⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️チェンマイ旅情⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️
中西英樹
在チェンライ(タイ王国)
⬛️⬛️「チェンライとチェンマイ」
⚫️自分は昨年11月,兄は今年の3月に日本からチェンライに戻ってきた。
一緒に暮らしはじめて数カ月になるが、その間二人で旅行に行っていな
い。昔は腰が軽くて、チェンマイ、スコタイ、メ―ホーソンにドライブ、
それにチェンライ県内なら数十キロ車を飛ばして、観光や食事、或いは
友人宅を訪ねたものだ。ところが最近は外食に出ることもまれになった。
感染症の影響で、無意識のうちに外出を自粛しているのかもしれない。
⚫️チェンマイはチェンライから約200キロ、タイ国有数の観光都市であ
るから,見所もレストランもホテルも充実している。チェンマイはタイの
京都、チェンライはタイの奈良と言われる。当たらずとも遠からずだが、
両都市の発祥は13世紀末のランナー王朝だから古都と呼ぶには少し違和
感がある。
チェンマイ県の人口は180万、チェンライ県は130万と人口でそれほど大
きな差があるようには見えない。でもチェンマイは近代的な文化大都市、
チェンライは田舎町というイメージがある。
チェンマイ日本国総領事館が管轄する 北部9県の在留邦人は 3000人強で,
そのうち3分の2はチェンマイ県在住、日本人補習授業校もある。 チェン
ライ県在住邦人は300人前後ではないか。
外人向けレストランも量,質において両県は比較の対象とはならない。
母の生きていた頃はちょっとイタ飯を食おうとか, 気軽にチェンマイまで
車を走らせたものだ。両都市の距離は約200キロ、もちろん泊りがけとな
る。日本に帰国していたし,ここ3年チェンマイには行っていない。兄も同
様だ。休養も兼ねて2泊3日のチェンマイ旅行に行ってみよう。食べたいも
の,行きたいところは特にないが,チェンマイで買いたいものはある。
⚫️国道118号からチェンマイ市内へ。
道路は主として国道118号を走る。ここ数年, 道路工事が続いていて砂
利道の交互通行の箇所があり,いつもより1時間以上余計にかかることがあ
った。また豪雨で道が流されたり, 工事会社が倒産したりといつ開通する
かと案じていたが、自分の日本滞在中に何とか全線開通したようだ。
チェンマイ県内の118号線は片側2車線となり,これまでバスやトラックの
後ろに付くと 特に登りではイライラさせられたものだが、今はスイスイ
追い抜ける。感染症の影響で観光バスや定期バスが まだほとんど走って
いないのでドライブはさらに快適となる。
ところどころにUターン個所があり, 通り過ぎた食堂や,国立公園に立ち寄
りやすくなった。こうしてみると 中進国の発展ぶりは 道路ひとつとって
も確実に実感できる。
ホテルは兄がネットで予約したチェンマイ旧市街の4ツ星ホテル,プール、
朝食付きで1泊800B、まだ観光客が戻っていないので特別割引価格とな
っている。プールではファランの娘さんがデッキチェアに横たわっていた。
⚫️ターペー門と城外を歩く。
チェンマイ旧市内は東西南北一辺がおよそ1.5キロの城壁に囲まれてい
る。城壁には5つの門があるが,5つの門のなかで唯一,扉のある門がターペ
ー門だ。門の城内側はデモやイベントの集会場となる大きな広場となって
いる。
ホテルから10分,ターペー門まで歩いてみた。マスク着用者は ほとんどい
ない。家族連れのファランが多い。14,5歳、金髪少女の短パン姿を凝視し
た。色白で足が長い。ちょっと目が合うと微笑んでくれる娘さんもいる。
日本なら女子高生に「キモッ」と睨みつけられても仕方ないが,ここは観光
都市、開放的で大変よろしい。
ターペ―門には餌を与えるので数百羽の鳩がいる。鳩が集まったところで、
男が盥を叩いて大きな音を出す。すると鳩が吃驚して一斉に飛び立つ。鳩
の群舞と共に写真を撮る。これがチェンマイの観光定番となりつつある。
ただは鳩の数も観光客の人出も今一つ、門前は大きな広場となっているだ
けに一抹の淋しさを感じる。
門の木扉はランナー朝のチェンマイ遷都当時, つまり14世紀初めの制作か
と思ったら, 1985年に古文書をもとに再建されたものという。城壁に沿っ
た道路の向かい側にはレストラン、カフェ、コンビニが立ち並んでいる。
道路に面したテーブルには煙草を燻らすファランが座っている。更に門を
背中にして東に歩くと小ホテル,GHが目に付く。左右の小路に入ると一人
100B以下で済むようなタイ庶民食堂があちこちにあって、テーブルではフ
ァラン一家が食事をしていたりする。欧州は今,夏休み、かなり前からバカ
ンスの計画をたて,計画通りチェンマイに来たのだろう。散財だけが旅では
ない。つましくタイ料理を囲むファラン一家を見ながらそう思った。
⚫️ナイトバザール。
8月は3回続けて週末にドライブ旅行した。チェンマイに2回、ナーン県
のプアに1回である。買い物とか慰霊祭とか理由はあったが, 隣県とはいえ
泊りがけ旅行はタイに戻ってからは数えるほどしかない。概ね、週日はテ
ニス、土日は家で音楽を聴いたり、ユーチューブを眺めたりの静かな生活
だ。退屈かと言われればそうかな、とも思うがこの年になって忙しく動き
回るのは事故のもと、などと退嬰的な気持ちになっているのかもしれない。
用があって出かけるにしろ、旅に出ればそれなりの刺激がある。
北タイに10年以上住んでいてもまだ行っていない観光名所はたくさんある。
ネットで一通り見ているはずだが、実際に訪れてみるとやはり感じるもの
はある。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずることなきにあらず、
だ。
これまで総領事館とか製造元に日本蕎麦を買いに行くとかで、チェンマイ
で週末を過ごすことがなかった。戦没者慰霊祭が行われたのが8月15日の
月曜だったので、前日にチェンマイ入りした。チェンマイにはいくつもナ
イトマーケットがある。この日は日曜なのでターペー門からワット・プラ
シンに延びるサンデーマーケットが開かれる。これに行ってみようと思っ
ていた。
チェンマイのナイトマーケットというとピン川に近いチャクラン通りのナ
イトバザールが有名だ。大小のホテル、ゲストハウスに近くピン川沿いに
は高級レストランが並ぶ。バザールには1キロ以上にわたって露店が並び、
お土産物はここで全て揃うというので、ツーリストには人気の場所であっ
た。過去形であるのはまだ観光客が戻っていないからだ。
ナイトバザールから旧市街、ターペー門方向へ向かうロイクロー通りには
ビヤバーが並び、以前はお姉さんが道路まで出てきてツーリストの手を引
っ張っていたものだが、8月に行った時は閉店しているビヤバーも多く 開
いている店でもホステスさんの数が少ない。彼女たちもあきらめ顔で自分
に「ニーハオ」と気のない挨拶を投げかける程度
⚫️サンデーマーケット。
ナイトバザールは年中無休でツーリストには便利,観光客専用といえる。
それに引き換え、ターペー門のサンデーマーケットは日曜日の夜だけ。ど
ちらかというとチェンマイ市民のためのマーケットと言われている。
ネットを見ると4時半ころから始まり、6時、7時となると買い物ができな
いくらいに混みあうとある。4時半に行ってみた。 テントや陳列台を組み
立てていて、半分くらいしか露店が出ていない。。まだ陽が高く 人出もち
らほらだ。たださすが観光都市チェンマイ、ファラン(白人)の家族連れ
が目立つ。乳母車を押しているが、それだけ通路が広く、安心して歩ける
ということだろう。
露店は民族衣装、山岳民族のバッグ、石鹼彫刻と並んで清涼飲料、ケーキ、
果物ジュースなど、焼き鳥、ソーセージ、餃子、焼きそば、お好み焼き、
たこ焼き、お寿司など雑多な店がある。またお寺の境内が一種のフードコ
ートになっており、ここで皆、思い思いの食事をとる。
自分もカウパット(タイチャーハン)を買って食べた。飲み物を売ってい
る露店で「ビールはないの」と聞いたが「ここはお寺の境内だからビール
はありません」。葷酒、山門 に入るを許さず、はタイでは厳格に守られて
いることを忘れていた。
⚫️露店との違い。
チェンライにもナイトバザールはあるし、土曜市には時々行く。
チェンマイのサンデーマーケットを歩いてみて、同じような露店でありな
がらチェンライのそれとは何か違うことに気付いた。チェンマイの露店の
品物の並べ方が垢抜けている。見た目、きれいですっきりしているのだ。
またチェンライにはない風景画や仏画など絵画を売る露店がいくつかあっ
た。売っているところを見るとチェンマイでは絵を買う人がいるのだろう。
露店のセンスの良さ、品揃えから見て、チェンマイはチェンライよりもか
なり文化度が高いのではないかと思った。これで、チェンマイからバンコ
クに行けば、更に店も歩く人も垢抜けてくるのだろう。バンコクから東京
に行けば文化度はさらに跳ね上がる。そういえば東京での1年8カ月、心が
躍動するような経験がいくつもあった。自分から九州や四国,京都を旅した。
求めればワクワクするようなイベントはいくらでもあったように思う。
チェンライで毎日テニスをし、ネットを眺めて退屈していない毎日だ、と
強弁してもやはり田舎の侘び住まい、読書もせず映画も見ず 我が風体、風
貌は北タイの村夫子然としたものになっているに違いない。
「3年ぶりの戦没者慰霊祭」
⬛️⬛️「将兵へ追悼と感謝」
⚫️今年も8月15日がやってきた。この日、チェンマイでは毎年、戦没者慰
霊祭が行われてきた。今年は3年ぶりに関係者が集って,チェンマイのムー
ンサーン寺院、バンガード高校、そしてインパール作戦で勇名を馳せた第
18師団の生き残り、藤田松吉氏が独力で建立した慰霊塔の 3ヶ所で慰霊祭
が開催された。自分はムーンサーン寺院で行われた慰霊祭に参列させても
らった。
●
チェンライはいいぞとか,チェンマイってホントにいいですね,とか言いな
がらタイで安穏に暮らしていけるのは先人の努力、犠牲あってのことだ。
つまりインパール作戦に倒れた日本将兵の方々のお陰ともいえる。1年に
1回くらい先人に頭を垂れ、ご冥福を祈り、感謝の気持ちを表してもいい
のではないかと思っている。
チェンライに住むようになって、日本の兵隊さんと交流のあった人、その
子供世代の人などの話を聞いたり、書物で読んだりした。日本の兵隊さん
はいい人ばかりだったと懐かしむ人ばかり。
おじいさん一族が雲南から裸足でタイに逃げ込んできた、という中国系タ
イ人がいる。彼は、子供時代のお父さんが兵隊さんに遊んでもらって楽し
かった,という話をしてくれた。
そのタイ人もすこぶる付きの親日家である。タイ語のジアップ先生は日本
の兵士がタイ女性をレイプしたという話は聞いたことがないと断言してい
た。タイは口コミ社会,優しかった日本兵の話は語り継がれてきたのだろう。
ムーンサーン寺院には野戦病院があって、地域住民の病気や怪我を軍医が
診てくれたという。また戦後すぐとは思うが、兵士が住民と一緒に家畜を
飼い、野菜作りを手伝っていたそうである。寺院付属の展示館にはタイの
娘さん達と和やかに食事をする兵士の写真が残されている。
⚫️政府でなくボランティアが主催
チェンマイの戦没者慰霊祭はボランティアの実行委員会が手弁当で行って
いる。今の世話役は十数年ほど前に委員会を引き継いだ。それ以前からも
慰霊祭が行われていたらしい。ムーンサーン寺院にあった野戦病院で亡く
なった将兵は少なくない。荼毘が間に合わずそのまま埋葬された遺体もあ
ったという。戦後、遺族が寺院を訪れるたびに慰霊祭が行われていたが
1970年にムーンサーン寺院の境内に遺族団による慰霊碑が建立されてから
は例年の行事となったようだ。
慰霊祭の開催のほかに実行委員会では有志が慰霊塔の清掃、慰霊塔周りの
タイルの張替え、慰霊塔地区の人々との交流などを行っている、そのご尽
力には頭が下がる。
⚫️「大東亜戦争の日本人犠牲者約630万人」
⚫️8月15日に戦没者慰霊祭をやっている国は他にもある。日本人は51万人,
現地人も100万人亡くなったというフィリピンである。今年はやはり3年ぶ
りの開催、マニラ郊外の霊園には180名の参加があり,越川駐フィリピン日
本大使やフィリピン日本人会会長等が献花をし、戦没者への祈りを捧げた、
とある。フィリピンの戦没者慰霊祭は毎年,駐フィリピン日本大使館の主催
だ。
チェンマイの戦没者慰霊祭には総領事館からの花輪、それに総領事、筆頭
領事の挨拶はあったが大使館からは誰も来ない。主催者が違うからという
理由からかもしれないが、タイの戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、ち
と冷たいのではないか。確か3年前にはバンコクの日本大使館駐在の一等陸
佐が参加していたが、個人的な参列だったのだろうか。
タイ国は,一度は日本に呼応して英米に対し宣戦布告をし,共に戦った仲であ
る。バンコクやチェンマイはB29 の空爆を受けており,その犠牲者も併せて
慰霊の対象となっている。式では寺院僧侶団の読経があったから タイ人の
御霊も安らぐことと思われる。
⚫️同時中継に合わせて
慰霊祭は, 東京の武道館で行われた全国戦没者追悼式の同時中継と共に
行われた。武道館は感染症対策のため、例年の1,2割ほどしか参列者がい
ない。また国歌斉唱も今年は歌うことは自粛ということで演奏を聴くだけ
だった。
岸田首相の式辞を聞いた。こんなくだりがある。「未だ帰還を果たされて
いない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとに
お迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります」
バンガード高校には1万8千柱の、藤田氏の慰霊塔には彼が個人的に集めた
800柱の、ムーンサーン寺院周辺にも多数の遺骨があった。インパール作戦
での戦死、戦病死者は7万を超えるという。ミャンマーには遺骨収集団が
入れない地域もあり、未だ戻らぬ遺骨が多数ある。戦後77年、遺骨は故郷で
はなく土に戻ってしまっているのでないか。
⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️参考資料⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️
⬛️「世界の観光都市ランキング」 (2022Top15)
⚫️米国の旅行雑誌「Travel Leisure(トラベル・アド・レジャー)
が、読者投票により選ばれた「ワールド・ベスト・アワード2022を
発表した。
前回2017年「世界の観光都市ランキング(The World’s Top 15 Cities)
では、タイのチェンマイが3位に選ばれた。アジア部門では1位だった。
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1. オアハカ(メキシコ)
2. サン・ミゲル・デ・アジェンデ(メキシコ)
3. ウブド(インドネシア)
4. フィレンツェ(イタリア)
5. イスタンブール (トルコ)
6. メキシコシティ(メキシコ )
7. チェンマイ(タイ) ●
8. ジャイプール(インド)
9. 大阪(日本 ) ●
10. ウダイプル(インド)
11. セビリア(スペイン)
12.メリダ(メキシコ (同率)
12. 東京(日本) (同率)
14. 京都(日本)
15. シェムリアップ(カンボジア)
⬛️「為替(円ドル&タイバーツ)相場の推移」
( ●出典:Jiji通信)
●海外、特にタイに住まう場合、現地で手持ちの円通貨を現地通貨
のバーツに交換する必要がある。その場合その時どきの為替相場
によって円からバーツに兌換ができる。
タイバーツは、ドルとリンクしており、去る2010年から13年迄
は、日本の平均年金額(夫婦)22万円で、チェンマイでは約40
万円の楽な暮らしが可能だった。
しかし今年2022年のようにドル円が145円の円安となると、
現地では、タイの物価が安いとはいえ、相当、生活は苦しくなる。
年金で海外ロングステイを計画する場合、現地通貨の為替相場を事
前によく研究することをお勧めしたい。
⬛️戦前)「大東亜戦争中の日本の戦争地域」(1942年頃)
⬛️戦後)「日本のメコン周辺諸国への経済協力の実態」
(タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、ミヤンマー)
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