秋田小1児童殺害事件に対する朝日新聞批判
下記、投書を朝日新聞にメールしました。
メールは文字フォントは一様ですが、このブログでは着色します。
内容は、先の記事と一部重複します。
************************
朝日新聞編集長 殿
および
「社説」執筆者 殿
以下の本日付社説及び一面記事は、容疑者を犯人と断定する記述であり、
【松本サリン事件】 の教訓(総反省)を全く活かしていないし
憲法・刑法の精神にも反するものである。
『推定無罪』『疑わしきは被告人の利益に』『疑わしきは罰せず』の理念に真っ向から反し、
朝日新聞という『公器』によって容疑者を断罪するものである。
以下、朝日社説をそのまま引用し、私の意見を【】内にて記す。
***********社説引用及びコメント開始************
秋田小1殺害 悲劇の母がなぜ犯罪に (見出し)
【見出しから犯人と断定している。犯罪を犯したことを前提に、そこに至る理由を「なぜ」と問う表現である。】
世界自然遺産の白神山地から流れる秋田県の藤琴川で、今年4月、小学4年の女児が水死した。1カ月余り後、下流の米代川の岸で、小学1年の男児が殺されて遺体で見つかった。
同じ団地に住み、同じ小学校に通う子どもを相次いで襲った悲劇である。子どもを狙った連続犯行かと、地域の住民が恐怖にかられたのも無理はない。
ところが、水死した女児の母親が、男児の遺体を捨てた疑いで逮捕された。わが子を失うという悲劇に遭った母親が、ほかの子への犯行にかかわっていたというのである。事件の様相は一変した。
しかも、この母親は被害者の自宅の2軒隣に住み、男児の家族とは顔見知りだった。なんということだろうか。
【「なんということだろうか。」という表現は、執筆者が犯人と断定していると理解せざるを得ない】
男児の父親は「言葉にできないほどの深い悲しみと、容疑者に対する怒り、憎しみがこみ上げてきます」と述べた。私たちも言葉を失ってしまう。
逮捕された母親は、男児の遺体を捨てたことは大筋で認めているが、殺人については否定しているという。しかし、男児は自宅の近くで連れ去られ、殺された。遺体を捨てたが、殺していないという供述はどういうことなのか。不自然だと言わざるをえない。
【警察発表を何ら自ら検証する事無く引用しているに過ぎない。朝日新聞として証拠を持っているなら公開すべきである。捜査上の機密だと主張するなら、上記の様な断定した記述はするべきではない】
秋田県警は殺害容疑についても、母親を追及する方針だ。何が起きたのか。事件の全容を解明してもらいたい。
男児が通っていた小学校では、集団で登下校するよう指導し、子どもが1人になる場所では保護者が迎えにくるよう呼びかけていた。毎月1回、防犯ブザーのチェックも指導していた。見知らぬ人間による犯行から子どもを守るためだ。
しかし、今回のように近所の母親が事件にからんでいたとすれば、犯行は防げない。それだけに、この事件の衝撃は計り知れない。
それにしても、不可解なのは犯行の動機である。
【ここでも、その女性が犯行を犯したという決め付けの上で動機を問うている。】
この母親は水死した女児と2人暮らしだった。女児の水死について、警察は川に転落した場所を特定し、司法解剖したうえで、事故の可能性が高いと説明した。しかし、母親は納得せず、だれかに突き落とされたりした事件だと主張し、捜査を続けるよう求めていた。
一人娘が事故死したという警察の判断をどうしても受け入れ難かったのだろうか。1カ月近くたってからも、目撃情報を求めるビラを近所で配った。
【親として当然の行動を如何にも怪しい行動のように印象付けている】
男児が行方不明になった後、捜索のために集まった人の輪に入り、「だから事件だと言ったのよ」と叫んだ。
【これも当然の警察の捜査怠慢に対する怒りの声である】
しかし、わが子は殺されたのだといくら思い詰めたとしても、ほかの子への犯行に手を染めることには、すぐにはつながるまい。わが子を失った悲しみが、なぜ、今回の犯行に向かったのか。娘は事故死であってほしくないとこだわったのは、どんな理由からなのか。
【ここでも、重ねて犯人と断定した上で「わが子を失った悲しみが、なぜ、今回の犯行に向かったのか。」と動機を問うている。何度も同じ問いを繰り返すことで、読者が『その女性が犯人に間違いない』とおもわせるような誘導している】
心の深層を探り、犯行に至る道筋を解きほぐす。この事件では、そうした動機の解明がきわめて重要である。
【この社説は同じ事を少しだけ表現を変えて何度も繰り返し、読者に偏見を植え付ける『ヒトラーばりのやり方』である。「心の深層を探り、犯行に至る道筋を解きほぐす。」という表現は、言い方こそ違え、社説で3回繰り返されている、犯人と断定した上での動機への問いでしかない。】
************社説引用及びコメント終わり************
以下、私の意見
【 このような人権にも倫理にも反する社説を、「読者の求めている情報の提供だ」と万が一にも思っているなら大間違いである。
あなたがたのやっていることは世論の誘導であり、ある意味では扇動である。
仮にも当該の女性が真犯人であったとしても、警察発表を鵜呑みにした現状の『決めつけ報道』 は許されるものではない。
先にも書いたが、朝日新聞がその女性を真犯人と確信するに当る重要な情報を持っているなら公開すべきである。
それもないのに、断定報道することは許されない。
もし、別に真犯人がいればどうするのか?
あなたがたは、真犯人の逃亡に間接的に手を貸したことになる。
続いて本日付一面記事
特に『警察犬のくだり』 と 『首を絞めた』 との報道について
『警察犬が容疑者宅へ行ったこと』について、現場に密着している民放のレポーターの説明では、
容疑者の娘(水死)と被害者が仲の良い友達であったことを考えれば、当然であること(容疑者が被害者を自宅に連れ込んだという『犯罪の証明』にはならないこと)。
『首を絞め殺意をほのめかしたこと』については、同レポーターは、 「公式発表は一切無く、一部報道機関(すなわち朝日新聞)の先走りである」 とするコメントを行なっていた。
この点での朝日新聞記事をもう一度よく読んだが、情報源があいまいである。もし、捜査員の“ひとり言”をスクープしたつもりならば、それこそ警察の情報操作に乗ってしまったものであり軽率の謗りを免かれない。
思い込み記事の最たるものが、本日の一面記事である。
DNA鑑定の問題については、昨日も投書したので詳しくは繰り返さないが、弁護側も含む公正な検査機関の鑑定結果と比較する事無く、警察発表を追認するのはジャーナリストの生き様ではない。チンパンジーでも同じDNA配列が9割以上ということであり、検査部位によってはチンパンジーでも犯人になり、人類全てが容疑者である。しかし、警察会見においてそのような追究をした記者は皆無のようである。
あなた方は、ジャーナリスト精神を取り戻さなければならないのではないか!? 】
以上
秋田小1児童殺害事件-9
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下記、投書を朝日新聞にメールしました。
メールは文字フォントは一様ですが、このブログでは着色します。
内容は、先の記事と一部重複します。
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朝日新聞編集長 殿
および
「社説」執筆者 殿
以下の本日付社説及び一面記事は、容疑者を犯人と断定する記述であり、
【松本サリン事件】 の教訓(総反省)を全く活かしていないし
憲法・刑法の精神にも反するものである。
『推定無罪』『疑わしきは被告人の利益に』『疑わしきは罰せず』の理念に真っ向から反し、
朝日新聞という『公器』によって容疑者を断罪するものである。
以下、朝日社説をそのまま引用し、私の意見を【】内にて記す。
***********社説引用及びコメント開始************
秋田小1殺害 悲劇の母がなぜ犯罪に (見出し)
【見出しから犯人と断定している。犯罪を犯したことを前提に、そこに至る理由を「なぜ」と問う表現である。】
世界自然遺産の白神山地から流れる秋田県の藤琴川で、今年4月、小学4年の女児が水死した。1カ月余り後、下流の米代川の岸で、小学1年の男児が殺されて遺体で見つかった。
同じ団地に住み、同じ小学校に通う子どもを相次いで襲った悲劇である。子どもを狙った連続犯行かと、地域の住民が恐怖にかられたのも無理はない。
ところが、水死した女児の母親が、男児の遺体を捨てた疑いで逮捕された。わが子を失うという悲劇に遭った母親が、ほかの子への犯行にかかわっていたというのである。事件の様相は一変した。
しかも、この母親は被害者の自宅の2軒隣に住み、男児の家族とは顔見知りだった。なんということだろうか。
【「なんということだろうか。」という表現は、執筆者が犯人と断定していると理解せざるを得ない】
男児の父親は「言葉にできないほどの深い悲しみと、容疑者に対する怒り、憎しみがこみ上げてきます」と述べた。私たちも言葉を失ってしまう。
逮捕された母親は、男児の遺体を捨てたことは大筋で認めているが、殺人については否定しているという。しかし、男児は自宅の近くで連れ去られ、殺された。遺体を捨てたが、殺していないという供述はどういうことなのか。不自然だと言わざるをえない。
【警察発表を何ら自ら検証する事無く引用しているに過ぎない。朝日新聞として証拠を持っているなら公開すべきである。捜査上の機密だと主張するなら、上記の様な断定した記述はするべきではない】
秋田県警は殺害容疑についても、母親を追及する方針だ。何が起きたのか。事件の全容を解明してもらいたい。
男児が通っていた小学校では、集団で登下校するよう指導し、子どもが1人になる場所では保護者が迎えにくるよう呼びかけていた。毎月1回、防犯ブザーのチェックも指導していた。見知らぬ人間による犯行から子どもを守るためだ。
しかし、今回のように近所の母親が事件にからんでいたとすれば、犯行は防げない。それだけに、この事件の衝撃は計り知れない。
それにしても、不可解なのは犯行の動機である。
【ここでも、その女性が犯行を犯したという決め付けの上で動機を問うている。】
この母親は水死した女児と2人暮らしだった。女児の水死について、警察は川に転落した場所を特定し、司法解剖したうえで、事故の可能性が高いと説明した。しかし、母親は納得せず、だれかに突き落とされたりした事件だと主張し、捜査を続けるよう求めていた。
一人娘が事故死したという警察の判断をどうしても受け入れ難かったのだろうか。1カ月近くたってからも、目撃情報を求めるビラを近所で配った。
【親として当然の行動を如何にも怪しい行動のように印象付けている】
男児が行方不明になった後、捜索のために集まった人の輪に入り、「だから事件だと言ったのよ」と叫んだ。
【これも当然の警察の捜査怠慢に対する怒りの声である】
しかし、わが子は殺されたのだといくら思い詰めたとしても、ほかの子への犯行に手を染めることには、すぐにはつながるまい。わが子を失った悲しみが、なぜ、今回の犯行に向かったのか。娘は事故死であってほしくないとこだわったのは、どんな理由からなのか。
【ここでも、重ねて犯人と断定した上で「わが子を失った悲しみが、なぜ、今回の犯行に向かったのか。」と動機を問うている。何度も同じ問いを繰り返すことで、読者が『その女性が犯人に間違いない』とおもわせるような誘導している】
心の深層を探り、犯行に至る道筋を解きほぐす。この事件では、そうした動機の解明がきわめて重要である。
【この社説は同じ事を少しだけ表現を変えて何度も繰り返し、読者に偏見を植え付ける『ヒトラーばりのやり方』である。「心の深層を探り、犯行に至る道筋を解きほぐす。」という表現は、言い方こそ違え、社説で3回繰り返されている、犯人と断定した上での動機への問いでしかない。】
************社説引用及びコメント終わり************
以下、私の意見
【 このような人権にも倫理にも反する社説を、「読者の求めている情報の提供だ」と万が一にも思っているなら大間違いである。
あなたがたのやっていることは世論の誘導であり、ある意味では扇動である。
仮にも当該の女性が真犯人であったとしても、警察発表を鵜呑みにした現状の『決めつけ報道』 は許されるものではない。
先にも書いたが、朝日新聞がその女性を真犯人と確信するに当る重要な情報を持っているなら公開すべきである。
それもないのに、断定報道することは許されない。
もし、別に真犯人がいればどうするのか?
あなたがたは、真犯人の逃亡に間接的に手を貸したことになる。
続いて本日付一面記事
特に『警察犬のくだり』 と 『首を絞めた』 との報道について
『警察犬が容疑者宅へ行ったこと』について、現場に密着している民放のレポーターの説明では、
容疑者の娘(水死)と被害者が仲の良い友達であったことを考えれば、当然であること(容疑者が被害者を自宅に連れ込んだという『犯罪の証明』にはならないこと)。
『首を絞め殺意をほのめかしたこと』については、同レポーターは、 「公式発表は一切無く、一部報道機関(すなわち朝日新聞)の先走りである」 とするコメントを行なっていた。
この点での朝日新聞記事をもう一度よく読んだが、情報源があいまいである。もし、捜査員の“ひとり言”をスクープしたつもりならば、それこそ警察の情報操作に乗ってしまったものであり軽率の謗りを免かれない。
思い込み記事の最たるものが、本日の一面記事である。
DNA鑑定の問題については、昨日も投書したので詳しくは繰り返さないが、弁護側も含む公正な検査機関の鑑定結果と比較する事無く、警察発表を追認するのはジャーナリストの生き様ではない。チンパンジーでも同じDNA配列が9割以上ということであり、検査部位によってはチンパンジーでも犯人になり、人類全てが容疑者である。しかし、警察会見においてそのような追究をした記者は皆無のようである。
あなた方は、ジャーナリスト精神を取り戻さなければならないのではないか!? 】
以上
秋田小1児童殺害事件-9
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