■■■■■■■■■■■■■学ぶという事■■■■■■■■■■■■■
松本光弘
・筑波大学名誉教授 ・元 日本サッカー協会理事 ・元 筑波大学蹴球部監督
■「孫娘の成長」
●昨日は孫娘サキの10歳の誕生日であった。
あれから10年たったのか!そんな思いを起こさせるのは10年前の6月12日
ドイツW杯日本代表の初戦を応援のため,11日に日本を出発する事になって
いた。孫の出産予定日は5月31日であった。
しかし、予定日は過ぎてもなかなかこの世に出てきてくれない。この状況
ではもうドイツから帰国してからの初対面となるだろうと覚悟をしかけた
6月6日、当時、娘夫婦が住んでいた多摩のあきる野にあった産院から電
話があった。これが初孫の誕生である。
●この孫娘サキが昨日私に頼んできたことがある。それは後日私が自分で
使おうと思い、購入しておいたタブレット端末をインターネットに繋がる
ようにしてほしいということであった。インターネットに接続してないタ
ブレットを私の書斎に限って彼女が使用することを許可していたのである。
彼女が通学する小学校では、すでに授業でタブレットを使用しての授業が
あるようだ。サキは3年前から 自分の8年間を振り返って、あるいは9年間
を振り返って、今度は多分10年間を振り返ってなどというタイトルを付け
てパワーポイントを作っている。いよいよITを扱う年齢になってきたかと
思い、またアナグロ中心の現実世界とデジタルを駆使したIT世界が区別で
きる年齢になりつつあることを確認しながら、そろそろ彼女の申し出に応
え、インターネット接続をする時期かもしれないと考えた次第である。
●「躾は“つ“が付く年までにしなければならない!」
これは私がごく親しくし、いろいろな小学生あるいは中学生期の課題につ
いて示唆を与えてくれた人の言である。一つ、二つ、三つ・・八つ、九つ、
次は・十。”つ“の付くのは9歳まである。この年までに 基本的な躾はして
おかなければならないとのこと。その主たる理由は自分が出てくる。 すな
わち自我が確立されてくるという事である。
・他人のいうこと、あるいは他人の注意が素直に聞けなくなる。
・自分が邪魔して素直に受け入れなくなる。
・あるいは周りの仲間が気になって”すなお”になれなくなる。
恥ずかしさが芽生えてくる。
確かに、このところのサキはこれまでと明らかに違ってきた。これまでは
素直な良い子であった。少々おませなところはあったが、日常生活の中で
そうそう問題になるようなことはなかった。毎日といってよいほど我が家
に来ているので観察は十分できた。
それがこのところ、これまでには見たこともない強烈な反抗をする。これ
はサキの性格であって彼女固有のものなのか、それとも10歳児以降の子供
の一般的発育発達にあらわれる現象なのかは定かではない。しかし たまに
見せる反抗の態度は明らかにこれまでと違う。
一つの例を挙げると、自分の意に沿わないことがあると、それに関連する
すべてのことを拒否する。それが自分の母親であっても、日ごろ面倒を見
てもらっている祖母であっても全く関係ない。「いやなものはいや」これ
が彼女の態度、姿勢、信念と思われるような権幕である。いよいよ子供か
ら少女になりつつあるのかな・。タブレット端末にインターネットを接続
してやるかな・・。
そのようなことを考える今日この頃である。
■「永遠の想い出」
●話は変わる。今日と明日、一年に一度、恒例の柏市でのお見舞いと野田
市での宿泊を伴った集まりがある。この集まりは、東京教育大学蹴球部の
私の初めての監督としての仕事であった蹴球部の面倒を見ていた昭和40年
から42年の3年間、生活の糧を提供してくれた亜細亜大学助手として働いた
時の同大学サッカー部の卒業生たちの集まりである。
彼らは私より3歳年下、すなわち昭和19年あるいは20年生まれの72歳71
歳である。現在の年齢になればほとんど彼らと私は差はない。みんなこの
集まりを楽しみにしている。みんな仲が良く、また面倒見が抜群である。
この仲間にはすでに鬼籍に入ったものが2人いる。みんなで毎年墓参りに行
き、そのうち亡くなった仲間の奥さん方もこの集まりに加わるようになり、
現在に至ってる。
一番大変なのはキャプテンであった守田君である。2回の脳溢血の発症で
今は ほとんど寝たきりでかれこれ10年、柏市の病院に入院し寝たきりで、
ほとんど意識がない。彼の奥さんは毎日、自宅の埼玉県幸手市から野田線
(今は別称アーバンバークライン)を使って柏市まで介護に通っている。
私たちは年に一度であるから守田に会うのが楽しみで集まれる。しかし奥
さんは大変だろう。
我々は毎年集まるごとに、守田の顔がうれしそうな反応をしたぞ!手を握
ると少し握り返えすようになったぞ!などと、前の年の様子と比較しなが
らみんなで守田のベッドを囲むことを年中行事としている。
守田の奥さんからの日常の守田の様子を微に入り細にわたり聞くのがみん
なの楽しみだ。ありがとうよ守田!、お前は俺らの宝物だ。不本意であろ
うが、お前はたまたま病に倒れ今のような寝たきりの、それも意識がほと
んどない生活になってしまっている。だがお前がいてくれるからみんなが
こうして毎年ここに集えるのだ。お前は不本意いだろうが、奥さんの介護
によって生きていてくれるから俺たちも頑張れるのだ。ありがとうよ守田。
さあ、これから車で出発だ。(2016.06.-7朝7:10)
■「サキの行く道」
●今日は6月11日土曜日、
上記の文を記してから3日が過ぎてしまった。上記の文を記すには2つの
理由があった。一つは孫娘サキの成長である。
トレーニングには5つの原則がある。
1.全面性(全体性)、
2.意識性、
3.漸進性、
4.反復性、
5.個別性
の5つである。
●「全面性」では、以下のようである。
彼女たちが成人してデジタルの世界を駆使するのであればできる限り幼少
期からパソコンやテレビゲームに馴染ませるのが良いように思われる。
しかしデジタルの世界では獲得できない生命の息吹や外界の現象や物理的
変化がこの世の中にはある。その本物を知らずして最初からデジタルの世
界のみで成長することは、大変危険な面を含んでいるように思われる。
私がよく例に出すのは、デパートでカブトムシを買ってきた子供が、そ
のカブトムシが死んだとき父親に言ったのが、「お父さん、電池入れ替え
てよ」の言葉であった。
このこと一つとっても、いかに現在に生きる子供たちがこの世の誕生から
ITの世界の発達までの「全体」を見逃す恐れがあるか。
このことは私たちのサッカーの指導にも多くの示唆を与えるものである。
先端のみを追い求めて、その「おおもと」を忘れる。良く歴史を学ばない
と本質を忘れる恐れがある。あるいは歴史は大切である。このことが意味
するものは重要だ。歴史や伝統というものをおろそかにするとどこかで問
題を生じてしまう。常に全体をとらえて物事を観察し、着手は具体的な細
部から行うことが必要である。
●「意識性」では、中学生になると、それまでの物事の受け止め方とは異
なった学習形態に移行する。
それは幼児から自我が確立するまでの幼年期の学習形態である「模倣」中
心から意識性の原理が成り立つ思考中心の学習形態になる。
●「意識性」とは、トレーニングの目的、方法、生理学的裏付け、心理的
裏付け、等々思考過程に従い科学的に行うことの必要性を表している。
これ以前の模倣期には特別原理的裏付けはない。ただただ良いものを見せ
る事、良いものに接する機会を多くすることである。言い換えれば、環境
を整えることである。
その環境から子供たちが何を対象にし、どのようにして、何を吸収してい
くかは個々の子供たちによって異なる。感性が磨かれるのはこの時期のよ
うである。模倣を中心とした学習時期が感性を養う時期でもあるようだ。
ここで云う個別の子供たちの吸収する対象や能力はもちろん個別性の原理
に入るであろう。しかし5原則の一つである個別性の原理とは 少々違うよ
うな気がする。
なぜかというとトレーニングの5原則の個別性の原理は、トレーニングを
行う本人あるいはトレーニングを課するコーチが意図的に、個人個人の特
性にしたがって行うものであり、模倣期の個別性は、意図的内容は全く作
用していない。いわゆる自然発生的なものであるからである。
●「漸進性」これはプログレッシブ、ステップバイステップ、段階的に学
習やトレーニングを進めること、である。このことはほとんどの人が理解
していることである。しかしその順序や進む速さや組み合わせはいろいろ
多彩である。そう簡単ではない。また一つの方法でのみ行うものでもない。
いろいろな方法や、尺度があり、創意工夫が大切である。これが自発的に
行われたらさらに奥深いものとなる。
●「反復性」これは最もわかり易いトレーニングの内容であるとともに、
最も多くの問題を含んでいるトレーニングの原理である。人間は繰り返
しが苦手である。これを根気よく、ばかになって、徹底的にやり通す。
シンクロの井村コーチはロス五輪後云った。「私たちがやったトレーニン
グは半端ではない。雨が降ろうと風が吹こうと少しも動じない」という意
味のコメントであった。非常に重い言葉であった。
●模倣期の感覚的な学習が中心の年齢では、ほとんど反復抜きにその動作
を獲得してしまうこともしばしばである。この時期が動作獲得の最適時で
ある。いわゆる運動学の権威マイネルがいう「即座の習得」時期である。
この時期までの子供たちの学習方法はほとんどが模倣である。このことは
子供たちの周囲には模倣すべき良質の対象を置くこと、言い換えれば良質
の環境を整えること、これが必要である。
言語、行動、習慣、規範、態度、躾、考え方、心構え、等々。また、衣類、
食物、住居のすべてに関わる事柄が直接子供たちに影響を及ぼす。
日常接する人々がそのすべてを担っているといっても過言ではない。同年
齢の子どもたちの世界も大切である。大人社会にのみ接している子供はあ
まり賛成できない。
ここで私が大切にしている一文を紹介して、このコーナーを閉じたい。
・もし子供が敵意とともに住むならば、彼は闘うことを学ぶ
・もし子供が恐怖とともに住むならば、彼は恐れることを学ぶ
・もし子供がねたみとともに住むならば、彼は憎むことを学ぶ
・もし子供が激励とともに住むならば、彼は自信をもつことを学ぶ
・もし子供が賞賛とともに住むならば、彼は感謝することを学ぶ
・もし子供が愛情とともに住むならば、彼は愛することを学ぶ
・もし子供が承認とともに住むならば、彼は目標をもつことを学ぶ
・もし子供が公明正大とともに住むならば、彼は正義を学ぶ
・もし子供が正直とともに住むならば、彼は真理とは何であるかを学ぶ
・もし子供が友情とともに住むならば、彼は世の中が素敵な住み場所であ
ることを学ぶ (作者不明)
カーティス・ゲイロード著、梅村清弘訳「現代コーチングの心理学」
(講談社)
●これを私が、筑波大学での最終講義(平成17年(2005年)2月23日)で引
用したところ、この日は丁度皇太子殿下の誕生日であった。夕方の殿下の
報道向けのインタビューでこれと同じ意味の内容が話されたとのことが最
終講義を聴きに来てくれた知人から連絡があった。
後で調べてみたら 「子どもが育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト
博士 著の本から皇太子殿下は引用されたようである。 (2016,08,22)
●あれから既に5年が経つ。ーー
サキ、彼女は今年15歳、高校受験の年である。
人生の方向を決める大きな選択が待っている。彼女たちのこれからの将来が
明るく素晴らしいものであってほしいと祈るばかりだ。
残念なことに私たちの柏の宝物キャプテン守田は、今年1月他界した。
ただただ 心で祈るだけ。これまで頑張ってくれてありがとう。
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