■■■■■敗戦そして預金封鎖、厳しかった再興への道■■■■■
●日本は今から70年前、世界の列強を敵に戦い、そして大敗した。
その後ボツダム宣言を受け入れ、幸いにして分割統治されることなく
米国統治で、再建に乗りだすことになる。
その間の経緯は「戦後70年日本の夏」前半で述べてきた通りである。
●途中、何回も触れたように、原爆や焼夷弾による都市空爆で廃墟
と化した日本が、わずか70年で再興され、しかも世界有数の経済国
として現存していることの本当の理由はなにか。
いまやそれは、世界の不思議とさえいわれているが、決して国民の
努力だけではなかったようだ。
戦争を知る世代が少なくなりつつあるいま、ぜひ再興の経緯と、その
真実を詳しく知って欲しいと思う。
●[戦後70年の安部談話」は、従来の自虐史観から脱却して「戦争
の付けを子供たちに残さない」ことを宣言した。大変良かったと思う。
■「財政債権への取り組み」
●今回の「戦後70年日本の夏」がお伝えする話は、戦後すぐ国民が
遭遇した脅威の話である。
いまと市場背景は全く異なるが、あの忌まわしい戦争の直後、当時の
家庭を営む全世代が、初めて直面した国家的な財政破綻デフォルト
をどう乗り超えたか、今後二度と起きてはならない事だけに、興味を
持って見て頂きたいと思う。
●1945年8月15日敗戦、
日本国民は、新しい再建生活を求めて、それぞれ動き始めた。
しかし戦時国債の発行や、物価統制で抑えられていたインフレが続発し、
生活物価は日ごと上昇した。 国の復興資金はいくらあっても足りない
状況が続いた、
・戦時国債の償還
・戦中の軍事物資の支払い
・復員兵士の帰還費用
・戦後復興の資金など
統治する米軍の指示で、日銀は円を大量に印刷したという。
その結果、たちまちモノ不足が生じ、またたく間に極度なインフレが蔓延
したという。人々は、米不足とかね不足に音を上げた。
■「日本初の預金封鎖」
●その時である、思いもしない不幸が、人々を襲った。
当時の幣原内閣は、突如として「金融緊急処置令」をだし、ラジオを通じ
て、全国民に預金封鎖と新円の切り替えの実施を発表した。
●当時の大蔵省資料を見ると、GDPの約3倍に膨れあがった国の借金
を返済して、財政のバランスを回復するために、国民の財産を集めて国
に移す目的があったとされる。
内容は、流通する円を一定額((世帯主月300円、その他1人月100円)に
限り新円に交換し、その他は、強制的に預金させ引き出しを認めないと
いう厳しいものだった。
●人々は、不安を募らせながらも、街中の銀行に長蛇の列を作り、銀行の
窓口で、旧円に証紙をはって新円にかえた。
ところが、不思議と暴動には至らなかったという。
(新円切り替えで銀行に列をなす国民)
■「経済再建と国民生活」
●先日もギリシャが、EUからデイフオルトを宣告される寸前までになって
他人事ならず心配したものだが、既に今を去る70年前、日本では、敗戦
後の全家庭で、おなじような厳しくも貴重な財政破綻の経験を持つていた
ことを知った。しかもこの要因は、「戦争」であることを決して忘れてはなる
まい。
●そして再建後に起こった朝鮮戦争の特需が、日本経済の再生に大きく
寄与した事は、ラッキーという他ない。 これによって鉄鋼や電力や繊維など、
日本の基幹産業は、大きく回復する。こうして日本は蘇生の歩みを進める
ことになる。 その後の日本再建と70年の足跡は、ご存じの通りである。
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