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■■■■■■チェンライでの母の日常■■■■■■
中西英樹
タイ王国チェンライ市在住、ロングスティヤー
■■2月のチェンライ」
●こちらに来て1ヶ月、全然雨が降らない。今朝の最低気温は 21度、
日中は30度を越えるが湿度が40%以下なので、それ程蒸し暑く感じ
ない。
夕方からまた気温が下がり始めるので熱帯夜になることはなく,爽や
かである。11月から3月までが乾季で、チェンライのベストシーズン
といわれている。いいときに来たと思う。
●介護経験のある方には分かっていただけると思うが、暖かいという
こと、天気がいいということは、介護者にとって大変有難いことであ
る。
母は衣服の着脱に介助が必要だが、こちらではTシャツ1枚,短パン1枚
ですむから、食事で汚しても簡単に着替えることができる。
洗濯や布団干しも心配ない。日本にいるとき布団を干さなければなら
ないのに雨、次の日も雨の予報となると暗澹たる気持になったものだ。
暖かいせいか、また夜中でも女中さんが世話を焼いてくれるのか、こ
ちらに来て布団干しは余り必要なくなった。洗濯も含めこういった仕
事から解放されたのは嬉しい。
今日も明日も雨模様で寒い日が続くでしょう、といったNHKの天気予
報を見るたびに兄弟で、こっちへ来てよかったなと言い合ったものだ。
■■チェンライの介護ケアー」
●日本にいるとき、デイケアで週に2回入浴させてもらっていた。
こちらでは毎日、2人の女中さんの介助でシャワーを浴びさせてもら
っている。日本にいるときと同じで、熱い、冷たい、やめて、なぜこ
んなことするの、と大騒ぎだが、バスタオルで体を拭き、新しいシャ
ツに着替えるころになると、おねえさん、ありがとう、などと言って
いる。
女中さんも母のありがとう、おいしい、やめて といった日本語を理
解するようになっている。ジェスチャーが伴うから何となく分かる
のだろう。「おねえさん」の呼びかけにも「はい、はい」と答えて
いる。 もちろん母はタイ語が分からないが、女中さんとの関係で特
に問題はない。
認知症のお母さんをこちらで見ていた人の話しを聞くと、女中さんと
言葉が通じないことかんしゃくを起こして大変だったとのこと。
●先日、兄が日本に一時帰国するとき、「一度、日本に戻ってまた来
るからね」と告げたところ母の答えは「日本てどこ?」というものだ
った。タイにいることを認識していないようだ。
タイの珍しい食べ物、果物にもほとんど興味を示さないほど、認知症
が進んでいる。意思疎通で女中さんともめるほどもはや頭脳明晰では
ないということか。いいような、悲しいような気持だ。
もう少し認知症が進んでいたら、パスポート取得や海外渡航が難しか
ったと思うし、もう少し認知症が軽度であれば、タイ生活への溶け込
みに問題が起きたことと思う。そういう意味で丁度よいときにタイに
来ることができたという感じがしている。
■■母の病状」
●母はじっとしていることが嫌いなようで、長いすからソファへ食卓
でもイスを移動する。女中さんに手を引いてもらって家の中を歩き回
るのも好きだ。おかげで日本にいたときより足もとがしっかりしてき
た。
ひとりで歩けるほど足が丈夫だったら立派な徘徊老人になっていたと
思う。車椅子に乗って近所を散歩することを本人は「歩く」と言って
1日2,3度繰り返す。
散歩中、日傘をさしているのだが、日差しが強いので日に焼けて黒く
なってしまった。「折角の色白美人が台無しだね」というと「本当だ
ねー」とまじめに答えている。まだしっかりしているのではないかと
思うときだ。
母は、近所で出会う人、誰にでも「こんにちわ、ご苦労様です」と日
本語で声をかける。こちらの人は必ず「サワディーカー」とにこやか
に挨拶を返す。そんなときタイの人の優しさを感じる。子供はお気に
入りのようで挨拶してくれる子に「可愛いねえ」を連発している。
●日本では街で「ひでき、ひできー」と知らない人に声をかけるので兄
がいつも当惑していたそうだ。「それがよー、腹が出ていて、頭の毛が
薄いおっさんにだけ呼びかけていたよ」と兄に言われ、こちらがすっか
り当惑してしまった。やはり母の病気は日本にいたときはかなり進行し
ていたのだろう。
こちらで変な体型のタイ人に「ひでき」と呼びかけないだけ、病状が改
善しているのだと思いたい。
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