JUNSKY blog 2015

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新聞倫理綱領

2006-06-07 14:53:36 | 事件・事故
「新聞倫理綱領」 は、公正さと人権尊重を宣言している。

しかし、「秋田小1殺害事件」の報道姿勢は、これら倫理綱領の項目を、幾つも侵している。
私が、倫理綱領の精神を侵害していると考えるところを、赤文字にする。

なお、逐条ごとのコメントは差し控える。

新聞倫理綱領
                                      2000(平成12)年6月21日制定


 21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。


 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。

 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすこと
である。
 編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない

 【自由と責任】
 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。


 【正確と公正】
 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

 【独立と寛容】
 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する

 【人権の尊重】
 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。

 【品格と節度】
 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。

今度は『尿と血痕』 (秋田小1児童殺害事件)

2006-06-07 12:40:06 | 事件・事故
この事件(水死女児の母、逮捕)で警察は、逮捕した“容疑者”を何が何でも『真犯人』と世の中に認識させるため、手を替え品を替え次々と“証拠らしき『事実』”をマスコミにリークする。

昨日は、『朝ズバッ』で殺害をほのめかす供述を始めたということを、みのもんた氏が断定的に言ったが、同局のレポーターは、「そういう公式発表は一切無く一部報道期間(朝日新聞)の先走り」とみのもんた発言を否定した。
おそらく、朝日新聞の“スクープ”だったのであろう。

それが、今日は各局が、この内容を『事実』であるかのように報道を始めた。
何度も言うが、これらは警察発表の受け売りにすぎない。

一日目の任意でさえ16時間缶詰状態だったことを考えれば、逮捕後は睡眠時間さえ充分に与えず、精神的に疲労困憊させて、捜査官の発言に「うなずかせる」という常套手段をおこなっているものと考えられる。【連載第1回目参照】

女性が「横にならせて欲しい」「休ませて欲しい」というのは当然のことなのに、マスコミは、それが女性の横柄さであるかのように、視聴者に印象付ける報道を行なっている。
弁護士がついたという話は全く聞こえてこない
密室状態で、誰にも相談できず、究極の精神状態に追い遣られているという状況をどの報道機関も言わない
そういう状況でも、さすがに殺害については、うなずいていないようである。

過去の多くの冤罪事件が、このようにしてでっち上げられてきた。
マスコミが総懺悔した【松本サリン事件】も同様である。

今日の報道では、
【尿と鼻血とみられる血痕】
が、新しい“証拠らしき『事実』”として出されている。

それも
被害男児のものとみられる尿の痕
同じく
被害男児のものとみられる鼻血とみられる血痕

と、言って、被害男児のものと断定はできていないものである。
娘と男児が仲良しであったことを考えれば、容疑者宅にそういう【痕】があっても不思議では無いし、被害男児のものと断定はできないとなれば、女児(水死)のものかも知れない。

とにかく、確証となるものを見つけ出せないので、“証拠らしき『事実』”を次々とマスコミに流して、マスコミがその誘導に乗って、『事実』として報道することで世論を操作しようとしているのである。

これまで、毎日のように流される、それら“証拠らしき『事実』”の羅列は、逆に言うと何ら確証のある「事実」を見出せていないことの証左である。

加えて言えば、昨日の『朝ズバッ』で現地から比較的冷静なレポートを行ない、みのもんた氏の発言を否定したレポーターが、今日は苦渋の顔をしながら警察発表のまま「殺害をほのめかした」と伝えた。
おそらく編集局か局の上部から圧力がかかったものと思われる。

マスコミの報道姿勢が問われている。

秋田小1児童殺害事件-10   【連載第1回目から読む】

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ある方からTBで、新聞記者は「自分の思い込みあった情報だけ記事にする」という、下記サイトを御紹介いただきました。
新聞記者はえらい、という話