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「推し、燃ゆ」



 女子高生が持っていた「推し、燃ゆ」(宇佐美りん)を借りて読んだ。現代小説に全く疎い私は、この小説が芥川賞を受賞したものだとは知らなかったが、身近にアイドルグループの推しとなっている人たちが多数いるので、題名に惹かれて読んでみようかな、と思った。
 読み終わっての感想は、推しに対する思いは多かれ少なかれ皆んなこんな感じなんだろうな、という妙な現実感だった。女子中学生から還暦過ぎの我が妻までの言動を見たり聞いたりしていると、この小説に描かれた「私」の心象が妙に近しいものに感じられ、特に違和感なく受け入れることができた。
 また、この作者の若い感性に満ち溢れた文章も魅力的で、重苦しい物語のはずなのに読後感がさほど辛くないのは、文章の持つ力のせいなのかもしれない。文学的なバックボーンがしっかりしているせいなんだろうなと感じた。
 別の女子高生が宇佐美りんの「かか」という小説を持っていて貸してくれるというので、またそれも読んでみようと思っている。

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罪と罰(2)

 亀山郁夫訳「罪と罰」を読み終わった。
 調べたら、昨年9月21日にこの本についての記述があったから、読み終わるのに半年近くかかったことになる。なんてグズ・・と自嘲したくなるが、この半年の間、受験生との格闘が続いていたし、息抜きでレゴも大きなセットを2つ組み立てたから、読書に向ける時間などなかった、というのが言い訳。確かにそれは自分としては正当な理由に思うのだけど、それでも昨年中に読み終えなきゃいかんだろうと反省しなきゃいけないだろう。
 しかし、なんとか読み終えた今、この「罪と罰」って本当にすごい小説だなあと心から思う。現代だと、ラスコーリニコフって中二病をこじらせた危ないヤツって言葉で片付けられそうだが、150年近くも前に書かれた小説だと思えば、身震いするほどの驚きを感じる。作中人物の心理描写、話の組み立て、情景の描写、どれ1つをとってもこれほど優れた小説を他に知らない。今を生きる私でさえこういう感想を持つほどだから、この小説が発表された当時の読者の驚きはどれほどだっただろう。まさに永遠の金字塔だと言っても決して過言ではないだろう。
 
 色々書き残しておきたいことはあるが、ここでは1つだけメモとして残しておく。それはシベリアに流刑になったラスコーリニコフを追って彼の地にまで来たソーニャが病に伏せって彼に会いに来られなかった数日間の後に、ラスコーリニコフがソーニャに再会できて喜びの涙を流したラスコーリニコフに訪れた変化を描写する記述。
『彼はその夜、ながいこと、なにかについてゆっくり考えたり、考えを集中することができなかった。いや、いまの彼に、意識のうえではなにひとつ解決できなかったろう。彼はただ感じているだけだった。観念にかわって生命が訪れてきた。そして彼の意識のなかでは、なにかしらまったく別のものが、かたちになっていくはずだった。』

 「私たちは考えるだけじゃダメなんだよね、やっぱり。ちゃんと生きなきゃ。」ってメッセージをドストエフスキーから受け取った気がする。

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「統一教会とは何か」

 有田芳生「統一教会とは何か」を読み終わった。
 30年前に出版され絶版になっていたものが改訂新版されたもの。



書名の通り、統一教会の何たるかが克明に書かれていて、読んでいて憤りしか感じなかった。特に、第三章の「統一教会元信者の手記」が協会の非道さを切々と訴えるものになっていて、信教の自由を盾に協会擁護を図ろうとする論説の薄っぺらさを暴露するものとして必読の書であると強く思った。
いくつかの箇所に安倍晋三の名前も出てきて、国をあげて弔意を示すには全く値しない男だとの思いを新たにした。
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「罪と罰」

結局、「悪霊」のスタヴローギンの何たるかがよく分からなかったので、ラスコーリニコフに遡れば何かがわかるかもしれないと、「罪と罰」を読むことにした。
亀山郁夫訳をAmazonから送ってもらったが、そう言えば私、かなりの数の「罪と罰」を持っていることに気づいて、本棚を探してみた。すると、
集英社ギャラリー「世界の文学」小泉猛訳、
中央公論「世界の文学セレクション」池田健太郎訳、
河出書房新社「ドストエフスキー全集」米川正夫訳、
新潮文庫 米川正夫訳
が見つかった。
なんでこんなに「罪と罰」好きなんだ?と自分でも思うけど、子供たちが読むかもしれないと買い集めた文学全集に含まれていただけの話で、実際に読んだのは米川正夫訳だけのような気がする。
要するにツンドク人間なんだわね。

で、その「罪と罰」、17ページ目に早くも衝撃的な記述が!
ラスコーリニコフが殺してしまう老女について
「老婆は、だまりこくったまま青年の前に突っ立ち、不審そうに相手を眺めていた。やせた、小柄な老女だった。年のころ六十前後、悪意のこもるするどい目つきをし、鼻はちいさくとがり、頭には何もかぶっていなかった。・・」
六十前後?私よりも若いの?えっ??もっと婆さんじゃなかったの?

妻に話したら大笑い。「まだ私は誕生日前だから六十三だよ」
って、意味の分からぬ切り返し。おいおい、ドストエフスキーの中じゃあんたは十分老婆だし、老女だよ!SixTONESなんてキャーキャー言ってるから若い気でいるけど・・。
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亀山郁夫訳「悪霊」第三巻

「悪霊」三巻を読み終えた。
一大事件は終焉を迎え、登場人物もそれなりの役回りを果たした感はあるものの、肝心のスタヴローギンがいったい何者なのかイマイチ判然としない。なぜあんなに多くの女性に愛され、男たちからは畏怖されているのか、その理由が分からない。
なので、パスするつもりでいた別巻「スタヴローギンの告白」を読むことにしてAmazonに注文した。
変な奴すぎて胸糞悪くなるだけかもしれないけど、読まざるを得ない。

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亀山郁夫訳「悪霊」第二巻

 亀山郁夫訳「悪霊」第二巻を読み終えた。一巻を読了して記事にしたのが6月14日だったから、第二巻を読み終えるのに1ヶ月ちょっとかかったことになる。文庫本とは言え、700ページ近くある大著であるから、これだけ時間がかかっても仕方がなく思う。いや、このところ読書量が本当に少なかった私にしては上出来な部類に入るだろう。

 第二巻を通して「悪霊」の中心を成すある甚大な事件の全容が仄見えてきたような気がするが、そこに張り巡らされた伏線が第三巻でどう収束していくかが今後の楽しみだが、ちょっと待てよ、と言う気もする。というのは、前にも書いたが、私、「悪霊」を読むのは初めてではない。それなのに、第三巻でどんな展開が待っているのか、また、どんな大団円を迎えるのか、全く覚えていないのだ。いくら40年以上前に読んだものだとは言え、全く空っぽになっているのはさすがに嘆かわしい。読書の記憶がそんなに希薄でいいのか!と己をな情けなく思ってしまう。

 とは言え、第三巻を読めばちょっとした「悪霊」フリークになれるはずだがら、今からそれを楽しみにして読書に励むことにしよう.

 

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まく子

 西加奈子の「まく子」を読んだ。今の私には「悪霊」という高い壁が聳え立っていて、こんな小説に時間を割く暇はないと思いながらも、ついつい最後まで読んでしまった。
 特段感想らしきものは浮かんで来ないが、こんなしょーもない話をいったいどこまで書き連ねることができるんだろうと思っているうちに、特筆すべき記述もなく、あっ、そう・・という感じで最後まで読ませてくれたのだから、ある意味特異な才能を持った作家ではあると感心した。
 この本、妻が買った本で、家の中に転がっていたものだが、草彅剛が出演した映画の原作であるらしい。調べたらAmazon Primeで視聴できるようだから、近いうちに見てみようと思っている。

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亀山郁夫訳「悪霊」

 4月に2回にわたって毎日新聞に載せられた亀山郁夫氏のインタビュー記事を読んで、氏の訳した「悪霊」を読もうと決めた。米川正夫訳の「悪霊」は高校生の時に1度読み、その後もう一度読んだ覚えがあるが、内容がかなりうろ覚え名になってしまっているので、もう一度読んでおいた方が、現今のプーチンの戦争
奥に潜む何かが少しは分かるのではないだろうかと思い、Amazonから送られてきたものを読み始めた。
 しかし、第一巻だけで、500ページもある。読書量が全く落ちてしまった私にはかなり高い壁である。とても最後まで読めないだろうな、と思いつつ、毎日少しずつ読み進めて、やっと今日第一巻を読み終えた。
 確かに若い頃どっぷりつかったドストエフスキーの世界だった。登場人物は数多くいながらも、一人一人がみな命を持った人物として生き生きと描かれている。読み滞ることはない。調子に乗ればスラスラと読み進められる。ただ私に根気がなく、読書に充てる時間に限りがあるのが惜しい。一巻を読み終えるのに今日までかかってしまったのは、ただただ私の怠惰のせい。ドストエフスキーに申し訳ない。
 でも、驚くことに、500ページ読み終えた今実感するのは、私が読んだのは、まだまだプロローグに過ぎないということ。やっと主人公たるスタヴローギンが登場したばかり。さらには、第二巻は700ページもある。う~~ん、すごすぎる・・。米川版の「悪霊」はこんなに長かったっけ・・。
 
 プーチンのウクライナ侵攻が100日を越えたようだが、果たして私が「悪霊」を読み終えるまでに侵攻が終わっているだろうか。プーチンが敗北を認めるなんてことはないだろうから、そう簡単に終わらないと巷間言われているが、私が読み終えるのにもまだまだ相当な時間がかかりそう・・。まあ、頑張ろう!
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「なぜ戦争はよくないか」

 偕成社「なぜ戦争はよくないか」を読んだ。読んだと言っても絵本であるから、見たと言った方がいいかもしれない。

  

 絵本とカテゴライズされるのかもしれないが、決して読んで楽しい本ではない。戦争の何たるかを視覚に訴えながら非道さを解き明かそうとしているのか、とにかく絵がおどろおどろしい。手にとった子供たちが途中で読むのをやめてしまうかもしれないほどだ。
 でも、戦争とはそういうものだ。ウクライナで今起こっていることからは目を逸らしたくなるが、決して逸らしてはならない。悲惨さ酷薄さを直視し、戦争は絶対にダメだ、という意識を心の奥底まで染み込ませることが必要だ。その意味では、この本はかなり有効な本なのかもしれない。
 訳者が長田弘というのもこの本を読もうと思ったきっかけだった。10年以上前に出版された本だが、今こそ読まれるべきであろう、子供たちだけでなく、大人たちにも。
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「コロナと無責任な人たち」

  適菜収「コロナと無責任な人たち 」(祥伝社新書)を読んだ。
  実はこの本、昨年の5月にAmazonで注文したものだが、なかなか送ってこず、注文殺到で到着が遅れているのかな、と勝手に思っているうちに、いつしか忘れてしまっていた。
  ところが、1ヶ月ほど前にウクライナの歴史について勉強しようと思い立ってAmazonで検索していたところ、電子書籍版で安価で買える本を見つけた。まあ、大部の本は読み通すことができないだろうから、安価で簡単にまとめられた本の方がいいだろうと電子版で注文した。
 kindleをダウンロードして読もうとしたら、何と「コロナと無責任な人たち」がもうすでに収められているではないか。なんだ、私は書籍版で頼んだつもりだったのに、電子版で頼んでいたのか!と初めて気づいた。それじゃあ、いくら待っても送られてこないはずだ。なんだかアホみたいだけど、こういった間違いは最近よくある。まあ、それも仕方ないことだと諦めて、ウクライナ関係の本と並行して読み始めた。
 
 私は、適菜収をTwitterでフォローしている。なので、この本に書かれていることにはほぼすべてデジャヴ感があり、端的に言えばTwitterの総集編と思えばいいのかな、という内容だった。だが、やはり舌鋒は鋭く、なるほどね、と頷くことばかりであり、誰にでも一読するように勧めたい本である。

 しかし、まだ慣れないせいか、電子書籍というものにはなんだかしっくりこない。内容もあまり頭に残っていないような気がする。やはり紙の本で読むべきだったな、と後悔している。(旧タイプの人間には新しいものを使いこなすのはかなり難しい)




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