毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
やっとかめ
名古屋弁で「やっとかめ」というのは「久しぶり」という意味だ。例えば、久しぶりに会った友人に「やっとかめだがね。元気にしてりゃあたか?」などと使うのが一般的だ。まあ、名古屋弁の中では割とポピュラーな言葉なので、少しは全国的に認知されているかもしれない。
18日の日曜に、本当に「やっとかめ」に、弟家族がやってきた。父の日のプレゼントを渡すためにやってきたのだが、この前会ったのが5月のはじめだから、1ヵ月半ぶりになる。それくらいで「やっとかめ」というのは少々大げさかなとは思うが、私としては随分会っていなかったような気がした。彼らが来るたびに、このブログで子供たちの様子を書きとめてきたため、伯父から見た子供たちの成長記録をかいている気もしている。来るたびに何かしら成長のあとを見せてくれるので、思わず書き残しておきたくなってしまう。
男と女の双子である。二卵性なので、顔は全く似ていない。性格も、おとなしい姉とやんちゃの弟と、好対照をなしている。今までなら、私たちの顔を見るや否や泣き始め、30分ほどは親にへばりついてぐずっていたのに、今回はまるでそんなことはなかった。家に入った瞬間から、元気に動き回り、私が「やっとかめ」と声をかけてもニコニコしている。えらく変ったもんだなと感心していると、弟の方がやたら走り回って忙しい。姉のほうは絵本を出しておとなしく見ていたが、弟が気になるらしく、集中できない。弟はそんなことは全くお構いなしに、家中を走り回って、手あたり次第に色んなものをもってくる。父親が後ろで追っかけても、なかなかつかまらない。とにかく素早い。
台所においてあったゼリーの箱を見つけ、父親に取ってもらって居間に運んできた。妻が双子に食べさせるようにおいていったものだが、目ざとく見つけた嗅覚はさすがだ。マスカット・いちご・オレンジなどの果物が入ったぜりーだ。二人とも1つずつ手にして開けろと親にせがむ。母親がスプーンで交互に食べさせると、休むまもなくパクつく。1つ食べても足りないらしく、次をせがむ。おいしいらしくて嬉しそうな声をあげながら、一心に食べる。どれだけでも入っていきそうだ。こんな旺盛な食欲があれば健康なんだろう。未熟児で生まれた二人がこんなに元気に育ってくれたのはうれしい。弟夫婦がここまで育てるには相当な苦労があっただろうが、こんな元気だったら、それも報われるだろうなどと、大した協力もしてこなかった伯父としてはいい加減なことを考えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/08/92fb332c4c68cb85e04e076bb7327aca.jpg)
二人の誕生日は7月1日。もうすぐ2歳になる。前と比べれば彼らの話す言葉が随分明瞭になってきた。「パアパ」「マアマ」と親を呼ぶ声はかわいらしい。弟の方を抱いて犬小屋まで連れて行って、弁慶に会わせたら、「ワンワン」と呼びかけた。さすがに弁慶に触らせることはできなかったが、それでも動物を見るのはうれしいのかじっと見ていた。父の部屋に、二人が生まれた日に撮った写真が壁に掛けてあるが、その写真と比べるとよくぞここまでという感慨を新たにする。でも、まだまだこれからだ。どんどん大きくなって、もっともっと両親を困らせなければならない。
よし、誕生日にはまた何かプレゼントしてやるからな。待ってろよ。
18日の日曜に、本当に「やっとかめ」に、弟家族がやってきた。父の日のプレゼントを渡すためにやってきたのだが、この前会ったのが5月のはじめだから、1ヵ月半ぶりになる。それくらいで「やっとかめ」というのは少々大げさかなとは思うが、私としては随分会っていなかったような気がした。彼らが来るたびに、このブログで子供たちの様子を書きとめてきたため、伯父から見た子供たちの成長記録をかいている気もしている。来るたびに何かしら成長のあとを見せてくれるので、思わず書き残しておきたくなってしまう。
男と女の双子である。二卵性なので、顔は全く似ていない。性格も、おとなしい姉とやんちゃの弟と、好対照をなしている。今までなら、私たちの顔を見るや否や泣き始め、30分ほどは親にへばりついてぐずっていたのに、今回はまるでそんなことはなかった。家に入った瞬間から、元気に動き回り、私が「やっとかめ」と声をかけてもニコニコしている。えらく変ったもんだなと感心していると、弟の方がやたら走り回って忙しい。姉のほうは絵本を出しておとなしく見ていたが、弟が気になるらしく、集中できない。弟はそんなことは全くお構いなしに、家中を走り回って、手あたり次第に色んなものをもってくる。父親が後ろで追っかけても、なかなかつかまらない。とにかく素早い。
台所においてあったゼリーの箱を見つけ、父親に取ってもらって居間に運んできた。妻が双子に食べさせるようにおいていったものだが、目ざとく見つけた嗅覚はさすがだ。マスカット・いちご・オレンジなどの果物が入ったぜりーだ。二人とも1つずつ手にして開けろと親にせがむ。母親がスプーンで交互に食べさせると、休むまもなくパクつく。1つ食べても足りないらしく、次をせがむ。おいしいらしくて嬉しそうな声をあげながら、一心に食べる。どれだけでも入っていきそうだ。こんな旺盛な食欲があれば健康なんだろう。未熟児で生まれた二人がこんなに元気に育ってくれたのはうれしい。弟夫婦がここまで育てるには相当な苦労があっただろうが、こんな元気だったら、それも報われるだろうなどと、大した協力もしてこなかった伯父としてはいい加減なことを考えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/08/92fb332c4c68cb85e04e076bb7327aca.jpg)
二人の誕生日は7月1日。もうすぐ2歳になる。前と比べれば彼らの話す言葉が随分明瞭になってきた。「パアパ」「マアマ」と親を呼ぶ声はかわいらしい。弟の方を抱いて犬小屋まで連れて行って、弁慶に会わせたら、「ワンワン」と呼びかけた。さすがに弁慶に触らせることはできなかったが、それでも動物を見るのはうれしいのかじっと見ていた。父の部屋に、二人が生まれた日に撮った写真が壁に掛けてあるが、その写真と比べるとよくぞここまでという感慨を新たにする。でも、まだまだこれからだ。どんどん大きくなって、もっともっと両親を困らせなければならない。
よし、誕生日にはまた何かプレゼントしてやるからな。待ってろよ。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
つれない
昨日は、妻の妹の家族と、鱒釣り場に出かけた。ここは、昨年の8月29日に「大漁」という題名で紹介した場所であり、それから8ヶ月ぶりに訪れたことになるが、昨日の釣り場は実に閑散としてもの寂しい雰囲気が漂っていた。かなり山の中にあるため、知る人ぞ知るといった穴場ではあるが、あまりに人がいないとやはり寂しいものである。市街地は桜など散ってしまったが、さすがにここまでくるとまだ花の残っている木もあって、風に吹かれた花びらがひらひらと舞い落ちてくる。それがまたえも言われぬ寂しさを誘う
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/816d.jpg?BC1qb8EBNXm1UKT.)
とは言っても、まったく釣れない。いつもなら練り餌をつけた釣り糸を水の中に投げ入れれば瞬時に鱒が寄ってきて、竿をくいっと上げるだけで釣れるのに、今日は当たりさえない。しかもいつもに増して流れ来る水に勢いがあるため、水面が波うってじっと見ていても魚影が見にくい。魚の群れがいるところに針を投げ入れさえすればつれる、という感覚でいる私にはなんともイライラが募る状態である。30分ほど頑張ってみたのだが、まったく釣れない。もう何十回となく来たことがある釣り場なのだが、こんなことは初めてだ。わずかにいる他の客たちもまったく釣れず、ぶつぶつ不満を言っている。妻は、甥っ子の持ってきたNintenndo DS に夢中になっているから、全くそんなことに頓着していない。私は、元来が忍耐力の欠けた人間であるため、面白くなくて仕方がない。甥っ子と一緒になって、頑張っていたものの一向に釣れない。こりゃだめだと思い、網ですくってもらうしかないなと思い始めた瞬間にどういうわけだか、私の竿に大きな鱒がヒットした。おお、これはなんとしても釣り上げねばならぬと必死の思いで、かなりの手ごたえを感じながらも、なんとか無事釣り上げることができた。思わず、「やった!」と甥っ子とハイタッチしてしまったが、久しぶりに胸のすく思いがした。
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/68d7.jpg?BCl9b8EB1iQ0ZjKz)
この調子で、どんどん釣れるかと思ったのだが、昨日ばかりはそうは問屋が卸さなかった。どれだけ頑張っても、一匹も釣れない。もうこれ以上粘っても仕方ないやとあきらめて、釣り場の人に網ですくってもらうことにした。それでも、なかなかすくい上げることができずに、結局かなりの大型の物ではあるが、3匹だけすくうことができ、私の釣った一匹と合わせて料理してもらうことにした。普段なら、小中合わせて20匹近く釣り上げるのに、こんなにも釣れなかったのは前代未聞のことであった。息子はこの釣り場では、圧倒的な釣果を誇る名人であるが、昨日は友人と学習会を開くとかいう理由で参加しなかった。息子がいれば・・と、妻や義妹はさかんに嘆いていたが、受験生たる者おいそれとは遊ぶ気にはなれないのだろう。仕方がない。
釣った魚の数は少ないが、一匹一匹が大振りのものばかりなので、1匹を刺身、2匹をフライ、もう1匹を塩焼きにしてもらうことにした。どれもがおいしいが、その中でもフライが香ばしくてうまいと絶賛する人が多い。普段なら塩焼きをメインに一人一匹ずつ食べられるのだが、昨日の場合は望むべくもなかった。それでも、塩焼きを皆でつついてもかなり食べられたのには驚いた。本当に大きかったんだろう。薪でおこした火で、ざっと塩を全体にまぶした野趣あふれる焼き具合は、何度食べてもおいしい。丸ごと一匹食べられなかったのは、返す返すも悔しいが、こんな日もあるさとあきらめなければならないだろう。
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/4881.jpg?BCl9b8EB_37pk31u)
久しぶりに会った甥っ子は、今年で小学3年生になる。小学校入学の時には、「かえるになりたい」と宇宙人のようなことを言っていた子が、今月から中学受験のための勉強を始めたという。家が近かったら勉強など私がみてやるものを、私の家から車で1時間半ほどかかる名古屋のはずれに住んでいるから仕方がない。いざと言うときは、いくらでも相談にのってやるから、「頑張れよ」と励ましてやった。
しかし、母親の反対を押し切って、DSのゲームソフトをネット注文してしまった私という伯父は、はたして彼の目にはどんな存在に映っているのだろうか・・・
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/3952.jpg?BC1qb8EBapM6Pg76)
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/816d.jpg?BC1qb8EBNXm1UKT.)
とは言っても、まったく釣れない。いつもなら練り餌をつけた釣り糸を水の中に投げ入れれば瞬時に鱒が寄ってきて、竿をくいっと上げるだけで釣れるのに、今日は当たりさえない。しかもいつもに増して流れ来る水に勢いがあるため、水面が波うってじっと見ていても魚影が見にくい。魚の群れがいるところに針を投げ入れさえすればつれる、という感覚でいる私にはなんともイライラが募る状態である。30分ほど頑張ってみたのだが、まったく釣れない。もう何十回となく来たことがある釣り場なのだが、こんなことは初めてだ。わずかにいる他の客たちもまったく釣れず、ぶつぶつ不満を言っている。妻は、甥っ子の持ってきたNintenndo DS に夢中になっているから、全くそんなことに頓着していない。私は、元来が忍耐力の欠けた人間であるため、面白くなくて仕方がない。甥っ子と一緒になって、頑張っていたものの一向に釣れない。こりゃだめだと思い、網ですくってもらうしかないなと思い始めた瞬間にどういうわけだか、私の竿に大きな鱒がヒットした。おお、これはなんとしても釣り上げねばならぬと必死の思いで、かなりの手ごたえを感じながらも、なんとか無事釣り上げることができた。思わず、「やった!」と甥っ子とハイタッチしてしまったが、久しぶりに胸のすく思いがした。
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/68d7.jpg?BCl9b8EB1iQ0ZjKz)
この調子で、どんどん釣れるかと思ったのだが、昨日ばかりはそうは問屋が卸さなかった。どれだけ頑張っても、一匹も釣れない。もうこれ以上粘っても仕方ないやとあきらめて、釣り場の人に網ですくってもらうことにした。それでも、なかなかすくい上げることができずに、結局かなりの大型の物ではあるが、3匹だけすくうことができ、私の釣った一匹と合わせて料理してもらうことにした。普段なら、小中合わせて20匹近く釣り上げるのに、こんなにも釣れなかったのは前代未聞のことであった。息子はこの釣り場では、圧倒的な釣果を誇る名人であるが、昨日は友人と学習会を開くとかいう理由で参加しなかった。息子がいれば・・と、妻や義妹はさかんに嘆いていたが、受験生たる者おいそれとは遊ぶ気にはなれないのだろう。仕方がない。
釣った魚の数は少ないが、一匹一匹が大振りのものばかりなので、1匹を刺身、2匹をフライ、もう1匹を塩焼きにしてもらうことにした。どれもがおいしいが、その中でもフライが香ばしくてうまいと絶賛する人が多い。普段なら塩焼きをメインに一人一匹ずつ食べられるのだが、昨日の場合は望むべくもなかった。それでも、塩焼きを皆でつついてもかなり食べられたのには驚いた。本当に大きかったんだろう。薪でおこした火で、ざっと塩を全体にまぶした野趣あふれる焼き具合は、何度食べてもおいしい。丸ごと一匹食べられなかったのは、返す返すも悔しいが、こんな日もあるさとあきらめなければならないだろう。
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/5e72.jpg?BCl9b8EBuzVS4hN2)
![](http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44142c0f_1295d/bc/33b5/__sr_/4881.jpg?BCl9b8EB_37pk31u)
久しぶりに会った甥っ子は、今年で小学3年生になる。小学校入学の時には、「かえるになりたい」と宇宙人のようなことを言っていた子が、今月から中学受験のための勉強を始めたという。家が近かったら勉強など私がみてやるものを、私の家から車で1時間半ほどかかる名古屋のはずれに住んでいるから仕方がない。いざと言うときは、いくらでも相談にのってやるから、「頑張れよ」と励ましてやった。
しかし、母親の反対を押し切って、DSのゲームソフトをネット注文してしまった私という伯父は、はたして彼の目にはどんな存在に映っているのだろうか・・・
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
双子(6)
前回の双子シリーズは私の不徳のいたすところによって、グチャグチャになってしまったが、今回は落ち着いて書くことができる。
1月2日は、私の母方の親戚が母の実家に集まる日である。総勢17人いる従兄弟の大部分が集結する一大イベントであり、お年玉の交換会も兼ねているため、出席しないわけにはいかない。私は3時過ぎまで塾があったため、実家に行ったのは4時近くだったが、さすがに参加者はかなり出来上がっている状態で、駆けつけ3杯とばかりに、ビールが私の手元に集まってきた。そこで焦ってガブガブ飲むほど初心ではないけれど、お正月につき遠慮なしに頂いた。近くに住む従兄弟が大部分だが、一人仕事の都合で東京に住んでいる者がいる。1年ぶりに顔を合わせたが元気そうなのは何よりだ。彼から年下のメンバーは全て私の塾で学んだ者たちであり、塾の同窓会のような錯覚を抱かせるほどだが、誰もが皆元気そうで、つつがないことは心から喜ばしいことだった。
程なく、弟一家も到着した。不思議なことに双子たちが泣かない。同世代の子供がたくさんいたせいかもしれないが、親の手元から離れはしないものの、時には笑顔を見せたりして、なかなかの評判を得ている。これならひょっとして、と私が近付いていって、手を差し出したところ、例の如く私に抱かれようとはしない。やっぱり、と諦めるしかなかったが、いつになったら簡単に抱きかかえることができるようになるだろう。前と比べれば、少しは慣れてはきたようだが、まだまだ時間がかかりそうだ。悲しき伯父はもうちょっと、努力しなければならないらしい。
5時過ぎまで実家にいて、それからは父主催の食事会が私の兄弟家族を集めて行われた。年末に予約を取っておいたレストランに娘の運転で向かったのだが、まだまだスリルを味わえる。ギャーギャー叫びながら、何とかたどり着くことができたが、これでは京都まで車を持っていくことなどまだまだ許可できない。祖父から譲り受けたマーチだが、ミッションであるため、慣れるのに時間がかかりそうだが、昨今の簡単に運転できる車と違って、ギアを換えなけりゃならないのは、娘のこれからのドライブ人生にとっては好影響をもたらすものだと、私は思っている。
年に一度父が大盤振る舞いをしてくれる恒例の行事だけに、遠慮なしに注文できて楽しい。息子など、私の弟に誘われて、ワインを飲んでいる。未成年のくせにというそしりを覚悟して言うが、息子は自分専用のワインセラーを持っている。何でそんなことになったのかよく分からないが、中学3年生の頃にワインに興味を持ち始め、自分のワインセラーを購入したのだが、その中には私が誕生日の記念に買ってやった1988年もののワインの他、何本かが収められている。家の外で飲酒することは禁止してあるし、年に何度も飲むわけでもないから、少しくらい大人の気分を味あわせてやるのもいいかと、大目に見てやった。でも、少し飲みすぎたようで、帰宅した後も赤い顔をしていつもと様子が違っていた。
双子たちも一旦我が家へ立ち寄った。さすがにこれだけ一緒にいれば慣れたようで、家に入っても泣いたりしない。二人でがさごそ遊んでいる。全員が居間に集まって一緒に遊んでいたが、娘が小さい頃遊んでいた積み木をどこからか出してきた。カビ臭くてとてもこのままじゃ遊ばせることもできないので、風呂場に行って洗ってやって、除菌ペーパーでふき取ってから渡してやった。すると、積み木遊びは二人とも好きらしく、叫び声をあげながら楽しそうに遊んだ。じっと見ていると、姪のほうは実に表情が豊かだ。顔も随分可愛らしくなって、にっこりしたりすると本当に愛らしい。甥は暴れん坊だが、こちらも目がパッチリして見違えるくらい可愛くなった。二人を見守る弟も、可愛くて仕方がないといった様子でこまめに世話を焼いている。義妹は鷹揚に構えて、母親らしくなった。私はいつも心の隅で彼らのことを気にかけているのだが、これならすくすくと成長していくだろうなと安心できて嬉しくなった。
8時半頃に帰り支度を始めた子供たちを見ていたら、去年私が買ってやった上着が丁度いい大きさになっている。大きくなったなと実感したが、今年の秋には新しい上着を買ってやらなけりゃいけないだろう。
弟一家を送り出しながら、いい伯父さんになるのも結構大変なもんだなと思った。
1月2日は、私の母方の親戚が母の実家に集まる日である。総勢17人いる従兄弟の大部分が集結する一大イベントであり、お年玉の交換会も兼ねているため、出席しないわけにはいかない。私は3時過ぎまで塾があったため、実家に行ったのは4時近くだったが、さすがに参加者はかなり出来上がっている状態で、駆けつけ3杯とばかりに、ビールが私の手元に集まってきた。そこで焦ってガブガブ飲むほど初心ではないけれど、お正月につき遠慮なしに頂いた。近くに住む従兄弟が大部分だが、一人仕事の都合で東京に住んでいる者がいる。1年ぶりに顔を合わせたが元気そうなのは何よりだ。彼から年下のメンバーは全て私の塾で学んだ者たちであり、塾の同窓会のような錯覚を抱かせるほどだが、誰もが皆元気そうで、つつがないことは心から喜ばしいことだった。
程なく、弟一家も到着した。不思議なことに双子たちが泣かない。同世代の子供がたくさんいたせいかもしれないが、親の手元から離れはしないものの、時には笑顔を見せたりして、なかなかの評判を得ている。これならひょっとして、と私が近付いていって、手を差し出したところ、例の如く私に抱かれようとはしない。やっぱり、と諦めるしかなかったが、いつになったら簡単に抱きかかえることができるようになるだろう。前と比べれば、少しは慣れてはきたようだが、まだまだ時間がかかりそうだ。悲しき伯父はもうちょっと、努力しなければならないらしい。
5時過ぎまで実家にいて、それからは父主催の食事会が私の兄弟家族を集めて行われた。年末に予約を取っておいたレストランに娘の運転で向かったのだが、まだまだスリルを味わえる。ギャーギャー叫びながら、何とかたどり着くことができたが、これでは京都まで車を持っていくことなどまだまだ許可できない。祖父から譲り受けたマーチだが、ミッションであるため、慣れるのに時間がかかりそうだが、昨今の簡単に運転できる車と違って、ギアを換えなけりゃならないのは、娘のこれからのドライブ人生にとっては好影響をもたらすものだと、私は思っている。
年に一度父が大盤振る舞いをしてくれる恒例の行事だけに、遠慮なしに注文できて楽しい。息子など、私の弟に誘われて、ワインを飲んでいる。未成年のくせにというそしりを覚悟して言うが、息子は自分専用のワインセラーを持っている。何でそんなことになったのかよく分からないが、中学3年生の頃にワインに興味を持ち始め、自分のワインセラーを購入したのだが、その中には私が誕生日の記念に買ってやった1988年もののワインの他、何本かが収められている。家の外で飲酒することは禁止してあるし、年に何度も飲むわけでもないから、少しくらい大人の気分を味あわせてやるのもいいかと、大目に見てやった。でも、少し飲みすぎたようで、帰宅した後も赤い顔をしていつもと様子が違っていた。
双子たちも一旦我が家へ立ち寄った。さすがにこれだけ一緒にいれば慣れたようで、家に入っても泣いたりしない。二人でがさごそ遊んでいる。全員が居間に集まって一緒に遊んでいたが、娘が小さい頃遊んでいた積み木をどこからか出してきた。カビ臭くてとてもこのままじゃ遊ばせることもできないので、風呂場に行って洗ってやって、除菌ペーパーでふき取ってから渡してやった。すると、積み木遊びは二人とも好きらしく、叫び声をあげながら楽しそうに遊んだ。じっと見ていると、姪のほうは実に表情が豊かだ。顔も随分可愛らしくなって、にっこりしたりすると本当に愛らしい。甥は暴れん坊だが、こちらも目がパッチリして見違えるくらい可愛くなった。二人を見守る弟も、可愛くて仕方がないといった様子でこまめに世話を焼いている。義妹は鷹揚に構えて、母親らしくなった。私はいつも心の隅で彼らのことを気にかけているのだが、これならすくすくと成長していくだろうなと安心できて嬉しくなった。
8時半頃に帰り支度を始めた子供たちを見ていたら、去年私が買ってやった上着が丁度いい大きさになっている。大きくなったなと実感したが、今年の秋には新しい上着を買ってやらなけりゃいけないだろう。
弟一家を送り出しながら、いい伯父さんになるのも結構大変なもんだなと思った。
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )
双子(5)
このブログを始めて、私の弟の双子の子供たちについて書くのがこれで5回目になる。読み返してみると、ほぼ1ヶ月に1度の割合で我が家にやってきている。今回は11日(日)に私の叔父の1周忌の法要が営まれ、それに参列した弟を母親と一緒に車で迎えにやってきたのである。私は1日中塾で、あいにく参列できなかったため妻が代理で出席した。早いもので、もう1年が経ったのかと思う。私の大好きな叔父だったのに、参列できなかったのは残念であり、叔父に申し訳ないとも思っている。仏壇に線香の1本でも立てに行かなければならないと思ってはいるが、忙しさにかまけてなかなか行けそうにもない。
私が5時で塾を終え帰宅すると、父・妻・弟が車座になって酒を飲んでいた。全員がかなり酔っている様子はすぐに見て取れたため、私も乗り遅れてはいけないと、早速ビールの缶を開けた。毎日毎日飲み続けていても、ビールという物はなんでこんなにおいしいんだろう。特に最初に開けた一本をグッと一気に飲み干すのは、私にとってまさに至福の時である。「ふーッ」と、1缶飲み終えた時にまさにグッドタイミングで、双子達が到着した。父も妻も、勿論私も会いたくてたまらない者達の登場に頬は緩みっぱなしだ。皆で一斉に「さあっ」と手を差し出すが、双子達がそんな誘いを受けるはずもなく、恒例の大合唱が始まる。もう慣れっこだからなんともないが、やはり姪の方がなかなか泣き止まない。甥は適当に切り上げ、ごそごそし始める。妻が彼の手の届く範囲の物を避難させ、「どうぞご自由に」と言うと、意味が分かったのか、奇声を発しながら歩き回る。体が小さいだけに小回りがきいて、広くもない部屋を存分に動き回る。その様子をじっと見つめていた姪も、それにつられてゆっくりとご機嫌を直して、二人そろって遊び始めるのに30分ほどかかった。これでも大分短くなった方だ。
妻は11月の時には、大阪に藤原竜也を観に行っていたため、2ヶ月ぶりの対面になり、盛んに「顔が変わった」と言っていた。確かに私の目から見ても、甥の方は来るたびに顔がしっかりしてきている。最初の頃はまるで猿のような顔をしていたのが、やっと人間の子供らしくなってきた。それなりに可愛い顔をしていると思うのは伯父バカなのかもしれないが、姪の方は大きくなったら美人になるぞ、とバカを2乗したくらいのバカさ加減で密かに思っている。夕食にピザのデリバリーを頼んで皆で食べたのだが、双子達の食欲の旺盛なことには驚いた。おししいのか、口元に持っていったものは全て平らげ、もっとくれと要求する。元気に育っている証拠だと、見ていて嬉しくなってくる。しかし、私たちはたまに会ってこうやって喜んでいればいいだけだが、弟夫婦は毎日これを繰り返しているわけだから大変だ。二人とも自分が食べるのをそっちのけにして、子供たちの世話ばかり焼いている。と言っても、本当に嬉しそうな顔をしているから、子供たちが可愛くて仕方ないのだろう。このままいい家族になってくれればいいがと、彼らを見ていて心から思った。
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子に及(し)かめやも 山上憶良
本当に幼な子は可愛い。幼な子でなくとも子供は皆いとおしい。子供を犠牲にする事件が立て続けに起こって、やり場のない悲しみで覆われていた私の心に、双子を見ているうちに、久しぶりに光が差し込んできた。と同時に、彼らが一人で出かけても安心して遊んでいられるような社会を取り戻すことが私たち大人の責務であることも痛感した。子供たちの歓声が狭い部屋の中だけに限られてしまうようなことにだけはしてはいけない。社会が皆で子供たちを育てるという意識を、私たち一人一人が持たなければならない。
後部座席にセットされたチャイルドシートに座らされて帰っていく甥と姪を見送りながら、もうこんな悲しみを繰り返さないようにするために、私にいったい何ができるだろうかと考えていた・・
私が5時で塾を終え帰宅すると、父・妻・弟が車座になって酒を飲んでいた。全員がかなり酔っている様子はすぐに見て取れたため、私も乗り遅れてはいけないと、早速ビールの缶を開けた。毎日毎日飲み続けていても、ビールという物はなんでこんなにおいしいんだろう。特に最初に開けた一本をグッと一気に飲み干すのは、私にとってまさに至福の時である。「ふーッ」と、1缶飲み終えた時にまさにグッドタイミングで、双子達が到着した。父も妻も、勿論私も会いたくてたまらない者達の登場に頬は緩みっぱなしだ。皆で一斉に「さあっ」と手を差し出すが、双子達がそんな誘いを受けるはずもなく、恒例の大合唱が始まる。もう慣れっこだからなんともないが、やはり姪の方がなかなか泣き止まない。甥は適当に切り上げ、ごそごそし始める。妻が彼の手の届く範囲の物を避難させ、「どうぞご自由に」と言うと、意味が分かったのか、奇声を発しながら歩き回る。体が小さいだけに小回りがきいて、広くもない部屋を存分に動き回る。その様子をじっと見つめていた姪も、それにつられてゆっくりとご機嫌を直して、二人そろって遊び始めるのに30分ほどかかった。これでも大分短くなった方だ。
妻は11月の時には、大阪に藤原竜也を観に行っていたため、2ヶ月ぶりの対面になり、盛んに「顔が変わった」と言っていた。確かに私の目から見ても、甥の方は来るたびに顔がしっかりしてきている。最初の頃はまるで猿のような顔をしていたのが、やっと人間の子供らしくなってきた。それなりに可愛い顔をしていると思うのは伯父バカなのかもしれないが、姪の方は大きくなったら美人になるぞ、とバカを2乗したくらいのバカさ加減で密かに思っている。夕食にピザのデリバリーを頼んで皆で食べたのだが、双子達の食欲の旺盛なことには驚いた。おししいのか、口元に持っていったものは全て平らげ、もっとくれと要求する。元気に育っている証拠だと、見ていて嬉しくなってくる。しかし、私たちはたまに会ってこうやって喜んでいればいいだけだが、弟夫婦は毎日これを繰り返しているわけだから大変だ。二人とも自分が食べるのをそっちのけにして、子供たちの世話ばかり焼いている。と言っても、本当に嬉しそうな顔をしているから、子供たちが可愛くて仕方ないのだろう。このままいい家族になってくれればいいがと、彼らを見ていて心から思った。
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子に及(し)かめやも 山上憶良
本当に幼な子は可愛い。幼な子でなくとも子供は皆いとおしい。子供を犠牲にする事件が立て続けに起こって、やり場のない悲しみで覆われていた私の心に、双子を見ているうちに、久しぶりに光が差し込んできた。と同時に、彼らが一人で出かけても安心して遊んでいられるような社会を取り戻すことが私たち大人の責務であることも痛感した。子供たちの歓声が狭い部屋の中だけに限られてしまうようなことにだけはしてはいけない。社会が皆で子供たちを育てるという意識を、私たち一人一人が持たなければならない。
後部座席にセットされたチャイルドシートに座らされて帰っていく甥と姪を見送りながら、もうこんな悲しみを繰り返さないようにするために、私にいったい何ができるだろうかと考えていた・・
コメント ( 48 ) | Trackback ( 0 )
双子(4)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/31/3d/4eaa6ec956dc8860ba3f0de19bae3096_s.jpg)
私が塾を終え、さあビールでも飲もうかと思っていたところに、弟一家がやってきた。5時過ぎでもうかなり暗かったが、双子たちが来た瞬間に家の中が華やいだ。文字通り、ケイトブッシュの "Here comes the sunshine." という感じだった。妻は土曜から大阪へ『天保12年のシェークスピア』を観に行って留守だし、息子も出かけていて、家には私と父しかいなかった。その父も、子ども達の声を聞きつけて自室から出てきた。双子にうれしそうに声を掛けた瞬間、姪の方が泣き始めた。毎回のことで一種の通過儀礼のようなものだから、私たちもだいぶ慣れっこになった。しかし、甥の方はまったく泣かない。こんなことは初めてだ。ちょこんと座って周りを見回している。何か獲物を探しているようだ。しばらくキョロキョロした後、やおら立ち上がってトコトコとサイドボードのところまで歩いていく。と、そこにあった消しゴムを掴んで口の中に入れた。一瞬のできごとで誰も止められなかったが、弟が駆け寄って取り上げた。慣れた手つきで濡れティッシュを取り出し、消しゴムを丁寧に拭いてから甥の手に返した。甥は満足そうにすぐに口の中に入れ、そのまま歩き回る。オーバーオールの半ズボンをはいているのだが、体が小さくてブカブカなものだから、まるでピエロが歩いているような滑稽な歩き方をする。今度は反対側にあったMDコンポのところまで行き、息子のMDを手で巻き散らかした。「こら!」と怒鳴ったところで、聞きわけができる歳でもないから笑って見ているしかない。本当に小さな台風のような奴だ。
姪は、その間ずっと母親にしがみついたままぐずっていた。泣きじゃくることはしなかったが、着いてから30分以上は離れようとはしなかった。それが、母親が持ってきた幼児雑誌『マミー』をバッグから取り出すと、目ざとく反応してじっと本を見つめ始める。母親が床に座らせても平気で、『マミー』を見入っている。母親によれば、姪の方が本に興味を示すらしい。「この子とはコミュニケーションがとれるんですよ」と彼女は言ったが、確かに「アンパンマンはどれ?」と聞かれれば指でさし示すことができた。やっと私たちにも馴染めたようで、立ち上がって歩き始めたが、振る舞いはおっとりしていて、どことなくお嬢さまめいた挙措である。ピエロの坊主が引き立て役になって暴れれば暴れるほど、まるでお姫様のごとく優雅に見えてくる。「大きくなったらこまっしゃくれた小娘になるぞ」と私が言ってやると、弟は何故かうれしそうな顔をした。お嬢さまに育てることができれば父親としては本望なんだろうと、見事にお嬢さま風に育った我が愛娘のことをちらっと頭に思い浮かべて、思わず溜息をついた。
妻がいないため、夕食は近くのうどん屋から出前をとった。息子も帰宅して総勢7名で食卓を囲んだ。この時にも双子それぞれの性格の違いが如実に表れて興味深かった。姪の方は父親のひざの上に座って、スプーンで口に運ばれてくるご飯をおとなしく食べていたが、甥の方は専用のベルトで椅子にくくりつけられ、立ち上がれないようにさせられてから、あれこれ食ベ物をもらっていた。それでも手足をばたつかせて、ずっと躁状態のままであると思えるほど、やたら元気な奴である。
食後、義妹に「近所の公園に遊びに行ったりするの?」とたずねたところ、「私一人では無理、この子がどこに行っちゃうか分からないから・・」と甥の方を向く。奴は相変わらず元気に動き回ってとうとう室内をグチャグチャにしてくれた。2時間くらい一緒にいただけで結構疲れたのに、これを24時間毎日続けなければいけない義妹も大変だな、と心底思った。彼女の実家の母が応援に来てくれているようなので何とかやっていけてるようだが、本当に大変なことだ。弟が休みの日にはなにかと手伝っているようだが、力を合わせて元気に育てていってくれよと願うばかりである。
大騒動の後で車に乗り込み、帰宅の途についた彼らに手を振りながら、「頑張れよ」と声を掛けた。兄らしいことはなかなかしてやれないが、服ぐらいだったらいつでも買ってやるからな、と心の中で叫んだ。
コメント ( 17 ) | Trackback ( 0 )
双子(3)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/d2/819af68b5ea919b679cac5af535fa92a_s.jpg)
それでも、お祭りとなれば、我が家にもお客がやって来る。弟夫婦と双子達だ。3週間ぶり会った子供達は、意外に早く慣れてくれて、ヨタヨタ家中を歩き回る。どこに行くのか分からないので、必ず子供1人に大人が1人、後ろから付いていく。傍から見ていると鬼ごっこをしているようだが、後ろに付く者は油断できない。なにしろ、目に付いたものは拾ってすぐに口の中に入れてしまう。2ヶ月ほど前に贈った『ネコバス積み木』を持ってきていたが、見ると赤や緑がかじられたようにはげている。目で見て確認する前に口の中に入れて確かめる、という動物の原初的な物の識別法を教えてくれているようで、笑えて来る。
食べるといえば、昨夜は『メジャー松井サブレ』を奮発して開封してやった。妻の友人が、松井秀喜の館へ行ったお土産に私のために買ってきてくれたものだ。箱に松井の絵が描いてあり、サブレにも同じ絵が焼き付けてあるが、似ているようで似ていないその絵が、何ともいえぬ安っぽさを醸し出していて可笑しい。子供達は小さく割ってもらったものを食べていたが、テーブルの上に置いてあった『うなぎパイ』を見つけて、母親にせがんで食べ始めた。どうやらそちらの方がおいしいようで、いつしか『松井サブレ』は放擲されてしまった。子供は正直であるから、『松井サブレ』にはもっと味の研究をするよう、投書かメールでもしたいくらいだ。
食事の後、祭りの夜の恒例となっている花火大会を見るために、外に出た。『大花火大会』と銘うってあるが、花火など単発的にしか上がらない。真夏の頃に各地で行われる本当の『大花火大会』を見慣れた人たちには全く物足りないだろうが、夜空にポーン・ポーンと間をおいて上がる花火は、かえって哀愁を誘って私は好きだ。だが、子供達には何の興味も引かなかったようで、最後まで見ずに途中で帰って来た。音だけが寂しく響く中、夜道を歩く私は、これで本格的に秋が来るんだなと妙にしんみりした気持ちになった。
家に帰って、ソファーに座ったまでは覚えているが、はっと目覚めたときには、子供達は帰った後だった。酔っ払って、所構わず寝ちゃうのだけは何とかして直さなけりゃいけない。おかげで子供達にバイバイできなかったじゃないか。まったく残念なことをしてしまった、反省!
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
双子(2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/da/542e6246206bb5b3564ff820cd4417c6_s.jpg)
予想はしていたが、やっぱり私の顔を見た瞬間に泣き始めた。いくらあやしても、すかしても、一向に泣き止む気配はなく、私達が彼らに何か酷いことをしたかのように思われるほどだった。いくら恒例だといっても、いい加減慣れてくれよと、こちらが泣きたい気持ちになるほどぐずり続けた後で、やっと愁眉を開いて、にこやかな顔を見せてくれるようになるまで、1時間ほどかかった。それからは、今までのことが嘘のように、キャッキャッと弾んだ声を上げて、あちらこちらを歩き回り始めて、ほっとした気分にさせてくれた。しかし、2人が呼応するように機嫌を直していく様を見ていると、双子という存在の不思議さを感じないではいられなかった。
現在、塾には双子の生徒が3組いるが、この多さは前代未聞であり、それぞれの兄弟・姉妹のつながりの玄妙さには時々驚かされる。テストをやってみると、いくら席を離してあっても、どういう訳か同じような答えが多くなる。同じような間違いをし、、同じような点になってしまう。いくら聞いてみても、本人達も何故かを答えることができない。思った通りに答えただけなのに、結果が同じことがよくある、と彼らも不思議そうだ。同じ親から、同じ時間に生まれ、同じように育ってくれば、自然と同じように物を考えるようになるのだろうか。
今、私の姪と甥に尋ねてみたところで、やっと人間の仲間入りをしたばかりの者達では答えてくれるはずもない。『ネコバス積み木』もえらく気に入ってくれて、毎日それで遊んでいてくれるようだが、口に入れたり、噛んだりして、早くも積み木の塗料がはげてしまったらしい。体に有毒な物を塗料に使ってはいないだろうが、少し心配である。
前にも書いたが、彼らに会うたびに、『おじいちゃん』をシミュレートしている私にしてみれば、彼らの振る舞い一つ一つに心配と喜びは増すばかりだ。いつかは本物の『おじいちゃん』になるまでは、彼らの、よい『おじいちゃん』でいたいものだ。
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
7月だ!
もう7月だ。1年の半分が終わったことになる。ここ最近、暑い日が続いて、梅雨なんて今年はなかったと思われるほどだ。この地域は、渇水が心配され、給水制限も近づいているそうだ。水がなくなったら大変だ。集中豪雨は困るけど、もっと雨よ、降れ!
ところで、今日7月1日は、私の小さな双子の姪と甥の初めての誕生日だ。月足らずで生まれたため、暫くは保育器の中で育てられていた。病院で初めて見た姿は、保育器の中で本当に小さく、無事に育っていけるだろうかと、思わず心配になるほどだった。それが10日ほど前に、我が家にやって来たときには、2人ともハイハイは勿論のこと、数秒ではあるがひとり立ちできるほどにまで成長した。弟夫婦の苦労は相当のものだっただろうが、現代医療の素晴らしさが実感できる実例だと感心した。
1歳のお祝いに何をプレゼントしようかとあれこれ考えてみたが、マンション住まいでは大きなおもちゃは邪魔になるだろうし、まあ一番無難なところで、やっぱり服にしようということになった。これまでも、何度か服は買ってやってきたが、今回はちょっと奮発しようと、わざわざ名古屋のデパートまで出向いて買ってきた。バーバリーの子供服を、とも思ったが、無駄に(と言っては言いすぎか)高く、こんな高価なものを着せる必要はないと勝手に判断して、ラルフローレンで選んだ。これもバーバリーと比べればまだ値打ちというくらいの価格のものだが、伯父さん、頑張ったぞ、というところを見せるには、格好のブランドだと思う。
それと、妻からの誕生祝も買ってある。歩けるようになって、一番最初にはいてくれれば楽しいと思うが、女の子には赤色の、男の子には青色の鼻緒が付いた草履を買った。一番小さいサイズの15センチの草履を買ってきて、父に見せたところ、『可愛いなあ』と相好をくずした。手のひらにすっぽり収まるほどの大きさで、多分これでもまだ大きめなんだろうけど、小さな子供の草履姿は可愛いものだ。我が娘も息子もともにこの草履で育ってきた、いわば我が家の必須アイテムだ。息子など今でも普段は、この草履をはいている。
これだけ用意しておけばいいのかなと思うが、実は去年あるデパートで見つけた赤ちゃん用の甚平を着せてやりたいと密かに思っている。ピンクハウスのものだったと思うが、男の子と女の子のものが並んで陳列してあったが、今年はどうなんだろう、まだあるのだろうか。一度見に行ってこよう。
ところで、今日7月1日は、私の小さな双子の姪と甥の初めての誕生日だ。月足らずで生まれたため、暫くは保育器の中で育てられていた。病院で初めて見た姿は、保育器の中で本当に小さく、無事に育っていけるだろうかと、思わず心配になるほどだった。それが10日ほど前に、我が家にやって来たときには、2人ともハイハイは勿論のこと、数秒ではあるがひとり立ちできるほどにまで成長した。弟夫婦の苦労は相当のものだっただろうが、現代医療の素晴らしさが実感できる実例だと感心した。
1歳のお祝いに何をプレゼントしようかとあれこれ考えてみたが、マンション住まいでは大きなおもちゃは邪魔になるだろうし、まあ一番無難なところで、やっぱり服にしようということになった。これまでも、何度か服は買ってやってきたが、今回はちょっと奮発しようと、わざわざ名古屋のデパートまで出向いて買ってきた。バーバリーの子供服を、とも思ったが、無駄に(と言っては言いすぎか)高く、こんな高価なものを着せる必要はないと勝手に判断して、ラルフローレンで選んだ。これもバーバリーと比べればまだ値打ちというくらいの価格のものだが、伯父さん、頑張ったぞ、というところを見せるには、格好のブランドだと思う。
それと、妻からの誕生祝も買ってある。歩けるようになって、一番最初にはいてくれれば楽しいと思うが、女の子には赤色の、男の子には青色の鼻緒が付いた草履を買った。一番小さいサイズの15センチの草履を買ってきて、父に見せたところ、『可愛いなあ』と相好をくずした。手のひらにすっぽり収まるほどの大きさで、多分これでもまだ大きめなんだろうけど、小さな子供の草履姿は可愛いものだ。我が娘も息子もともにこの草履で育ってきた、いわば我が家の必須アイテムだ。息子など今でも普段は、この草履をはいている。
これだけ用意しておけばいいのかなと思うが、実は去年あるデパートで見つけた赤ちゃん用の甚平を着せてやりたいと密かに思っている。ピンクハウスのものだったと思うが、男の子と女の子のものが並んで陳列してあったが、今年はどうなんだろう、まだあるのだろうか。一度見に行ってこよう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
双子
私には11ヶ月になる双子の姪と甥がいる。私とは10歳離れた弟の子で、なかなか子に恵まれず、不妊治療のおかげで生まれた子供たちである。私とは46歳も離れた子供たちであるから、まるで孫のようなものである。よく孫は目の中に入れても痛くないなどと聞かされてはいたが、実際にそんな気分を味わえるようになると、その言葉もあながち大袈裟ではないと理解できた。とにかく可愛い。なかなか会う機会がないので、向こうが慣れるのに時間がかかってなかなか馴染んでくれないのだが、いくら大声で泣かれてもひたすら可愛い。こうやって爺婆が猫可愛がりするから、身の程知らずのわがままな子供が世の中にあふれてくるんだな、と斜に構えてみたくはなるが、そんな気持ちを忘れさせるほど無条件に可愛い。
2人ともはいはいが上手になって、やたら動きが速くちょっと油断するとどこか見えないところに行ってしまう。あぶないあぶない、と思う間もなく、また消えた、どこ行った、と4時間くらいばたばたを繰り返して帰って行ったが、久しぶりに小さな子と遊んだ疲れは残るものの、楽しい時間だったという気持ちで一杯だった。今度はいつ来るのかな、と見えなくなった車に手をふりながら考えてしまう自分が可笑しくもあり、可愛くもあった。本当におじいちゃんみたいだなと苦笑しながら、妻に話したら彼女もおばあちゃんみたいに頷いた。
1ヵ月後には初めての誕生日がやってくる。誕生日プレゼントは何にしようかあれこれ考えるのもまた楽しみである。
2人ともはいはいが上手になって、やたら動きが速くちょっと油断するとどこか見えないところに行ってしまう。あぶないあぶない、と思う間もなく、また消えた、どこ行った、と4時間くらいばたばたを繰り返して帰って行ったが、久しぶりに小さな子と遊んだ疲れは残るものの、楽しい時間だったという気持ちで一杯だった。今度はいつ来るのかな、と見えなくなった車に手をふりながら考えてしまう自分が可笑しくもあり、可愛くもあった。本当におじいちゃんみたいだなと苦笑しながら、妻に話したら彼女もおばあちゃんみたいに頷いた。
1ヵ月後には初めての誕生日がやってくる。誕生日プレゼントは何にしようかあれこれ考えるのもまた楽しみである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
次ページ » |