聖書には、アビシャイがダビデ王に、シムイがののしりの言葉をあびせたので、首をはねなさい、と述べた事に対し、ダビデ王は温和にかつ冷静に対応したことが記されていました。引き続き聖書はフシャイがアブサロムに言った言葉と、王の座を継いだアブサロムの言葉が次のように記されています。
「ついに王(ダビデ)と人々は目的地に着いた。非常に消耗しており、そこで彼を癒した。
一方、アブサロムとイスラエルの人たち皆は、エルサレムに着いた。アヒドフェルも一緒だった。ダビデの友人でアルキ人のフシャイがアブサロムの所にやって来た。(ダビデの友)フシャイはアブサロムに言った。「王(アブサロム)が栄えますように!王(アブサロム)が栄えますように!」。アブサロムはフシャイに言った。「友ダビデへのあなたの揺るぎない愛はどこに行ってしまったのか。どうして友(ダビデ王)と一緒に行かなかったのか」。フシャイはアブサロムに言った。「そんなことはできません。私は、エホバとこの民とイスラエルの人たちと皆が選んだ方(アブサロム王)の側に付き、そのもとにとどまります。では、私は誰に仕えるべきでしょうか。私の友(ダビデ王)の子(アブサロム)ではありませんか。あなたの父上(ダビデ王)に仕えたように、あなた(アブサロム王)に仕えます」。」(サムエル第二16:14~19)。
上の聖句に記されている通り、ダビデの友人のフシャイは、アブサロム王を称えました。アブサロム王は以外にも義に沿ってフシャイに対し、「友ダビデへの揺るぎない愛はどこに行ってしまったのか。どうして友(ダビデ王)と一緒に行かなかったのか」と言っています。フシャイはそれに対してアブサロムの側に付き、そのもとにとどまることを答え、仕えるべきはアブサロム王である、と述べています。フシャイは正しい義の道ではなく、世渡りの上手な軽薄な人間であることが明らかになっています。
聖書は、真の友とは、苦難の時にこそ友であり続ける、こと、教えています。
引き続きアブサロムについて何を聖書は記しているでしょうか。次回にお伝え致します。
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