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「藤井聡太の指は震えない」

 昨年10月に友人から頂いた岡村淳司「藤井聡太の指は震えない」を少し前に読み終えた。
 谷川浩司十七世名人や森内俊夫九段などの藤井聡太論は読んでいたが、いずれもプロの視点からの論考になっていて、私のような素人が読んでもイマイチ面白味が伝わってこなかった。その点、本書は将棋素人の新聞記者から見た藤井聡太論になっているためすとんと腑に落ちることが多く、なかなか面白かった。
中でも、藤井八冠が小学生の頃に通っていた将棋教室の文本力男氏の話は興味深かった。
私も実際に見ていて当時はかなり物議を醸したのが、2018年の竜王戦決勝トーナメント2戦目で、増田康宏六段と対戦した際に、藤井七段が自分の打った手を引っ込めて打ち直したという「待った問題」。将棋連盟は、反則ではなくマナーの問題としたが、文本氏は自らの教室に「反則をしたら負けを認めよういさぎよく」と貼り紙をするほどの人であるから、この藤井八冠の所作を許すことができず、「今からでもあの『待った』を謝罪してタイトルを返上し、もう一度やり直すべきですよ。そうすることで聡太は運気をつかんで、本物の大棋士になれるんです』と著者と杯を傾ける度に言うのだという。厳しい!私のようないい加減な男にはとても吐けない言辞である。
(そう言えば、以前私の塾にいた少しやんちゃな少年がふみもと将棋教室に通っていたが、「お前は将棋に向いていない」とクビにさせられたという話を聞いたことがあったから、自分なりの信念を持っていてそれを曲げない人なんだろうなと思った)

 実際に改めて見直してみれば、どれだけのことなのか分かるだろうと思って探してみたらYouTubeにあった。




 見直してみての私の率直な感想は、「二度とやるなよ、聡太くん!!」
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「日本人が奴隷にならないために」

 秋嶋亮「日本人が奴隷にならないために」を読んだ。



 Twitterで白馬社という出版社の投稿を何度か読んでいるうちに、この本の宣伝文に釣られてしまって、Amazonで購入したのが昨年11月ごろ。しばらく放置してあったが、今年になって思い出して、読み始めた。なんだか刺激的な文言で埋め尽くされているのに驚きながらも、少しずつ読み進めてなんとか読了した。

 現今の世界情勢や日本の社会を全くの傍観者ながらも眺めてきた私には、なんとなく分かっていたつもりでいたことをこれだけはっきりと文字として教えられると、なんとも言えぬ袋小路に入ってしまって身動きが取れなくなっている私たちの姿があからさまになり、勘弁してくれよ、という気持ちにさえなった。と同時に、世界情勢を見るのに、思考の起点を決めさえすればこんなにも一本の線で繋げることができるのか、という驚きも味わった。

 全部で5章に分けられた本文を、各章と節ごとに与えられた表題のいくつかを見れば本書の方向性は分かる。
第1章 戦争の時代に突入した(アメリカの公共事業としてのウクライナ戦争)
第2章 金融が平和を解体する(戦争のための制度調整の過渡期に入った)
第3章 カルトの支配は終わらない(ナチスが政権を固めた時代と酷似している)
第4章 理性が消失した日本の風景(企業による企業のための企業の政治)
第5章 無知による奴隷化というリアル(人間を人間たらしめるものが崩壊した)

 う〜〜ん・・・。まだまだイヤになる程の厳しい言葉、政治用語なのか社会学用語なのか経済用語なのか私には判然としない横文字で埋め尽くされているから、たとえこれが現実としても受け入れる勇気はなかなか生まれてこないし、そのまま鵜呑みにするのもリテラシー的に問題があるだろうから、話半分に受け取っておいた方が無難だろうな、といつもの私には似せぬ穏健さが読後感として残った。

 しかし、本書のこうした指摘を首肯したとしても、ならばどうすればこの状況から抜け出すことができるのか、ということについて何も書かれていないのには少なからずガッカリした。特に181ページから182ページの問答には苦笑を禁じ得なかった。

ーそれにしても情報化に伴い、教養のある者とない者の知性の差が、絶望的に大きく開いています。
秋嶋 それを「知識ギャップモデル」と言います。だから物事を深く考える人は増々アウトサイダー(社会の異分子)化し孤絶を深めるのです。しかし歴史が示す通り、そんな知者の痛みが、やがて思想の軸となり、多くの人を照らすのです。だからむしろこのような時代に孤独であることを誇ればいいのです

 竹林の七賢にでもなれというのか・・・。
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「未成年」

 次のドストエフスキーは、「未成年」。



 これも、亀山郁夫訳で読もうとアマゾンで探したら、結構品薄みたいで探すのにちょっと苦労した。亀山訳はちょっと軽すぎないか?という気もするけど、ロシア語の読めない私が偉そうなことを言っても詮ない。まあ、ドストエフスキーという幻想から重々しい訳文を期待するのも文学オタクっぽいから、これくらいの口語訳の方がいいのかもしれない。

 ところで、「未成年」て「カラマーゾフの兄弟」の一つ前の作品らしい、全く忘れていた。もちろん読んだことはあるはずだが、内容は全然覚えていない。なので、新鮮な気持ちで読めそうだから逆にいいかもしれない。
 楽しみ!
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「浄土思想」

 岩田文昭著「浄土思想」を読んだ。

 私のような宗教とは無縁の私が何でこの本を読んだかと言われれば、著者岩田文昭氏は中学高校大学と同じ学校に通っていた(しかも中1・高3・大1は同じクラス)からであり、しかも献本という形でこの著書を私に送ってくれたのだから、何としても読み通さねばならないと決めたからである。

 9月の初めに同窓会があり、それまでには読み終わって直接感想を伝えたいと思って一生懸命読んだのだけれど、内容が学究的でおいそれとは読み進めることができなくて、会当日までに120ページほどしか読めなかった。会では「読んだよ」と大見得を切ることもできず、「送ってくれて有り難う、頑張って読むね」としか岩田氏に伝えられなかったのは甚だ残念だった。
 
 同窓会が終わってすぐにでも続きを読めば良かったのだが、同じく読みかけになっていた「カラマーゾフの兄弟」を先に読んでしまおうと思ったので、読了するのが遅くなってしまったのは甚だ申し訳ないと思うが、正直あまり詳しくはない浄土教を「物語」をキーワードとして的確な表現で解説してくれた秀逸内容は、かつて席を同じゅうした者として誇らしく思われるものだった。

 一つ岩田君にたずねたいことがある。強く念ずれば夢に仏が現れたりするような記述がいくつかあったように思われるが、これは本当なんだろうか。私は7月に突然死んでしまった10才下の弟にどうしてももう一度話がしたくて、日夜ずっと念じているのだけれど、一度も夢にも出てきてくれない。これは私の思いが弱いからなんだろうか、それとも他に理由があるのだろうか・・、ぜひとも教えて欲しい。 
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カラマーゾフ、読了

亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」全5巻をやっと読み終わった。
FBの過去の投稿を調べてみたら3月10日に読み始めると書いてあったから、半年以上かかって読んだことになる。その間、村上春樹の「街とその不確かな壁」と並行していた時期もありながらも3巻くらいまでは順調に読み進めていた気がする。しかし、7月9日に弟が突然亡くなって以来、糸の切れた凧みたいに虚空をクルクル回るように過ごしてきた私は、本などとても読む気にはなれず、長い間ページを開かずにいた。
それが10日ほど前から急に「読まねば!」という気持ちが沸き起こってきて、何年かぶりに「読書に耽溺」して読み終えることができたのだから、何だか不思議だ・・。

この長大な小説は、父親殺しを中心としたカラマーゾフ一家の特異性を中心に語られる物語ではあるが、最後5巻目のエピローグに書かれたアリョーシャの言葉に、この物語の主意は言い尽くされているのではないか、というのが読み終わった今の率直な感想。イワンの「大審問官」という小難しい話を称揚する人々もいるようだが、アリョーシャの
「そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで!なにか良いことや、正しいことをしたとき、人生ってほんとうにすばらしいって、思えるんです!」
という何の衒いもない言葉の方が今の私の心に響いた。(何故か涙が溢れた)
まあ、斜に構えることなく心の底からそう思えるようになったのだから、この長い小説を再読した意義はあったように思う。
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「街とその不確かな壁」

 村上春樹の「街とその不確かな壁」を読み終わった。
で、何なの?と村上春樹の小説を読み終わった時によく感じた思いを今回も抱いた。あれはこうだよ、こうやって繋がってるんだよ、と読み込んだ人は教えてくれるかもしれないけど、私はこの650ページ以上の大作を読み終わったという事実だけで十分満足。それより途中読みになっている「カラマーゾフの兄弟」を読まなくっちゃ。

 でも、少し気になったのが、マザーグースの生まれた曜日についての歌。「水曜日の子供は苦しいことだらけ」と作中では何度か繰り返されていたけど、1958年6月15日生まれの私は日曜日生まれ。日曜日生まれの子供はどうなんだろうと思ってマザーグースの歌を探してみた。

Monday’s child is fair of face,
Tuesday’s child is full of grace;
Wednesday’s child is full of woe,
Thursday’s child has far to go;
Friday’s child is loving and giving,
Saturday’s child works hard for its living;
But the child that is born on the Sabbath day
Is bonny and blithe, and good and gay.

月曜日生まれの子供は器量よし
火曜日生まれの子供はたいそう気品があり
水曜日生まれの子供は悲哀でいっぱい
木曜日生まれの子供の道は遠くて(苦難の道を歩んで)
金曜日生まれの子供は慈愛の心に満ちている
土曜日生まれの子供は生きていくなかで苦労が多い
そして日曜日生まれの子供は可愛くて快活で 優しくて陽気なの

 なんて素晴らしい!日曜日は他の曜日と比べてまるでエコ贔屓のように美辞麗句で飾られている。さすがにここまで持ち上げられるとテレるぜ・・。
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「麻雀つれづれ日記」

 麻雀のMリーグで活躍する瑞原明奈プロの「麻雀つれづれ日記」を読み終わった。



 友人が足を骨折した日に届き、彼がこのところ頑張っている競技麻雀に復帰した翌日に読み終わったというのは、なにか因縁めいていて面白い。元々「瑞原プロって可愛いね」と私が呟いたら、瑞原プロからどこかの大会で役満の小四喜を上がったことがある友人がわわ紹介してくれた本だから、その因縁も当然なのかもしれない・・。
 瑞原プロは、Mリーグの中継で見たことがほとんどなく、もっぱらYouTubeでしか見たことがなかったから、この本を通じて彼女のものの見方や考え方が分かったように思えて、読んでよかったなと思った。麻雀の戦術的なことにはもうさほどの興味は持っていない私には、「麻雀プロとして、母として」という第3章が1人の自立した女性としての瑞原明奈を知ることができて、一番の収穫だった。

 Mリーグでは、彼女の所属するU-NEXTパイレーツはセミファイナルに進んだそうだから、これからが正念場だろうから、「これからも応援するぞ!」という気持ちでいる。

 頑張れ、瑞原明奈プロ!
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哀悼

 大江健三郎氏が亡くなった。88歳だったという。昭和11年生まれだったから、私の母と同じ生まれ年。と言うことは母も生きていたら、87歳になっていた(大江氏は1月生まれ、母は9月生まれ)んだなあというのが訃報に接して最初に思ったこと。中学高校の頃は敬遠していたものの、大学に入ってからは大江健三郎しか読まなかったと言ってもいい人が亡くなったのにこんな感想しか持てなかった自分にちょっと悲しかったが、それだけここ最近は大江健三郎と疎遠になっていた証左なんだろうなとも思った。

 このブログで大江氏について書いた文章がどれだけあるか検索してみた。すると、何冊かの作品についての感想を記した記事がいくつかあったが、どれも余り評価していないような書きぶりばかり。確かに「晩年様式集」というほぼ最後の小説も読み始めてみたものの半分くらいでずっと放置してあるし、その前に書かれた「臈たしアナベル・リイ」や「水死」に関しても読むのが苦痛であったのを思い出した。つまり21世紀に入ってからの大江作品は私には面白くないというのが正直な感想なんだろう。

 では、それでも何故私が大江健三郎の本を読み続けようとしたのかといえば、「個人的な体験」という圧倒的な力を持った小説を書いた小説家、そして「想像力」の重要さを教えてくれた先達として心から尊敬していたからだと思う。その思いに駆り立てられながら、貪るように大江作品を読んだ時間は私の人生の中でも尊い時間だったと思う。そんな大江健三郎が亡くなったのだから、やはり悲しい・・。

 何の弔いにもならないだろうが、半分しか読んでいない「晩年様式集」をしっかり読み通そうと思っている。それくらいしか私の大江氏に対する感謝の意を表す術を思いつかないから・・。

 ご冥福をお祈りいたします。
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「カラマーゾフの兄弟」

 「悪霊」「罪と罰」と亀山郁夫氏の訳本を読み進めてきて、次は何を読もうかと考えた。すぐに頭に浮かんだのは「カラマーゾフの兄弟」。しかし、これはドストエフスキーの小説ではラスボス的な存在であるから、その前に別の作品を読むことにしようと思った。しかし、「白痴」はあまり好きな小説ではない印象が強かったので、パスすることにして「未成年」にしようと思った。そこでAmazonで調べたところ、1冊1000円以上で3巻あるから結構高いなとケチな気持ちが浮かんできて、メルカリで調べることにした。だが、メルカリには「未成年」を全巻出品してしている人はいなかったので、どうしようかな、と迷った。そうこうしているうちに、「カラマーゾフの兄弟」なら全巻揃えて売っている人が多く、中でも私が見つけたのは、5巻揃って1900円の出品。これならAmazonで新品を買うときの半額以下だ、と思ったら、「未成年」のことなど忘れてしまって、すぐに買ってしまった・・。



 「カラマーゾフの兄弟」は今までに2回読んだことがあり、2回とも米川正夫訳だったと思う。今回は新たに亀山訳だから、かなり印象は違うかもしれないが、なにせ4巻(5巻目は本編ではないらしい)もあるからいつ読み終えることができるのか全く分からない。(実際、本が届いてから一週間近くになるが、1ページも開いていない・・)
 まあ、何の束縛もなく、読みたい時に読んでいけばいいのかな、と呑気に構えることにしている。
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「推し、燃ゆ」



 女子高生が持っていた「推し、燃ゆ」(宇佐美りん)を借りて読んだ。現代小説に全く疎い私は、この小説が芥川賞を受賞したものだとは知らなかったが、身近にアイドルグループの推しとなっている人たちが多数いるので、題名に惹かれて読んでみようかな、と思った。
 読み終わっての感想は、推しに対する思いは多かれ少なかれ皆んなこんな感じなんだろうな、という妙な現実感だった。女子中学生から還暦過ぎの我が妻までの言動を見たり聞いたりしていると、この小説に描かれた「私」の心象が妙に近しいものに感じられ、特に違和感なく受け入れることができた。
 また、この作者の若い感性に満ち溢れた文章も魅力的で、重苦しい物語のはずなのに読後感がさほど辛くないのは、文章の持つ力のせいなのかもしれない。文学的なバックボーンがしっかりしているせいなんだろうなと感じた。
 別の女子高生が宇佐美りんの「かか」という小説を持っていて貸してくれるというので、またそれも読んでみようと思っている。

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