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お休み

 中間試験が終わって久しぶりの休日、何をしようかと考えるまでもなく、妻が山本耕史の舞台(何と呼んでいいのかどうか、山コー本人にもよく分からないらしい)を観に行くことになっていたので、会場の「Zepp Nagoya」まで送って行った。その前に、弟の双子の長男・長女、そして1才の誕生を迎える次男のためにプレゼントを買いに松坂屋に行くことにした。松坂屋に着いたのは11時半頃だったが、いつもの日曜日だったら長蛇の列ができているはずの駐車場に待たずに入れたのには驚いた。このところの相次ぐガソリンの値上げに自動車の使用を控える人が多くなったのかと思ったが、そういえば昨日一日どの道を走っても意外なほど渋滞していなかった。車の使用を減らすしか自衛策はない今のガソリン高は、結局はガソリンの消費減を招き、ガソリンの値崩れになるのではないか、などと因果応報の法則が働き一時も早く適正価格に落ち着いてくれ、と半ば祈りのような気持ちで思ったりした。
 デパートの中はいつもどおりの混雑だったので、自動車ではなく公共交通機関を利用する人が増えたのかなとも思ったが、食堂街の蓬莱軒の賑わいは少しばかり異常だと思った。大きな荷物を抱えた若い女の子が大勢並んでいたのを見た妻が、「嵐が名古屋に来てるからかな・・」とぽつりと言ったが、ライブ会場で活躍する団扇をバッグの中に忍ばせた女の子も多かったので、本当にそうだったかもしれない。ジャニーズが現代を席捲しているような状況が仄見えたようで、なんだか薄ら寒い気がした。
 


 私が昼食をとったのは、蓬莱軒の隣の重慶飯店。このブログでも以前ふかひれラーメンの記事を載せた覚えがあるが、昨日食べたのは「天使の冷麺」。


「四川料理ならではの花椒と唐辛子のインパクトが味の決め手。辛さの中に旨みのあるちょっと大人の冷麺です」と説明があった。さすがに四川の地震のことを思い浮かべないわけにはいかない。今の私にできることは以前も書いたように被災者の人びとの生活が少しでもよくなるよう金銭面で協力することだけだ。今、ちょコムで義援金を送った。
 別にそれで言い訳になるとは思わないが、出されたものは全て平らげなければならない。説明どおり独特のピリ辛味のついた麺と、えび・イカ・貝柱などの海鮮が絶妙なハーモニーを生み出していて、とてもおいしかった。2310円が高いかどうかは別の話だが・・。
 この後、甥っ子たちへのプレゼントを買ってから、会場へ妻を送って行った。道を知らない私に、事情通の妻があれこれ説明してくれたが、初めて通る道を運転して緊張する私には半分ほどしか伝わらなかった。それでも何とかたどり着いて、妻を下ろした私は弟の住むマンションに向かった。そこで舞台の終了するまで時間をつぶす計画だったが、可愛い甥や姪と過ごしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。


 サングラスが彼らの「マイブーム」のようで、姪のひまちゃんはずっとサングラスを掛けていた。あーちゃんは相変わらずエネルギッシュで私が渡した誕生日プレゼントには見向きもせずに、ずっと暴れまくっていた。力が強くなっていて、私を相手に繰り出したパンチはなかなか強力だった。4月から通い始めた幼稚園も楽しそうで、友だちの名前も何人か教えてくれた。日々成長する子供たちを見守る弟夫婦のまなざしも暖かく、順調に育っているのがうかがえて嬉しかった。

 はっと気づいて慌てて迎えに行った妻は、舞台に至極満足したようで、やたら山本耕史を絶賛していた。傍から見ればたわいもない一日だろうが、久しぶりにのんびりできて私にはそれなりに楽しい一日だった。
 
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トルネーダー

 妻の妹に小学5年生になる息子がいる。3月生まれのその子に毎年誕生日になるとプレゼントをしている。「今年は何がいい?」とたずねたら、あれこれしばらく考えた後で、「トルネーダー」だと返事が来た。「何だそれは?」と思いながらも、楽天市場で買えると教えてくれたので早速注文しようとした。とは言っても、楽天市場を使うのは初めてだ。いつの間にか会員登録はしてあったが、なんだか手続きに戸惑った。アマゾンなら慣れているから、アマゾンでも売っているかと思って調べたが、あいにく売っていなかった。仕方がないので楽天で注文したのだが、後でメールボックスを見たら、注文完了メールが2通も入っていた。「あれこれやっているうちに2個注文したことになったんだな」と思って、すぐに1個キャンセルしようと思ってメールを返した。
 ところが翌日になっても何の音沙汰もない。「困ったなあ、キャンセルできないのかな・・」もう少し待って連絡がなかったら電話してみようと思った。ところがもう一夜明けたら、何と小包に入った「トルネーダー」が送られてきてしまった。


「参ったなあ・・」と思いながら義妹のところへ電話したら、「ありがとう。今届いた」と屈託のない返事が返ってきた。送り先が別々の商品を2個頼んだことになったのだろう。義妹に少しばかり事情を説明したら、大笑いされてしまった。その声を聞いていたら、あれこれ手続きを踏むのが面倒くさくなってきて、送られてきたものは自分用にしようと決めた。
「でも、これっていったい何だ?」
箱には「リモコンで動かすアクロバットロボ『トルネーダー』」と書いてある。これだけでは何も分からないので、包みを開けてみた。

 

なるほど、これらの部品を組み立てて作るんだな。「難易度(5段階で)3、チャレンジ年齢10歳、工作時間1時間」と書いてあるから、きっとそれほど苦労せずに出来上がるだろう。よし、作ってみよう。
 
 ①コントローラーを作る。

  


 ②本体を作る。

  

  

 一応これで完成した。やはりそんなに難しくはなかった。と言ってもただ組み立てるだけだから当たり前のことだが・・。こうしたキットを組み立てるたびに思うことは、本当は現代科学の粋が凝縮されたものだろうに、私のような素人でもいとも簡単に組み立てることができることだ。「難しいことを簡単に見せる」、それこそが科学の科学たるゆえんだ。現代科学を身近なものにするための技術者たちの努力には敬服するばかりだ。

 早速試運転してみた。なかなかトリッキーな動きをするので思わず引き込まれてしまう。



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追儺

 森鴎外に「追儺」という、節分の豆まき(本編では「豆打ち」)をモチーフにした短編がある。随筆と呼ぶべきものかもしれないが、昨日の節分に改めて読んでみた。今の私と同じ年頃に書かれたもののようで、その内容もなぜだか近しい思いがして、別格とばかり思っていた鴎外が初めて身近に感じられ、思わず「なんだ、鴎外も同じようなものじゃないか・・」などと少々不遜なことを呟いてしまった。その終わりに、次のような一節がある。

 「追儺は昔から有つたが、豆打は鎌倉より後の事であらう。面白いのは羅馬に似寄つた風俗のあつた事である。羅馬人は死霊を lemur と云つて、それを追ひ退ける祭を、五月頃真夜なかにした。その式に黒豆を背後へ投げる事があつた。我国の豆打も初は背後へ打つたのだが、後に前へ打つことになつたさうだ」

 昨日は弟家族がやってきて、双子の姪と甥が豆まきをしてくれた。毎年塾の授業で豆まきができない私に代わって、今までずっと息子が豆まきをしていたのが、今年は東京にいるからできない。どうしようかと妻と話していたところ、運良く弟家族が私の父の誕生日祝いにやってきたので、子供たちに豆まきを頼んだ。


 紙製の鬼の面を大人しくかぶるはずもない甥っ子に豆の入った枡を渡したのが失敗だった。「鬼は外、福は内!」という私の掛け声などまるで聞こえないようで、開け放したサッシから、ざーっと枡いっぱいの豆をすべてひっくり返してしまった。それには苦笑いするしかなかったが、意表をつく子供は面白い。枡の中にもう一度豆を満たしてやったが、キャッキャと嬉しがって同じことを繰り返す。まったくもう・・、とは言いながらも私の頬は緩みっぱなしだった。
 節分と言えば、ここ数年盛んになってきた「恵方寿司」も、弟が道すがら買ってきた。その後で、伯母から「巻き寿司を作ったから持っていく」と電話があって少々慌てたのだが、テーブルが巻き寿司だらけになったのはおかしかった。


 私はビールばかり飲んでいて、ほとんど何も食べなかったが、今年の恵方と言われる南南東を向いて、巻き寿司を黙々と食べていた妻の顔はおかしかった。土曜には地元の神社に厄除けのお祓いをしに行ってきたようで、お下がりの鰯を食べさせてもらった。これで旧年の災いが離れて行ってくれればいいが・・。
 父は戸籍上は2月6日が誕生日だが、本当は3日が誕生日だとずっと言い続けている。ここまで生きてこれたら、そんな1日2日のことなどどうでもいいから、私たちはただ、はいはいと聞いているのだが、今年は3日がうまく日曜と重なった。お祝いに買ってきた長~いケーキにろうそくを立て、双子が「Happy Birthday!」を合唱してくれた。なかなか上手に歌った後で、二人息を合わせてふーっとろうそくを消した。


 さすがに小さな孫に祝ってもらえるのは嬉しいらしく、父の相好はくずれっぱなしだったが、幼い二人が一生けんめい歌う姿をみていたら、私でさえ胸が熱くなった。そんな父を見ながら、来年は数えで喜寿を迎えるから盛大にお祝いしようと皆で話し合った。
 それにしても、父に誕生祝いのプレゼントを買っておきながら、家に忘れてきたという弟夫婦のおとぼけぶりにには、「何しに来たんだ?」と思わず腰が折れそう
になった。ちゃんと落ちをつけるのも心憎い気配りではある・・。
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1月2日

 本当に穏やかな日だった。我が家は、毎年2日の朝には自然薯をすってとろろを食べることになっている。私が朝目覚めると、もう父が一人であらかた作り終えていた。妻の母も一緒に食べることになっているので、私が車で迎えに行った。

 

 花好きの義母だけあって、庭には丹精込めた椿の鉢がたくさんあった。正月の清清しい気持ちと椿の花はよく合う。思わず携帯で写真を撮ったが、よく見ると蝋梅も庭の片隅で1つ2つと花弁を開いていた。
「ずっと暖かかったから花が開くのが遅かったねえ。毎年お正月前に咲くのに今年はまだこれだけ・・。蝋梅っていうのは「事始め」の花だから、もうちょっと早く咲いておいて欲しいねえ」
とか、相変わらず薀蓄を披露してくれる。面白い婆さんだ。
 家に着くと娘や息子を起こして朝餉が始まった。今年初めて食べるとろろは、父が早朝から時間をかけて丁寧にすったお陰で、「丸い」口当たりがしておいしかった。食べ終えて、縁側から空を眺めていると穏やかな日差しが差し込んできて、ぽかぽかとあったかい気持ちになった。


 こんな気持ちのまま日本酒でも飲めたら別天地に遊べただろうが、残念なことに昼から塾がある。いくらなんでも酒を飲んで授業をするわけにはいかないから、我慢した。だが、久しぶりに長閑な気分を味わえた、これこそ正月だ。

 塾が終わると、母の実家で行われる新年恒例のお年玉交換会に行った。今年は旅行に行った者が多く、集まった数は例年より少なかったが、それでも小さな子供たちを合わせれば総勢30人ほどにはなった。毎年2日に集まって近況を確かめ合うのはいいものだ。できればこの集まりがずっと続いてほしいものだが、だんだんと家庭の事情で集まる数が少なくなってきているのは寂しい。
 その後は父の主催で私の妹弟家族を集めた食事会が開かれた。少々大袈裟なことを言えば、2日は分刻みで行動が決まっている。最近とみにせっかちになってきた父のご機嫌を損ねないよう、きっちり予定通りに動かねばならないからちょっと面倒くさい。一年に一回父が大盤振る舞いしてくれるのだから、文句など言ってられないし、好々爺然とした父を見られるのも嬉しいから、皆粛々と行動することになっている。



 はしゃぐ甥っ子を携帯のムービーで撮ってみたが、動きが速すぎてモザイクがかかったようになっているのがおかしい。元気な奴だ、これからどんな男になっていくのだろう、楽しみだ。

 楽しいひと時を過ごして家に帰った後は、子供たちと久しぶりに「七ならべ」をして遊んだ。相変わらず娘が妙な強さを発揮して、息子は毎回早いうちに負けた。ただ一度息子が勝ったのに大喜びをしていたが、もうちょっと戦術というものを理解したほうがいいんじゃないかと思った。まあ、まっすぐなところが長所でもあるんだろうが、この先裏道も知っておかないと損をするような気がする・・。

 ともあれ、心が休まる愉快な一日だったが、私もそろそろ通常モードに切り替えなければいけない。
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花火

 塾の夏休み1日目、弟家族がやってきた。生まれて2ヶ月も経たない赤ん坊を連れてくるというので、「大丈夫か?」と言ってみたが、なぜだか私たちに顔を見せたいのだそうだ。首の座ってない幼子を外に連れ出さなくても、と思うのだが、そんなことを心配するのはもう旧世代の証拠なのかもしれない、まったく気にする様子もなく、弟家族は元気にやってきた。双子の甥っ子は、金曜にナゴヤドームへ野球観戦に行った余韻が残っているようで、盛んに「ジャイアンツとドラゴンズが・・」と私に話してくれたが、イマイチ要領を得ない。応援用の小さなバットとビニールボールでしばらく遊んでやったが、とにかく元気だ。一瞬たりともじっとしていないので、暑さにへばり気味の私ではとてもついていけない。私より10歳下の弟でもなかなかつらいだろうなと思わせるだけのパワーの持ち主だ。カメラを向けたら、小さいけれどがっちりした体つきを披露してくれた。


これでも一応お兄さんなのだから、時々妙にお兄さんぶったところを見せる。毎日生まれたての弟に何十回もキスをするのだそうだ。


 姪は最近やっと、赤ん坊の存在がどういうものなのかが分かってきたようで、可愛がり始めたという話だ。一方、甥は初めから弟ができたことを喜んでいるらしく、やたら引っ付いていくと義妹が話した。この辺りにも二人の性格の違いが表れていて面白い。
 
 夕方になって花火をやることにした。妻と私で双子を一人ずつ連れながらコンビにまで花火を買いに行った。途中で出会った近所の人に「お孫さん?」などと冷やかされたのも、そんな年恰好になってしまったのかと、軽いショックを受けたりした。


去年も夏に私の家で花火をやったが、双子にとってはそれ以来のことなのだそうだ。初めは二人とも遠巻きにして、私が火をつけて遊んでいるのを見ているだけだったが、少しずつ近づいてきてとうとう最後には自分たちの手で持つようになった。

  

 娘や息子が小学生の頃までは、夏になると毎週花火をやっていた。ロケット花火や打ち上げ花火などで派手に遊んだものだが、子供たちが大きくなったここ数年はそんな機会もなくなって、寂しい思いをしていたから、双子がこうやって花火を楽しんでくれるのが分かって嬉しくなった。「子供と楽しく遊んだ思い出を、孫と一緒に追体験する・・」、なんだか本当に爺さんになったような気がしないでもないが、今回は「遊び友達ができて嬉しい」という気持ちに満足しておくべきだろう。
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こんにちは。

 19日、私の弟に男の子が生まれた。双子の父親でもある弟にとっては、3人目の子どもだ。2600gの小ぶりな子だが、母子ともに元気だと、その夜弟から電話がかかってきた。まずは元気がなにより、心から祝福した。双子のときは女の子が2000gで男の子が1600g、ともに生まれてから1ヶ月以上保育器の中ですごしていた。それが今度の子は生まれてすぐに自分の腕で抱けたと、嬉しそうに弟が話した。私も初めて病院で二人を見たときはあまりに小さくて驚いた。これで本当に育つだろうかと心配になったが、順調に大きくなって今ではかなりのやんちゃ振りを発揮している。嬉しいことだ。
 昨日金曜日に赤ちゃんに会いに行った(名前はまだ決まっていない)。弟家族の住むマンション近くの産婦人科病院で弟が通うには便利だが、双子の子ども達の面倒は義妹の実家でみてもらっているそうだ。病室をノックして入っていくと、義妹のベッドのすぐ横にベビーベッドが並べられていて、その中で眠っていた。
「ずっと寝てるんですよ」
と義妹が教えてくれる。写真を撮るときにフラッシュをたいてもまぶしそうにするだけで、目を開けないのだそうだ。その辺りは高校生の頃、家ではずっと寝っぱなしだった弟によく似ているのかもしれない。私の父は一緒について来なかったので、8人目の孫の顔を見せようと思って写真を撮った。


生まれたての赤ちゃんは、日に日に顔が変わっていく。最初は双子の男の子に似ていたのが、だんだん女の子の方に似てきたと義妹は言う。私が見る限りはどちらにも似ているようだし、似ていないようにも見える。結局私たちがいる間ずっと寝ていて一度も目を開けなかったので、どういう顔なのかよく分からなかった。
「目は奥二重で上の男の子に似ています」
と義妹が解説してくれたが、まあ、私の血を引く男なんだから、カッコいいに決まっている・・。
 赤ん坊の手のひらはよくもみじに喩えられるが、触ってみると本当に柔らかい。
「生まれたばかりの赤ちゃんの手ってめちゃくちゃ柔らかいね」
と私が言うと、頭をそっと撫でていた妻が、
「当たり前でしょ、そんなこと」
と私をバカにしたが、赤ちゃんを触るなんて久しぶりだから感触を忘れてしまっていた。耳たぶもプリプリしていて実に気持ちよさそうだ。


これくらいの赤ちゃんを見れば「可愛い!」と溜息をつくことしかできない。人間の始まりはこんなにもいとおしい姿なんだと少しばかり感動した。できればこんな無垢のまま育っていってもらいたいが、そんなに簡単なものじゃない。だが、生まれてきたことを祝福してくれる人間が周りにたくさんいることだけはいつまでも忘れないでいて欲しい。私からのお祝いの印として、次の詩を贈ろう。

  「奈々子へ」 吉野弘
赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり 奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの つややかな頬は
少し青ざめた

お父さんにも ちょっと酸っぱい思いがふえた
唐突だが 奈々子
お父さんは お前に多くを期待しないだろう

人がほかからの期待に応えようとして
どんなに自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり知ってしまったから

お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ

人が人でなくなるのは 自分を愛することをやめた時だ
自分を愛することをやめる時
人は他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう
自分があるとき 他人があり 世界がある

お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた
苦労は 今は お前にあげられない

お前にあげたいものは 香りのよい健康と
かちとるにむずかしく はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ




幸せな人生を歩めるように。

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楽しい


 日曜日、双子の甥と姪の誕生日(7月1日)のお祝いを買った。まだしばらく先の話だが、たまたま出かける用事があり、しかも弟家族がその日の夕方に遊びに来るとの連絡があったから、プレゼントすることにした。今年で3歳、未熟児として生まれ保育器でしばらく育った二人がちょっとした会話をできるようになるまで成長したのは心から嬉しい。しかも今月中には弟が生まれる予定になっている。

「赤ちゃんの名前は何?」と私が聞くと甥っ子が応えた。
「○○(苗字)あかちゃん」
「赤ちゃんはどこにいるの?」
「ここ」と言って、はちきれんばかりになった母親のお腹を指す。
二人を帝王切開で産んだためなのか、今度の子供も帝王切開する予定になっていると言う。2週間入院する必要があり、その間双子を義妹の実家の方で面倒を見てもらうことになっているそうだ。
「そんなに長く二人から離れたことがないから心配」
と義妹は言う。二人にとっては生まれて初めての試練なのかもしれないが、こうしたことを乗り越えることでまた一つ成長するのかもしれない。


 夕食は最近開店したばかりの近所の中華料理店に行った。昨年末に開店する予定だと言われていたのが、どういうわけだかなかなか営業を始めず、どうしたのかなと気にかけていた店がやっと開店した。歩いて行ける飲食店が近くになかったため、待望していただけにこの開店は喜ばしい。少し離れたところに開店したベトナム料理の店は早くも開店休業状態だが、この中華料理店は開店以来連日多くの人が訪れて盛況のようだ。食事に行った近所の人の話を聞いてきた私の父が、「俺がおごってやるから行こう」と2、3日前から言っていた。そこへ運良く弟家族がやってきたため、久しぶりに大勢で食事をすることができた。
 息子が東京に行ってしまって以来、多くても私と妻と父の3人での食事になってしまっているので、弟家族が加わっての食事はにぎやかで楽しかった。6時前に出かけたのだが、店内はほぼ満員で活気があった。さすがに近所だけあって、知った顔も何人か見かけた。その中には、以前私の塾に通っていた者もいて、久しぶりに出会った元生徒は懐かしかった。歩いて行ける店は車の運転の心配がないため、ビールをグイグイ飲める。双子達もそれなりにお行儀よくご飯を食べている。私はツナがたっぷりのった冷麺を食べたが、結構おいしかった。父も味には満足したようなので、食事の際の選択肢が一つ増えてよかった。
 中華料理店のすぐ近くに100円ショップがある。食事を終えて、そこで子ども達にシャボン玉を買ってやった。家に戻って盛んにシャボン玉を飛ばす二人を眺めていると、人はこれくらいの時期が一番いいのかなと思ったりした。私の娘や息子もこれくらいの頃が一番可愛かったような気がする。最近の娘など・・とついつい比べてしまう。それもまた幸せなのかもしれないが。
 
 休みの少ない私にとっては、こうしたのんびり過ごせる日曜日は貴重な一日だ。何もしないで過ごしても一日、何やかやと忙しくしても一日、どちらが休日の過ごし方としてふさわしいのかよくは分からないが、一日の終わりに「ああ、楽しかった」と振り返ることができれば、それで満足できる。
 
 楽しかった。
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プレゼント

 私には、今現在6人の甥・姪がいる(来年の夏にはもう1人増える予定)。その子達に毎年この時期になるとクリスマスプレゼントを贈ることにしている。今年は中3の姪が図書カード、中1の甥と小4の姪がそれぞれニンテンドーDSのソフト・「ポケモン」パールとダイアモンド、小3の甥もDSソフト「星のカービー」を贈った。1人1人に欲しいものを確認したから、皆満足してくれたと思う。しかし、双子の甥と姪はまだ2歳半で、何が欲しいかなどということをたずねることもできないので、自然親の意向に従うことになる。今年は服が欲しいということで、2週間ほど前に買いに行った。それを昨日の日曜日に家族全員でとりにやってきた。

 

久しぶりに「ミキハウス」の服を買った。娘が幼かった頃はよく買ったものだが、余りにポピュラーになりすぎていつしか買う気がなくなってしまった。息子の時にはほとんど買っていないし、その後親戚に子供が生まれたときも違うブランドでお祝いしていた。なので10年ぶりくらいに「ミキハウス」の服を買ったことになる。姪にはピンクのワンピース、甥にはトレーナーとズボンを買ってやったら、あと3000円追加したら、写真のバッグがもう一つもらえると言われたので、仕方ないなと靴下を買ってバッグを2つもらってきた。「3000円では買えないものですから」などと店員に乗せられてしまったのかもしれないが、子供たちに見せたら気に入ってくれた。帰るまでずっと肩にかけていてくれていたから、私としても奮発した甲斐があった。
 
 双子も2歳半近くなって、会うたびに成長のあとを見せてくれる。以前とは違って、家の中に入っても泣くことはなくなり、それぞれが訳の分からぬことをずっとしゃべり続けている。私の父などは、「外国語を話すなよ」などと目を細めているが、私も妻も同じように双子たちの前ではただひたすら微笑んでしまう。もう何年かして孫ができたなら、もっと甘い爺ちゃん・婆ちゃんになってしまいそうな気がして、ちょっと不安になってくる・・。
 甥っ子は他所に出かけると、興奮するのか、じっとしていないそうだ。我が家でもやたら走り回って、動き回っていた。最近でんぐり返しができるようになったらしく、嬉しいのか何度も繰り返してくれた。

  

 

なかなかの身軽で、グリングリン繰り返していたが、余りに暴れすぎたのか、夕食を食べたあと、全部ゲロゲロと吐き出してしまった。弟も義妹もその処理にてんてこ舞いしていたが、来年になってもうひとり子供が増えたらいったいどうなるんだろう。かなり心配な気もするが、今までなんとか乗り切ってきた弟夫婦だから頑張っていってくれるだろう。私には大したことは何もできないけど、これからもクリスマスなどの節目節目ではささやかながらプレゼントをして、少しでも役にたっていかねばならないと思っている。


妻の描いた甥っ子の顔。



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かかし

 一昨日父が家の入り口に植わっている松の手入れをしていた。これは「門かぶりの松」にしようと、父が35年近く前に山から抜いてそこに植えたものだ。門などという立派なものはない家なので、厳密には「門かぶりの松」などとは呼べないけれど、長い間かかってやっとそれらしい枝ぶりになってきた。父は年に一度か二度くらいしか手入れをしないので、ほぼ自生しているようなものだが、手入れの終わったあとでじっと見ているとなかなか趣深い形をしている。


昨日私が出先から帰ってきたら、父が松のところで私に何か話したそうな顔をして待っていた。
「何かいいことでもあったの?」と私が聞くと、ニヤニヤしながら、
「今朝、この松の枝振りが気に入って眺めていたら、小さい鳥が飛んできて俺の帽子の上にちょこんと止まった。えっ?と思って、手で払いのけたら、羽が2,3枚飛んだけど、逃げていった。鳥のくせに俺をかかしと間違えやがった」と嬉しそうに話す。それを聞いた妻が、
「だいぶ枯れてきたってことかな」と笑いながら話すと、
「そうかもな。だけど、もうちょっと早く動いたら、捕まえることができたのに・・」と、相変わらず野生児のようなことを言う。もし捕まえていたら、新たな武勇伝となっていただろう、残念だ、などと私も思わず苦笑いをしてしまったが、いくらなんでも生きた人間をかかしと間違えるとは、ふざけた鳥もいるものだ。家で飼われた鳥が人の体の上で遊ぶというのはよく見聞きするが、野生の鳥が人の頭に止まるとは初耳だ。確かに父は、ひざを捻挫して以来歩き方が年寄りくさくなったとは思うが、畑に毎日出かけて行くし、なかなか元気な爺さんに見えるのだが、どうしてそんな父の頭に小鳥が乗っかったものだろう、不思議だ。

 この前の日曜日、弟夫婦が家にやって来て、私は双子の子供たちと楽しいときを過ごした。元気溌剌な甥っ子はボール遊びが好きで、ビニールボールでサッカーをしてやったら、2歳にしては驚くほど反応がいい。ボールを転がしてやるとタイミングを計ってけり返してくる。こいつは面白いと思って、バットで打ち返すこともできるかなと、甥っ子と一緒に100円ショップに行ってバットを買ってきた。袋に同封されていた小さなボールを転がしてやると、長いバットを巧みに操って正確に打ち返してくる。
「おお、すごい!!」と何度も叫び声を上げているうちに、私の父が部屋にやって来て、甥っ子に向かってボールを転がし始めた。甥っ子の妙技に父も感心して、本当に嬉しそうに顔をくしゃくしゃにしながら何度も繰り返していた。真剣にボールを見つめる2歳の甥っ子と、嬉々としてボールを転がし続ける73歳の父、どちらが幼児か分からない気がしてきて、何だか不思議な感じがした。
 
 弟夫婦が、帰り際に「もう一人子供が生まれることになった」と告げた。「おお、本当か、それはよかった」と驚きながらも私が祝福すると、少し照れながら弟は父の部屋に報告をしに行った。父も喜んでいたが、これで8人目の孫が誕生することになる。私が2人、妹と弟が3人の子供を持つことになるから、一人少ないのはちょっと悔しい気もするけれど、そんなことは今さら言っても仕方がない。ただただ、元気な子供が生まれてくるのを祈るばかりだ。
 父も、鳥にかかしと間違われるような枯れた人間になってしまうのはまだまだ早い。生まれてくる新しい孫のためにも、いつまでも元気で生き生きした毎日を過ごしていってもらわねばならない。 


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12×2

 従兄弟の四十九日法要があった日曜、もう10日近くなるが、法要に参列した私の弟を迎えに双子の子供たちが母親と一緒にやってきた。と言っても、私は御斎でかなり酔っ払ってしまい、帰宅してから甲子園大会の決勝を見ているうちに眠ってしまって、気がついたら試合は引き分け再試合となっていた。びっくりして居眠りしていた塾の事務室から慌てて自宅に戻ってみると、双子たちが台所に座って夕飯を食べ始めたところだった。「おお、来てたのか」などと訳のわからぬ声を上げながら二人に近づいていっても、さすがに2歳を超えただけあって、わーっと泣き出すことはせずに、興味深そうに私を見ている。この子達に会う時は、ほとんどと言っていいくらい私は酔っ払っているので、きっと彼らの目には私の顔はいつも真っ赤に映っていることだろう。情けない話だが、2、3ヶ月に一度しか会う機会はなく、来たら来たで歓迎してやらねばならないから、ついつい酒宴となってしまう。弟は私とは比べものにならないくらい酒豪であるため、父と二人で日本酒を酌み交わし、私と妻がビールで座に加わる。義妹もかなり酒には強いが、こういうときには運転手とならなければならないため、我慢しているが、家に帰ったら飲むようにと、いつもビールを手土産に渡している。
 

この写真は酔っ払った私が携帯で撮ったものだが、さすがに酔いが回っていたらしくかなりブレてしまった。でも、ブログに載せるにはこれくらいの方が子供たちの顔がはっきり見えなくていいかもしれない。二人とも、7月1日の2歳の誕生日に私がプレゼントした服を着てきてくれた。姉のほうが生まれてからずっと大きいがこれでも差がだいぶ縮まったほうだ。遠近の関係もあってかなり違って見えるが、実際はこんなに違いはない。弟は運動神経がかなりいいようで、俊敏な動きをしているし、ボールを投げたり蹴ったりするのも驚くほどうまい。欲目かもしれないが、将来運動選手にするとなかなかの才能を発揮するのでは、などと思ってしまう。姉は、このワンピースがよく似合う、お嬢様風の顔立ちをしていて、サルのような顔をした弟と双子だとはとても思えない。しかし、姉のほうが弟を頼りにしているようで、いつも、「あーちゃん、あーちゃん」と弟の名前を呼んでいる。残念なことに、暴れん坊の弟の耳にはめったにその呼びかけは聞こえないようで、一人で部屋を走り回っている。
 
 「コンビ二に行こうか」と私が二人に呼びかけると、甥のほうが私に抱きついてきた。「よし、行くぞ」と掛け声を上げると、私の弟が娘を抱いて後からついてきた。甥を抱きながら、「コンビニ、コンビニ!」と私が声を上げていると、甥も「コンビニ、コンビニ」と繰り返す。私はうれしくなって「コンビニ、コンビニ」、甥も「コンビニ、コンビニ」とずっと繰り返していた。しかし、200mもそうやって歩いているうちに、次第に腕がだるくなってきた。「そういえばこいつやけに重いなあ」そう言って後ろを振り返ると、弟が「12kg」と答えた。「本当?そんなに重いの、へーえ・・」未熟児で生まれて、数ヶ月保育器から出られなかった甥がもう12kgになったのか、すごいなあ・・私は思わず感慨にふけってしまったが、腕のだるさはますます激しくなる。「本当に重いなあ」、そう弟に言ってみるが、娘を抱いている弟はさほどでもないという顔をした。それじゃあ負けちゃいられないと、もう一踏ん張りして何とかコンビニにたどり着くことができた。
 二人に好きなものをいろいろ買ってやって、さあ帰るかと、今度は姪を抱いてコンビニを出たのだが、途中から「パパ、パパ」と言って父親の方に行こうとする。じゃあ、交代するかと甥を受け取ろうとしても嫌がって私の方には来ない。「いいよ、二人とも抱いていくから」、そう言って弟は左右の腕に一人ずつ抱えながら、さっさと歩いていく。そのまま家までふたりを抱えたままとうとう帰り着いてしまった。私はコンビニの袋を両手に抱えてついて行ったのだが、そのときの弟の力強さには驚いた。12×2=24kg・・・と同時に、父親って言うのは本当に強いものなんだな、と大した父親になれなかった私は心から感動した。
 いつの間にか弟のほうが立派な父親になっていた。
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