終戦記念日の今日東京武道館での戦没者合同慰霊祭でした。正午の
合図でわたしも黙祷をしました。
テレビでは終戦記念日特集として昨日は「8月15日が過ぎても1週間終
わらなかった樺太(現在サハリン)」を視ました。
今日は「戦慄の印パール」です。白骨街道とさえ呼ばれているインパール
までの道です。最後までたどり着くことなく、飢え、病気などで亡くなったと・・・・。
わたしの2人の兄はビルマ戦線で亡くなっています。戦死の理由としては、
中隊長であった長兄は作戦本部で腹部貫通銃創での死、次兄は戦病死と
なっていますが多分インパール作戦に関わっていたかもです。共に祭部隊
で三重県出身者が多かったと聞きました。
わたしの母はわたしが軍歌を歌うのを「止めとき」と制しました。聞きたくな
かったのでしょう。子どもの頃軍歌で育ったわたしですが、封印しました。
戦後40年余り経た際、三重県でのビルマへの遺骨収集団が編成された
事を新聞で知り、団長さんに手紙を差し上げたことがあり戒名を書いて渡しま
した。後ほどイラワジ川の畔で参拝する写真が送られてきました。団長さんは
当時かなりのお齢でしたから存命か否かは分からないですが、今でもお名前
は覚えています。
わたしには72年経った今でも2人の兄の死はトラウマとなっています。
多分生活そのものが一変し、今の自分が居たかどうか?です。
これらは死ぬまで抱えていくでしょう。世の中にはわたしより言葉にならな
い何倍も哀しみ苦しみを抱いている人も多くあるでしょう。それぞれに抱きな
がら歩いて来たのです。
戦争で傷ついた人にとっては”戦後は終わらない”と・・・・・
い・・