こうしてJTIROは、山間の古都チェンマイをタイロングスティの最適拠点に決めた

■「日本人村構想の破綻
当時、タイ政府関係者からは、日本のロングスティヤーのためにチェンマイ
に広大な
「日本村」を構築するタイ政府と民間による共同構想があることを聞
かされ、
驚いたものだ。 そのくらいタイ政府の日本人ロングスティ構想への期
待は、おおきものがあった。

日本人のロングスティは、本来、現地タイの人人と生活交流する事が目的で
あって、日本人だけで暮らす日本人村は、その主旨にそぐわないことを伝えた。 
そして民間投資としては、成功おぼつかないことを伝え、引き下がっていただい
ことを覚えている。もともと日本人シニアには、日本人同士「群れる」発想の生
活文化はなかった。
こうして「チャイナタウン」とよく似た日本人村構想は、ようや
く息を潜めた。


■「ODA支援とJICAの貢献
タイ北部地方の拠点チェンマイは、日本のODA(政府開発援助)で、急速に
市の近代化がすすんでいた。
空港や 幹線道路の整備はもとより、森林整備など、地域社会を国家の強固な
基盤にすべく、日本のODAは、きわめて大きな役割りを果たした。
そのODA支援に感謝するタイの人人の日本人に対する敬愛の真情の発露は、
ロングスティの随所に見られ、日本人シニアに多くの感動をもたらす事になる。


タイ農村地区でのJICAボランティアの活躍)
併せて、JICAが派遣した日本人ボランティアの活躍は、改めて国際交流の
真髄に触れる顕著な実績を残した。それらによりタイの近代化は急速に進み、
いまやタイは中進国として、またASEANの盟主として、アジア経済を強力に牽
引している。

チェンマイの魅力の秘密
タイ北部の古都チェンマイは、いまやタイロングスティの代名詞になっている
が、
では、何故多くの日本のシニアが古都チェンマイに魅せられたか、その秘
密についてロングスティヤーに聞いてみた。
その秘密は
・静かで緑豊かな山辺地帯であること、
・多くの寺院建築を擁する伝統的な古都であること、
・多くの欧米人が訪れる国際都市であること、
・治安がよく、生活物価が安く、人人は、日本人に格別やさしいこと、
・日タイ両国の124年に及ぶ長い修好関係と、王室交流の絆があること
など、枚挙にいとまない結果であった。 
 
ぜひ知って欲しい日タイ修好の歴史
日本とタイの交流は、古く14世紀にタイの使者が1年間日本に滞在したと言う
文献が遺されて
いる。また江戸時代には、山田長政が当時の王朝に重用され、
王都アユタヤに
日本人町を作り、そこには1500人にのぼる日本人が暮らし大い
に活躍したと言はれている。
明治政府が発足した21年後の1887年には、アジア最初のタイ王国との国交
調印が行
われた。そして戦後、終戦と同時に貿易が再開され、1952年には、正
式に外交関係が再開した。



去る2007年は、日本がタイと国交を結んだ、日タイ修好120周年の記念年だった。 
その年「日タイ修好120周年」の記念事業が華々しく催され、JTEROは、公的文化事
業を4件
企画し催行した。これによって日タイ修好の絆が、ますます深まった事を誇り
に思っている。
 
■「特筆に価する日タイ王室の関係
中でも、両国の王室関係は格別親密である。
王室外交という言葉があるが、まさしく日タイ修好の基盤を支えて、大きな役割りを果た
してきた。
特に一昨年は、プミポン国王の生誕80年で、タイ国あげての祝賀の催しが
盛大に繰り広げられた。
 
因みに、日本と親密な世界の王室について触れておこう。
 (国名)       (国家体制)
●英国                   王國
●オランダ               王国
●サウジアラビア        王国
●スエーデン           王国

●タイ                王国
●デンマーク            王国
●ネパール            王国
●ノールウエイ           王国
●ベルギー                王国
●ヨルダン                 王国
●ルクセンブルグ    大公国
 (宮内庁要覧) 50音順
 
タイ王国の現況
●国土面積        513,120KM"
●人口           6813万人
●都市人口(都市化率) 2314万人(34%)
●主な宗教        仏教
●政治体制        立憲君主制
●国家元首        プミオン・アドウンヤデート国王
●首都           バンコク
●通貨           バーツ
●名目国内総生産(GDP2009年)   2638億ドル
●1人当り名目GDP          3940ドル
●日本からの輸入総額         2兆0806億円
●日本への輸出総額          1兆4951億円
●外国人旅行者数(2
009年)    1414万人
●PC普及率               19,61%
●携帯電話普及率           122,57%
(出所、東洋経済、国連推計、外務省
 
 
「■「海外邦人援護が増加
日本外務省の発表によると、海外で事故や事件に巻き込まれた日本人が
増えている。
特に高齢者の事故が増加の傾向にある。
●2010年の支援実績件数 17,515件(昨年対比3,3%増)
●2010年の援護人数    19,882人( :    5,5%増)
そのうち
●60歳以上の援護人数    3,981人( :    9,8%増)

 
 
 
 
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