今日は、老人会の行事があった。地区の35名のお年寄り(私も含めてだが)が参加し、おしゃべり、昔の歌を歌う、じゃんけん、昼食と盛りだくさんの行事が続いた。元保育園の園長さんがリーダーとなって懐かしい歌を歌うのだが、歌の合間の元園長さんのおしゃべりが面白い。しかも、今日は電子ピアノの伴奏付き。ボランティアしていただいたOさんに深く感謝。その後、いつもの城台山を飛び越えて、城ヶ峰まで歩いてきた。意外とさわやかな風が吹いており、大汗はかくが快調に登ることができた。

先週日曜日の朝のレインボー
少し私の子ども時代の話をしよう。食べることに不自由はしなかった(しかし、肉と言えばかしわばかりだった。「とんかつ」なるものを食べたのはずっと後のこと)。家には絵本やおもちゃもなかった。自然を相手に遊んでいたので必要なかった。まわりを見回しても、ほとんど同じような家ばかりであったので、我が家が貧乏と思ったことはない。ただ、友達の家に行った時などに、見たこともないようなお菓子を出されたときは少し羨ましいと思った。私の従兄弟達は、ゴム靴だったと思う。時には青ばなの子どももよく見かけた。
再び今に戻る。先日、地区の小学生、中学生が一同に会する小中合同分団会が開かれた。議題は夏休み中の活動で、特にラジオ体操。全部で34人の子どもたちを見ていても、特別変わった子どもはいないように見える。しかし、日本の子どもの6人に1人は相対的貧困(知らない人は検索してください)にあると言われているので、単純計算で5~6人が貧困にあることになる。なぜ、こんな話を私はしなければならないのだろうか。少子化に悩む日本において、先進国最悪の子どもの貧困率である。この国の未来を背負って立つ子ども達が、貧困故に未来について希望を持つことができない。地方自治体あるいはNPO等が、無料の学習塾やフードバンクを支援する動きが広がっているし、政府では法律を作ったし、幼児教育の無料化も実現される。しかし、貧困の状況は、各家庭によりあまりにも様々でこれをすれば解決できるような問題ではない。貧困を「自己責任」だという大人の方も、まさか子どもまで自己責任だと言わないと思うが。
志賀信夫他「地方都市から子どもの貧困をなくす」、日本財団「子どもの貧困が日本を滅ぼす」、朝日新聞取材班「子どもと貧困」。共通しているのは、子どもの貧困について、それを認めない大人が多いことである。確かに、食べることにもことかくような事例は少ないが、バランスのとれた食事をしていない子どもは多い。学校の給食が唯一のきちんとした食事で夏休みになると困ってしまう。生活をするのに精一杯な家庭では、親子のふれあいもできない状況におかれている。経済的理由により、学力不足になり、進学もできなくなれば、その子どもだけでなく、国としても大きな損失となる。
ジェームズ・ヘックマン「幼児の教育の経済学」は、タイトルのとおり、幼児の時期における様々な支援が十分経済的なプラスになることを主張する。特に強調しているのが、非認知能力(意欲、長期的計画を実行する能力、他人との協働に必要な社会的・感情的制御)。これが、就労、大学進学、十代の妊娠、犯罪などに大きく影響する。安部政権が無料化に踏み出したのもこの本あるいは過去の実験に寄るところが多い。
また、ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」も面白い。著者は、英国のいわゆる最底辺の無料託児所の保母を務める。英国は、ミドルクラスとその下のクラスの間には、話す言葉も違うような格差がある。しかも、移民も多く、その移民達がアンダークラスを差別する。託児所に来る子どものワイルドさは私の想像を超える。また、この国では子どもは社会が育てるという考えが支配的。親に問題があれば、子どもを行政が取り上げる。日本では親の権利を重視しすぎて、子どもを死なしてしまう事件が頻発する。ブレアの労働党政権から保守党政権に変わり、児童福祉などが大幅に削減された。著者の託児所も閉鎖され、フードバンクに変わった。またこの国では、生活支援を受けながら働かずに暮らす人たちが多いことに驚く。随分と問題が多い英国だが、子どもの貧困率は日本より随分低い。

先週日曜日の朝のレインボー
少し私の子ども時代の話をしよう。食べることに不自由はしなかった(しかし、肉と言えばかしわばかりだった。「とんかつ」なるものを食べたのはずっと後のこと)。家には絵本やおもちゃもなかった。自然を相手に遊んでいたので必要なかった。まわりを見回しても、ほとんど同じような家ばかりであったので、我が家が貧乏と思ったことはない。ただ、友達の家に行った時などに、見たこともないようなお菓子を出されたときは少し羨ましいと思った。私の従兄弟達は、ゴム靴だったと思う。時には青ばなの子どももよく見かけた。
再び今に戻る。先日、地区の小学生、中学生が一同に会する小中合同分団会が開かれた。議題は夏休み中の活動で、特にラジオ体操。全部で34人の子どもたちを見ていても、特別変わった子どもはいないように見える。しかし、日本の子どもの6人に1人は相対的貧困(知らない人は検索してください)にあると言われているので、単純計算で5~6人が貧困にあることになる。なぜ、こんな話を私はしなければならないのだろうか。少子化に悩む日本において、先進国最悪の子どもの貧困率である。この国の未来を背負って立つ子ども達が、貧困故に未来について希望を持つことができない。地方自治体あるいはNPO等が、無料の学習塾やフードバンクを支援する動きが広がっているし、政府では法律を作ったし、幼児教育の無料化も実現される。しかし、貧困の状況は、各家庭によりあまりにも様々でこれをすれば解決できるような問題ではない。貧困を「自己責任」だという大人の方も、まさか子どもまで自己責任だと言わないと思うが。
志賀信夫他「地方都市から子どもの貧困をなくす」、日本財団「子どもの貧困が日本を滅ぼす」、朝日新聞取材班「子どもと貧困」。共通しているのは、子どもの貧困について、それを認めない大人が多いことである。確かに、食べることにもことかくような事例は少ないが、バランスのとれた食事をしていない子どもは多い。学校の給食が唯一のきちんとした食事で夏休みになると困ってしまう。生活をするのに精一杯な家庭では、親子のふれあいもできない状況におかれている。経済的理由により、学力不足になり、進学もできなくなれば、その子どもだけでなく、国としても大きな損失となる。
ジェームズ・ヘックマン「幼児の教育の経済学」は、タイトルのとおり、幼児の時期における様々な支援が十分経済的なプラスになることを主張する。特に強調しているのが、非認知能力(意欲、長期的計画を実行する能力、他人との協働に必要な社会的・感情的制御)。これが、就労、大学進学、十代の妊娠、犯罪などに大きく影響する。安部政権が無料化に踏み出したのもこの本あるいは過去の実験に寄るところが多い。
また、ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」も面白い。著者は、英国のいわゆる最底辺の無料託児所の保母を務める。英国は、ミドルクラスとその下のクラスの間には、話す言葉も違うような格差がある。しかも、移民も多く、その移民達がアンダークラスを差別する。託児所に来る子どものワイルドさは私の想像を超える。また、この国では子どもは社会が育てるという考えが支配的。親に問題があれば、子どもを行政が取り上げる。日本では親の権利を重視しすぎて、子どもを死なしてしまう事件が頻発する。ブレアの労働党政権から保守党政権に変わり、児童福祉などが大幅に削減された。著者の託児所も閉鎖され、フードバンクに変わった。またこの国では、生活支援を受けながら働かずに暮らす人たちが多いことに驚く。随分と問題が多い英国だが、子どもの貧困率は日本より随分低い。