ともかくもならでや雪の枯尾花 芭蕉
句郎 この句には前詞がある。「世の中さだめがたくて、この六年七年がほどは旅寝がちにはべれども、多病くるしむにたへ、年ごろちなみ置ける旧友・門人の情忘れがたきままに、重ねて武蔵野に帰りしころ、ひとびと日々草扉を訪れはべるに、答へたる一句」。元禄4年、芭蕉48歳の時の句のようだ。
華女 「ともかくもならでや」とは、どのような意味なのかしら。
句郎 「ともかくもならで」は長旅のなかでどうにかなってしまう、もしかしたら死んでしまうと初めは思ったが、なんでもなかったと、いうことかな。
華女 この句の前詞にある「6年7年」とは、『野ざらし紀行』の旅に出てからということでいいのかしら。
句郎 芭蕉が旅に生きる人生を歩み始めたのは貞享元年(1684年)41歳の時からだから、そうなのかな。
華女 元禄4年にこの句を詠んでいるとしたら芭蕉48歳の時の句よね。芭蕉は41歳の時から48歳まで、旅がちの生活をしていたのよね。その間は病に苦しめられましたがどうにかいきていますよと、詠んでいるのね。
句郎 芭蕉は頑健な身体の持ち主ではなかったのかもしれないな。
華女 芭蕉には持病があったのよね。
句郎 疝気と痔疾が芭蕉の持病だと言われている。
華女 疝気とは、何なのかしら。
句郎 疝気とは、漢方の用語、下腹部の痛みすべてを当時は疝気と言ったようだ。胃炎,胆嚢炎あるいは胆石,腸炎,腰痛なども疝気と言っていた。
華女 内臓のどこかの病を芭蕉は持っていたということね。
句郎 それから痔の病を持っていた。下血したことがあったようだからな。
華女 痔疾持ちの人が馬に乗ることができたのかしら。旅で芭蕉は馬に乗っているわよね。
句郎 どうだったのかな。芭蕉には武士としての嗜みは無かったろうから、馬を一人で乗り、乗り回すような芸当はできなかった。馬方の付いた馬に乗ったということなんだろうけれども、どうだったんだろうな。
華女 身体は病弱だったけれども強靭な精神の持ち主だったのかもしれないわ。
句郎 見知らぬ土地を歩いてみたいと言う強い気持ちが強かったのだと思う。
華女 好奇心の強い人だったのね。
句郎 ここ6、7年間旅をしていましたのでこの通り体は痩せ、髪の毛は白くなりましたと芭蕉庵を訪ねてくれた知人や門人に答えていたということなんだろう。
華女 「雪の枯尾花」とは、雪をかぶった枯れすすきになりましたと芭蕉は自分のことを言っているということね。
句郎 『野ざらし紀行』の旅に出る時、芭蕉は「野ざらしを心に風のしむ身哉」と、道野辺に骸骨となることを覚悟して旅立ったが、大垣に着いた時には「しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮」と詠んでいる。旅立ちの悲壮感はなくなり、旅の楽しみを思い出していた。「ともかくもならでや」とは、「死にもせぬ旅ねの果てよ」ということなんだろう。しかし今度は「雪の枯尾花」だと芭蕉は自分の寿命を自覚し始めているということなのかな。
華女 「雪の枯尾花」、この言葉に私は『船頭小唄』の歌を思い出すわ。
句郎 俺は河原の 枯れすすき
おなじお前も 枯れすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
死ぬも生きるも ねえお前
水の流れに 何かわろ
この水の流れのように私の人生も過ぎ去っていくものだというようなことかな。
華女 枯れすすきがイメージすることを芭蕉は三百年前に発見しているのよ。
句郎 誰でもが同じように白髪頭の痩せこけた老人になっていくということかな。
華女 それが川の流れなのよ。