連載25回めに頂いた<kitsuneさん>のコメントに対する、私のコメント返信です。
(重要な内容ですので、引用ばかりで手抜き!と言わないでください。)
引続き20日間も孤立無援で取り調べられたら、誰でも殺人犯になってしまいます。
これほど、マスメディアが無責任な放道(報道ではなく、放ちっぱなし)を行っている状況の中で、『裁判員制度』が実施されたら、良識が通るのかどうか危ういところがありますね。
一般的には、「陪臣制度」は社会人の常識を反映できる制度とされ、現状よりは民主的な制度とされていますが、反面、国民が目を養わなければ、一層の 『冤罪生産装置』 とも成りかねません。 現状では『社会人の常識』は、危うすぎます。
先日書いたように「人権派」を自認する人々さへ・・・いわんや常人をや!
取調べの撮影を行って、裁判で公開すべきという議論も出ていますが、どうやって「完全」公開させるかも難しい課題です。
自白したところだけしか提出せず、自白を強要するに至る経過は、『そのような強要は行っていないので、映像があるはずが無い』と居直ってしまえば、闇に葬られてしまいますからね。
取調官と被疑者しか状況は解らないのですから、被疑者がいくら訴えても、 『被疑者の妄想にすぎない』と言いかねません。
とにかく、日本は諸外国と比べてあまりにも被疑者の人権が無視(軽視ではなく)されています。 警察もメディアも、最近は弁護士さへも・・・
このコメントに対して<田原>さんから
【本当ですね。今度の事を見ていても、裁判員制度の将来にとても不安を感じます。
作家の関岡英之さんは近年評判になった『拒否できない日本』で、日本の諸制度のアメリカ化の問題に触れておられますが、司法改革についても、裁判員制度がなぜ、刑事のみ、それも、世間の注目度の高い重大事件に限るのかと疑問を述べておられました。
本家のアメリカの真似をするなら、民事、刑事すべての裁判で行うべきだし、むしろ、刑事より民事の方が『社会人の常識』を発揮するには相応しいだろうと思われるのに、なぜそうはならなかったか、法律の専門家に聞いてもわからなかったそうです。(結局、民事の裁判に適用されると、日本に進出したアメリカ企業が不利になると思われたからではないかとの推論をされています)
今の日本のように「一度逮捕されたら犯人」どころか、「逮捕されなくても警察に怪しまれていれば犯人」という状態では、どこまで客観的な審判が出来るのか、大いに疑問です。
ところで、あの寄せ書きのことですが、ある大学の心理学の教授でスクールカウンセラーでもあるという方が、御自分のホームページでそのことについて以下のように解説されています。
新潟青陵大学 碓井真史教授 「心理総合案内 心の散歩道」
犯罪心理学 秋田小1男児殺害事件の犯罪心理 3 】というコメント返しを頂きました。
上の記事を読みましたところ、『悪罵の寄せ書き』について、比較的冷静に分析されていますので、御一見ください。但し、この方も、被疑者が犯人と想定して書いている部分があり、弱点は否めません。
秋田小1児童殺害事件-27 【連載第1回目から読む】
前のページ(26)へ 次のページ(28)へ
(重要な内容ですので、引用ばかりで手抜き!と言わないでください。)
引続き20日間も孤立無援で取り調べられたら、誰でも殺人犯になってしまいます。
これほど、マスメディアが無責任な放道(報道ではなく、放ちっぱなし)を行っている状況の中で、『裁判員制度』が実施されたら、良識が通るのかどうか危ういところがありますね。
一般的には、「陪臣制度」は社会人の常識を反映できる制度とされ、現状よりは民主的な制度とされていますが、反面、国民が目を養わなければ、一層の 『冤罪生産装置』 とも成りかねません。 現状では『社会人の常識』は、危うすぎます。
先日書いたように「人権派」を自認する人々さへ・・・いわんや常人をや!
取調べの撮影を行って、裁判で公開すべきという議論も出ていますが、どうやって「完全」公開させるかも難しい課題です。
自白したところだけしか提出せず、自白を強要するに至る経過は、『そのような強要は行っていないので、映像があるはずが無い』と居直ってしまえば、闇に葬られてしまいますからね。
取調官と被疑者しか状況は解らないのですから、被疑者がいくら訴えても、 『被疑者の妄想にすぎない』と言いかねません。
とにかく、日本は諸外国と比べてあまりにも被疑者の人権が無視(軽視ではなく)されています。 警察もメディアも、最近は弁護士さへも・・・
このコメントに対して<田原>さんから
【本当ですね。今度の事を見ていても、裁判員制度の将来にとても不安を感じます。
作家の関岡英之さんは近年評判になった『拒否できない日本』で、日本の諸制度のアメリカ化の問題に触れておられますが、司法改革についても、裁判員制度がなぜ、刑事のみ、それも、世間の注目度の高い重大事件に限るのかと疑問を述べておられました。
本家のアメリカの真似をするなら、民事、刑事すべての裁判で行うべきだし、むしろ、刑事より民事の方が『社会人の常識』を発揮するには相応しいだろうと思われるのに、なぜそうはならなかったか、法律の専門家に聞いてもわからなかったそうです。(結局、民事の裁判に適用されると、日本に進出したアメリカ企業が不利になると思われたからではないかとの推論をされています)
今の日本のように「一度逮捕されたら犯人」どころか、「逮捕されなくても警察に怪しまれていれば犯人」という状態では、どこまで客観的な審判が出来るのか、大いに疑問です。
ところで、あの寄せ書きのことですが、ある大学の心理学の教授でスクールカウンセラーでもあるという方が、御自分のホームページでそのことについて以下のように解説されています。
新潟青陵大学 碓井真史教授 「心理総合案内 心の散歩道」
犯罪心理学 秋田小1男児殺害事件の犯罪心理 3 】というコメント返しを頂きました。
上の記事を読みましたところ、『悪罵の寄せ書き』について、比較的冷静に分析されていますので、御一見ください。但し、この方も、被疑者が犯人と想定して書いている部分があり、弱点は否めません。
秋田小1児童殺害事件-27 【連載第1回目から読む】
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