城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

韓国と日本の新しい関係に期待 21.2.8

2021-02-08 19:25:29 | 面白い本はないか
 対馬海峡を隔てるだけなのに、韓国と日本の関係はいつまでもギクシャクしている。嫌韓ではないおじさんでも時には嫌になってしまう。今日の日経新聞に雨森芳洲のことが出ていたが、芳洲は江戸時代中期の儒者で、中国語、朝鮮語に通じ、対馬藩に仕えて、李氏朝鮮と江戸幕府が行っていた朝鮮通信使にあたり、両国の間の様々な問題を調整したとある。また、民芸運動で有名な柳宗悦も朝鮮の美及び朝鮮人を高く評価した。ところが、現段階ではうかつに韓国側を擁護すると増殖するばかりの右翼陣営から罵声をあびせかけらりたりする怖れがあり誰も手を出せない。しかし、実は両国とも課題先進国として、本来であればお互い課題解決のために色々な知恵を出し合わなければならない立場なのである。

 少し、下の写真の図ー日韓の未来予測を見ていただきたい。

 春木育美「韓国社会の現在ー超少子化、貧困・孤立化・デジタル化」から
衝撃的なのは2115年(今から95年後)の両国の人口で、韓国は1168万人(2019年5170万人の約23%)となってしまうという予測である。いい気味だなんて思う人もいるかもしれないが、日本だって5055万人(2019年1億2600万人の40%)になってしまう。この原因は、出生率が韓国では0.98(18年)、19年だと0.92と極めて低く、一方の日本は1.42(18年)、19年1.36と少しましかもしれないが同じように低いからである。両国でともに出生率が低いのは、未婚率が両国ともに高いのと韓国においては結婚しても子どもの数が平均で1.33人(日本は2人)と低いからである。両国とも様々な少子化対策(韓国は日本の対策をある意味後追いしながら検証できる立場にある)を行っているのだが、その効果は現れていない。

 ここで、1990年頃におじさんがアメリカのユタ州を訪れたときのことを思い出してみる。日本で働いているアメリカ人の彼とおじさんは親しくなった(年の差は20歳くらい)。彼は奥さんを連れてきており、日本いたときに2人目が生まれた。そしてユタのビリガムヤング大学の法科大学院に入るために帰国したので、その彼を訪ねた。ご存じのかたもいるかもしれないが、モルモン教の人々はたくさんの子持ちである。おそらく彼らの文化伝統なのだと思うが、その理由の一つとして思い当たるのが、男性側あるいは家族の育児協力はもちろんのことベビーシッター等をすぐに頼めることにあり、子どもがいても夫婦で食事などに行くことができる。ここには育児に疲れた女性の姿はないのかもしれない。私たちはこうした社会づくりに失敗してしまった。日本も韓国も今のはやりの言葉で言えば「unsustainable・持続不可能な」社会を戦後にかけて作り上げてしまったのかもしれない。
 
 ここからは、春木育美「韓国社会の現在ー超少子化、貧困・孤立化・デジタル化」から引用する。まず、著者の言葉「韓国の苦悩は日本の近未来でもある」。人口減少とともに韓国の高齢化は日本以上のスピードで、2065年の高齢化率は日本が38.4%に対して韓国は46.5%、すなわち国民の半数弱が65歳以上となる。韓国は1999年に国民皆年金を達成しているが、現状では6割近くが無年金でこのため70歳以上になっても就労しなければならない。男性の未婚率が高いのは就職できない、安定した職に就けない、さらに(かつての日本を思わせるが)家同士の格やつながり、対面が重視され、人に見せるための盛大な結婚式が好まれる。そして結婚後に住む家の確保も必要となる。一方で、女性側には、日本よりはるかに結婚や出産への心理的ハードルが高い。家事、育児といった家庭責任は女性に偏っている。また、97年のアジア通貨危機以来、女性は結婚よりも、まずは就職して安定した職と収入を得ることが優先されるようになった。このため大学進学率は男子を追い抜くことになった。日本もそうだが、韓国は教育費がかかる。激烈な競争社会であり、小学生の頃から様々な塾に通うことになる。韓国社会の女性のいきづらさをあらわす「82年生まれ、キム・ジョン」という小説が2019年にベストセラーになった(おじさんは読んでいないが)。

 もちろん、韓国政府は様々な少子化対策を行ってきた。おじさんから見るとまるで「政策の見本市」のようである。産休、育休制度の活性化を行い、父親の育児参加、育休取得を促進した。日本では1万9千人(18年、対象者に占める割合6.1%)に対し、韓国は2万3千人(13.4%)。保守的な女性団体は「出産は愛国だ!」というスローガンを掲げた。企業内保育所(こどもに朝食、夕食も提供)さらに無償保育や児童手当なども導入している。しかし、無償保育は保育の大部分を民間に頼っているため、保育の質の低下が言われている。とにかく、韓国のやり方は日本と比べるとスピード感が全然違う。大統領制で再選は認められていないから、5年で効果を出さなければならない。

 日本と韓国の違いを現わす面白い比較を著者はしている。韓国のキッザニア(子どもを対象にした楽しみながら社会のしくみが学べる)にあって日本にない職業ー国家代表選手、難民支援機関スタッフ、外交官、国税職員、考古学者。一方日本にあって韓国にないものー花屋、ソーセージ職人、消防士、ボイラーマン、修理工、自動車整備士、バスガイド、ガソリンスタンド店員、ガードマン、コールセンター、宅配ドライバー。日本ではいわゆるブルーカラーの職業が多い。韓国では職業威信の序列が明確なうえ、職種を測る尺度に多様性を欠く。親の子どもに対する期待や圧迫感が強い。この結果、ホワイトカラーになるための競争は熾烈化する。大卒新入社員の年齢は30.9歳、大企業では退職年齢が52歳と若い。

 日本よりはるかに進んでいるのがデジタル化で、キャッシュレス化(韓国96.4%、日本19.8%)、国家による個人情報管理のもとで住民登録番号制度により医療、福祉などが連結されている。また、電子政府ランキングは世界のトップクラス、国会議員はクォーター制により比例区で50%を女性候補、小選挙区で30%を女性に割り当てることになっており、国会議員中女性の割合は57人(19%、日本は衆議院で10.1%)となっている。

 課題先進国である韓国と日本、この両国が対等の立場(今や購買力平価では韓国の一人当たりGDPは日本と並んだ。こうした現実が余計に停滞する日本のおじさんも含めた国民を刺激するとも考えられる)で課題解決に努力する姿を著者でなくても是非見てみたいものである。お互いに批判しあったり、無視したりしている暇はないと思うのであるが。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土蔵岳再び 21.2.6

2021-02-06 21:10:14 | 山登り
 国道303号線で八草トンネルの手前に土蔵岳(1008m)への岐阜県側登り口がある。もちろん雪の無いときにはやぶ漕ぎを覚悟しなければならない。ここには昨年2月15日尾根の末端の最も緩やかな道から登った。このときは例年にない少雪で頂上ですら20cmくらいの積雪であった。ただ、登る途上で何回も目にすることができた蕎麦粒山(1296.6m)の秀麗な姿が忘れがたく、もう一度雪がしっかりある時に登ってみたかった。その願いを叶えてくれる機会が訪れた。横山ダムを過ぎ坂内に向かう途中から路側にはまだ多くの雪が残っていた。朝方は少し天気も悪く、ガスもかかっていた。問題は2台の車の駐車するスペースがあるかどうかだったが、幸い八草トンネルの手前に車が駐車できるスペースが作ってあった。除雪作業者に感謝するばかりである。

 今日はワカンとスノーシューの両方を用意した。7人中スノーシュー組は4人で、一人はまだ買ったばかりのぴかぴかのスノーシュー。8時過ぎにトンネルに向かって右側(小屋があるところ)から取り付いた。

 登山口
スギの樹間をぬって登っていく。スノーシューで10cm程度埋まる。ここでも7人交替で先頭に立つ。もちろん、体力差があるので、体力のある人は長く、おじさんなんかは少しで勘弁してもらっている。昨年登ったルートより短い分急登が続く。天気が良くなり汗を一杯かきながら登っていく。1時間ほどで昨年のルートに合流。ここからは樹間から待望の蕎麦粒山を望むことができた。

 合流点付近

 樹間から蕎麦粒山

 大ダワ方面

 再び蕎麦粒山

 885mの表示のあるピークを過ぎた。ここから一端下る。

 土蔵岳山頂方面

 雪庇が出ている尾根を避け、トラバースする こうした判断はさすがに今回のリーダーOさんが的確にしてくれる

 もう邪魔する木はない 

 最後の登りはきつかった。その先に待っていたのは伸びやかな雪原、明瞭なピークではないので山頂とはわからないが、木に刻まれた土蔵の文字は読むことができた。

 山頂手前

 先頭が山頂に到着

 この木に土蔵の表示あり

この先、点名三ッ又通称猫又まで行くかとの問いに誰もYESという人はいなかった。おじさんももちろんそうである。ここまで来れたことだけでも大満足なのである。

 猫又から三国岳まで続く稜線

 おじさんとYさんのツーショット 山始めて2年で雪山に立つ 新しいスノーシューが際立つ

しかも昨年4時間、今回は3時間で登ることができた。やはり大勢で先頭を務めたことが予想外の時間となったと思う。山頂で余韻に浸っていると大ダワ方面からスノーシューをはいた男性一人。彼によれば大ダワまではトレースがあったそうである。しかし、大ダワから土蔵まではトレースはなかった。健脚の彼は、土岐から来たと言い、関の労山に所属していると言っていた。
帰りは我々の来たルートで下るというので、帰りは8人で下ることになった。
 山頂からの展望は金糞岳を除き、あまり良くはない。わずかに木の間から高丸、烏帽子岳がその少しとがった山頂で見分けることができた。

 高丸

12時過ぎに下りにかかる。左手方面には大ダワそして蕎麦粒山が快晴の中ひときわ目立っていいる。分岐を過ぎると急登が待っていた。おまけに気温の上昇で雪が腐ってきた。このためある者は、おもわぬ落とし穴に落ち、一人では抜け出せないとか、何度もスリップして尻餅をつく者とか悪戦苦闘しながら下って行った。スノーシューでの下りはしんどくはないが、意外と体力を奪う。やっと登山口まで降りてきた。1時間40分、意外と時間がかかった。

 国道から登山口

コースタイム 登山口8:00→885ピーク9:45→土蔵岳11:15~12:05→登山口13:40


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラの冬の管理 21.2.4

2021-02-04 13:17:57 | バラ、クレマチス等
 クリスマスローズがやっと咲き出した。いずれも鉢植えだが、地植えのも近々大きな花を咲かせる。

 黒

 少しこぶりの花

 葉に特徴がある

 さて、冬のバラの管理といえば、剪定、消毒、元肥ということになるが、2月上旬までに済ましておきたい。まず剪定であるが、おじさんの場合およそ1/2くらいの高さまで切り込む。ただし、木化している場合はその上の緑の茎を少し残して剪定する。もっと切り込むことができると思うが、不安なのでそこまではしない。太い芽の上を切ると本には書いてあるが、この時期まだ太い芽が出ていないこともあるので、この場合まわりにそろえて適当な高さで切る。

 剪定前

 剪定後 細い枝は根元で切るあるいは混んでいる枝は本数を減らす リュウキンカが一輪咲いている
 そうしないと風通し、日照が悪くなる

 手前の枝は木化しており、年数も経っているので切る
 シュート(出始めは赤い色をしている)という新しい茎がどんどん出てくるようであれば、古い茎は切っていく(株の更新)

 そして、2回目の硫黄石灰剤の撒布を行う。25倍から40倍くらいに希釈して撒布。越冬する害虫、病気の菌を取り除く。バラで硫黄石灰剤を使うのは冬のみ。

 硫黄のせいで黄色 フェンスや他の花にかかると白くなるので、散布後水をかけて洗う。

 最後に元肥、前に紹介した肥料(有機肥料「ローズサポーター」20kgで5900円、成分は窒素6・リン6・カリ6)を一株当たり300g施す。追肥では150g。

 株から30cm離して、10cmの溝に肥料を投入  

 以上は地植えの場合である。鉢植えのバラの場合、剪定は同様に行う。肥料は元肥には前記の肥料は使えない(鉢の中で有機肥料は発酵し、発熱により根を焼いてしまうとあります)と書いてあるので、ホームセンター等で求めることになる。問題は鉢からバラを抜いて、土を落とし、先端の根を少し切り、肥料・堆肥等を鉢底にいれるかどうか。明らかに土が固くなっていたり、根詰まりしている場合以外は、鉢から抜かないと書いてある本もあるので、正直どちらが良いのかわからない。おじさんの場合は隔年程度で鉢から抜いて、少し根を切り、鉢底に堆肥等有機を補充し、鉢上にも有機成分を載せる。

☆年間の主な作業
 3月 芽が一杯出てくるので、太い茎なら芽2~3本、他は2本か1本にする(かき芽)。そうしないと葉が混みすぎて病気になりやすくなる
 4月 葉がある程度出てきたなら、1から2週間ごとに薬剤散布をします 殺菌剤+殺虫剤+添加剤
    1ヶ月程度同じ薬剤を使って、次の1ヶ月は別の薬剤の組み合わせにする、これを10月くらいまで繰り返します
 5月 最初の花が咲く 地植えの場合は次から次へと咲く 鉢植えは花数が少なく早く終わる
    他の花が咲いているときでも、花が終わったら、5本葉の2枚目の上を切る
    株の花がほとんど咲き終わったら、追肥をする
 6月 早い物だと二番花が咲き始める 開花時期:一番花5月、二番花7月、三番花8月、秋のバラ10月~11月
    この頃にシュートが比較的多く出てくる(出てこないのは肥料が少ないかもともとシュートが出にくいバラの品種なのかどちらか)
 7月~8月 夏の暑い時期はバラは消耗する 鉢植えは涼しいところに移します(これをしなくて随分枯らかしました)
 9月 夏の剪定 秋花をしっかり咲かせるための剪定 冬の剪定ほどではないが、少し深めに剪定し最後の追肥をする
 10月~11月 剪定の深さによって、咲く時期が変わります 浅いと早く咲く
 12月 温暖化でまだバラは花がついているか葉が茂っていることが多いので、細かい枝や枯れた葉は取り除くがあとはそのまま越年する           

 ★薬剤散布をこまめにやっていても梅雨時以後に発生する黒点病の予防はなかなか難しい。これで枯れることはないが後々の花に影響する。そして4月中旬以降のつぼみの時期になるとゾウビ虫が出てきて、つぼみの根元のところを吸うので、注意しないいけない。カミキリムシにも注意が必要だ。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなじみの日本論・日本人論(続々) 21.2.2

2021-02-02 19:50:29 | 面白い本はないか
日本人は言葉の力というものを信じていないのであろうか?というのは、不勉強のためかもしれないけれども、政治家なりアーティストとか、要するに著名人が発する言葉で感動するような経験はほとんどない。一方でアメリカ大統領の就任式での演説には感動させるような内容が多くある。ちなみにバイデン大統領の就任式で話題となったのは、なんと22歳の黒人女性アマンダ・ゴーマンさん、この女性を抜擢できることアメリカという国に対して、今一度敬意を表したい。ゴーマンさんが朗読した詩は、儀式や事件など特定の機会にために詠む「機会詩」の部類に入り、多様性やマイノリティ、そして民主主義の尊重といった、今の米国にとって重要なテーマがしっかり織り込まれている(以上中日新聞1月29日付22面から引用)。折角だから最後の部分のみ引用する。
 新しい夜明けが開花する、私たちがそれを解き放つときに
 もし私たちがそれを見る勇気を持つなら
 もし私たちがそれになる勇気を持つなら

日本辺境論では、2009年のオバマ大統領の就任式の演説が引用されている。そこで「どうして日本の首相はこうした演説ができないのであろうか」という問いを立てている。アメリカ人の国民性格は建国の時に「初期設定」されているので、もしおかしくなったら、誤作動したコンピューターのように初期設定に戻せば良い。一方で日本は立ち帰るべき初期設定がない。私たちの国は理念に基づいて作られたものでなくて、いつのまにか国ができていたとも言えるので、歴史を貫いて先行世代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かについて語るところがない。かわりに語るのは、よその国との比較を語るだけである。(ここで原稿をただ読むだけのリーダーに内容はともかくとして感動することはない)

 日本辺境論からの引用を続けよう。「日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。(中略)おそらく、これは始めから自分自身を中心として、ひとつの文明を展開することができた民族とその一大文明の辺境諸民族の一つとしてスタートした民族の違い(梅棹忠夫「文明の生態史観」から)」丸山真男によると「日本の体系的な思想や教義は内容的に言うと古来から外来思想である。けれども、それが日本に入ってくると一定の変容を受ける。それも大きな修正を受ける。きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める態度こそまさしく日本人のふるまいの基本パターン」そして「主旋律は圧倒的に大陸から来た。また、明治以後はヨーロッパから来た。その外来思想はそのまま響かないで、低奏部に執拗に繰り返される一定の音型によって修正され、それと混じり合って響く。」「日本文化そのものはめまぐるしく変化するけれども、変化する方法は変化しない」(最後のところがわかりにくいですね!)「狭隘で資源の乏しいこの極東の島国が大国強国に伍して生き延びるためには、「学ぶ」力を最大化する以外になかった。「学ぶ」力こそ日本最大の国力でそれだけが私たちの国を支えてきた。「学ぶ」力を失った日本人には未来がない。現代日本の国民的危機は「学ぶ力の喪失、つまり辺境の伝統の喪失なのだ。」

 ここまでの引用でほぼ辺境論の言うところは言えただろう。ここでは日本語について述べているところを引用する。日本語は漢字(表意文字、真名まな)とひらがな(表音文字、仮名)からなっているハイブリッド。(このハイブリッドこそがマンガが日本の得意技となった由縁。表意文字=マンガという絵と「ふきだし」呼ばれるせりふ部分を同時にすばやく見ることができるのは日本人の得意技?)もともと無文字であった日本は大陸から漢字を取り入れた。そして外来のものである漢字が正当な位置を占め、男性語となった。一方でひらがなは女性語として女性作家の作品になった。韓国、ベトナムは漢字を棄てた。このため、2世代前に書かれたものを彼らは読むことができない。「明治初年に日本は英語、フランス語、ドイツ語で書かれた大量の文献を翻訳し、わずか20年ほどの間に現在私たちが使っている自然科学、社会科学関連の術語のほとんどは訳語として作られた。西周(あまね)が哲学、主観、客観、観念、命題、肯定、否定、理性、悟性、現象、芸術、技術などの語彙を作った。そしてその訳語は中国でも使われた。」(生活ばかりでなく、学術的、技術的なことを語るあるいは書くのに日本語で足りてしまう。フィリピンだと後者のことは英語でしか語れないし、書けない。それに相当する語彙がないからである。これがために日本人は英語がなかなかうまくなれないのかもしれない。)

 以上で引用は終了である。しかし、外来思想ばかり取り入れていると江戸時代の国学者「本居宣長」のように「仏儒」(からごころ)を廃し、」「やまとごころ」というのを見つけて、自尊心を少し取り戻そうとするであろう。そしてイザヤ・ペンダサンの記事で紹介した皇国思想(本家の中国は今や「中華」の国たり得ない。本家は今や(明治)日本だ)も出現するのも理解出来る。さらに、今や日本はありがたくない課題最先進国との称号までいただいており、きょろきょろしても解決策は簡単に見つかりそうもない。ところが、参考となる国はすぐ近くにあったと思わせる本を次回に紹介したい。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする