神エホバは、イザヤを通し、神エホバに不忠実な者たちが、神エホバの裁きを回避するために企てた邪悪な計画や陰謀は、刈りわらの程度の役にしかたたないことを明らかにされました(イザヤ33:11~14)。
次いで神エホバは、対比を用いてイザヤを通し、次のように言われました。
「「正しい歩みを続ける人、正直なことを語り、詐欺による不当な利益を避け、賄賂を受け取らずに拒み、人を殺す計画について聞こうとせず、悪いことを見ようとしない人。その人は高い所に住む。岩の多いとりでが安全な避難所となる。パンを供給され、飲み水がなくなることはない」」(イザヤ33:15,16)。
後に使徒ペテロが述べた通り、「エホバは、敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか、一方、不義の人々・・・を、切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられる」のです(ペテロ第二2:9,10)。預言者エレミヤはそうした救出を経験しました。バビロンによる攻囲のの間、人々は「心配しながら目方によってパンを食べなければ」なりませんでした(エゼキエル4:16)。食糧がなくなり、我が子の肉を食べる母親もいました(哀歌2:20)。それでも、神エホバは、エレミヤがずっと安全でいられるように見届けられました。
同様に今日のクリスチャンたちも、日毎に神エホバの基準を守り、「絶えることのない義(神エホバの目から見て正しい道)のうちに歩む」ことが必要です(詩編15:1~5)。「廉直なことを語り」、偽りや不真実を避ける必要があります(格言3:32)。詐欺や賄賂は多くの国で罪のない事かも知れませんが、「正しい歩みを続ける人」にとってはいとわしい事柄です。さらに、真のクリスチャンたちにとっては、商取引において「正直な良心」を保ち、怪しげな、あるいは詐欺的な計画を慎重に避けなければなりません(ヘブライ13:18.テモテ第一6:9,10)。また、「耳をふさいで流血を聴かず、目を閉じて悪いことを見ないようにしている」人は、音楽や映画やTV等の娯楽の健全性を注意深く調べ、選びます(詩編119:37)。神エホバはご自分の裁きの日に、そうしたご自分の基準に沿って生活する真のクリスチャンたちを保護し、支えてくださるのです(ゼパニヤ2:3)。
秋の陽を 遮蔽森林 迷子あり 今日の一句
近所の畑の「コスモス」