いつもメルマガ配信を受けている、東北の「河北新報」が
本日付の記事(Web)で、
【検察改革/自力再生の夢は排除して】
という、手厳しい社説を掲載している。
以下、引用する。
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【検察改革/自力再生の夢は排除して】
河北新報 社説 2010年10月25日月曜日
苦境に陥った個人または組織が、「自力再生」への真剣な決意を語る姿は一見、美しい。
しかし、今回も果たしてそう受け止めていいものかどうか。大阪地検特捜部の証拠改ざん隠ぺい事件に対する最高検の対応を見ながら、そう思った。
「再生」の気概を、検察部内で夢見るように語り合うのはいいことかもしれない。しかし、「自力」の方に力が入りすぎたのでは、再生への歩みはむしろ後退してしまう。
自力ではなく「他力」、外部からの、第三者からの批判、意見をしっかり聞き取る力が、欠かせない。
最高検は特捜検事3人を起訴し、次長検事、検事長、検事正らを懲戒処分し、一方で検事総長はその座にとどまるという選択をした。これから進むべきは、自力にこだわらない再生への道だと思える。
証拠偽造罪で当時の主任検事が、犯人隠避罪で特捜部長と副部長が起訴された。
検事が押収品のデータを改ざんし、これを知った上司2人が過失として処理したというのが、起訴内容から浮かぶ概要である。
この見立ては最高検の筋書きにすぎないと、上司2人は反論している。最高検がストーリーを押し付けようとしている、取り調べを録画(可視化)してほしいとも主張しているようだ。
2人の否認の言い分は検察捜査批判の典型である。
その当否はいったん置くとしても、元特捜幹部による被告席からの主張によって、今回の最高検の事件処理が問い直されることになる。
取り調べの可視化の推進に至っては、もちろん検察が独自に判断すべきことではない。
今回の最高検の捜査の進め方も含めた検察捜査の検証、望ましい捜査手法の改革に、検察の外部からの視点が不可欠なのは明らかだ。
東京、大阪、名古屋の3地検にある特捜部の存在意義を問う声も高まっている。不要論、全面廃止論の観点に立てば、警察組織の改編も考えなければならなくなる。
特捜部を最高検直轄にするとか、捜査と起訴判断の部門を別にするといった検察内の組織改革案を論じる意見もある。
高検、最高検による従来のチェック機能の検証とは切り離せない論点で、これも検察の自力判断に任せるわけにはいかない話だ。
「わたしの責任において、原因を徹底的に検証し、思い切った改革策を講じる」「あるべき姿を取り戻すべく、全国の職員と共に全力を尽くしたい」
前幹部2人を起訴した後、大林宏検事総長は記者会見でそんなふうに述べた。現状への危機感、再生に向けた意欲は伝わったとしても、検察組織の「自力」の限界に対する自覚が薄いように思えて危惧(きぐ)を感じた。
2010年10月25日月曜日