醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1032号   白井一道

2019-03-21 10:39:38 | 随筆・小説



   前近代の社会について


侘助 前近代の社会は支配する人間と支配される人間が可視化されていた。
呑助 髪型や服装が違っていたということですか。
侘助 そうなんだ。江戸幕府は町人や農民の服装を規制していた。
呑助 すると天皇や公家の服装もほぼ決まっていたということですか。
侘助 そうだと思う。女性の服装の最先端はフランス・パリにあるように言われているでしょ。その起源はフランス革命にあると言われている。ブルボン朝の時代、ベルサイユ宮殿には大勢の服飾職人が抱えられていた。それらの人々はフランス貴族の男と女の服を縫っていた。
呑助 王様の服装、高位貴族の服装、身分の低い貴族の服装、それぞれ身分によって服装が違っていたということなんですか。
侘助 上下の人間関係が一目瞭然になっている社会だった。
呑助 男女の違いが服装や髪形の違いによって分かるように上下の人間関係が髪形や服装で分かった社会だったんですか。
侘助 フランス革命によって失職した服飾職人たちが金持ちの平民たちの服を縫うようになった。こうしてフランス貴族の服装の伝統が富を築いたブルジュアたちに継承されていった。
呑助 フランス革命がフランスのファッションを形作っていったということですか。
侘助 17世紀はフランスの世紀だとヨーロッパ世界では言われていた。その最先端の美意識を表現した服装がフランス貴族の服装だった。その服装を継承したのがフランスのブルジュアたちだった。花の都パリの服装が近代社会の服装の最先端の服装になっていった。その服装は近代以降の全世界に広がっていった。
呑助 上下の人間関係が不可視化されたのが近代社会だということですか。
侘助 近代社会にあっても人間関係の上下の関係は存続しているが、その関係が服装や髪形では区別することができない社会になったということかな。
呑助 近代社会になっても支配する人々と支配される人々は存続しているが、服装や髪形では区別して知ることができない社会だということですか。
侘助 人を支配するとは、自分の意思を正義の実現としてその人に強制することができるということかな。
呑助 下の人は命令を自分の意思として行うということですか。
侘助 60歳になると定年だとして退職する。嫌だと言っても許されることはない。決まりによって強制される。この決まりは正義なんだ。正義の実現として退職がある。
呑助 決まりによって支配されるということは、支配する人に支配されると言うこととは違うように思いますけどね。
侘助 近代社会は法が支配する社会だと言われている。だから支配する人と支配される人とが目に見えることがない。しかし実は支配する人々がいる。
呑助 法とは、民主的な話し合いによってつくられているのではないですか。
侘助 この民主的な話し合いに問題がある。なぜなら民主的な話し合いは力の強い者の意見が通るからね。
呑助 法とは、公明正大な対等平等なものではないのですか。
侘助 社会にはいつの時代も力の強い者と弱い者とがいるからね。例えば消費税は誰にも公平に課税されるものだと言われるが、収入の多い者と少ない者にとっては、同じ税額であっても負担感は大きく違っていると思うからね。消費税の導入ということ自身が収入の多い人々に有利な税制だということが言えると思うよ。
呑助 でも近代社会は貧しい家に生まれた人であっても出世する人がいますね。例えば田中角栄のような政治家がいますね。
侘助 前近代社会にあっても豊臣秀吉のような人もいるけれどね。
呑助 支配されていた人が人を支配する側の人になったということですね。
侘助 そういうのを社会的流動性という。近代社会に比べて前近代社会は社会的流動性の少ない社会であった。身分制社会にあって支配階級に属している人々にとって被支配階級の人々は自分と同じ人間だとは見なしていなかった。支配階級に属している人々にとって人間とは、同じ支配階級の人々だった。被支配階級の人々は動物ののような存在だった。生かすも殺すも自由だ。


醸楽庵だより  1030号   白井一道

2019-03-20 15:00:10 | 随筆・小説


 花にねぬ此もたぐい(ひ)か鼠の巣    芭蕉



句郎 芭蕉が何を詠もうとしているのか、全然分からない句のように感じるな。
華女 この句には、異型の句が伝わっていないのかしら。
句郎 この句の他に二つ知られているようだ。一つが「花に見る是もたぐひか鼠の巣」、もう一つが「花に寝(ぬ)たぐひか軒の鼠の巣」の二つだ。
華女 この句には前詞が付いているのじゃないのかしら。
句郎 「桜をば、など寝所にせぬぞ。「花に寝ぬ春の鳥の心よ」という前詞がある。
華女 前詞を読んでみてもこの句の理解には届かないように感じるわ。注釈書が必要ね。
句郎 三つ目の句「花に寝(ぬ)たぐひか軒の鼠の巣」には、「櫻をわきてねぐらとはせぬ、花の寝ぬ春の鳥の心歟」という前詞がある。
華女 その言葉を聞いてもこの句の理解は進まないわ。
句郎 この句を今栄蔵は「寒気ゆるんだなま温かい春の夜。巣に落ち着かず天井裏で浮かれさわぐ鼠は、これもせっかくの花を塒とせぬ、かの鶯と同類の浮気者なのか」と鑑賞している。更に「『源氏』に思いをよせて興じたと注している。
華女 『源氏物語』にヒントがある句なのね。
句郎 ネットには「ねずみの一家が天井裏で騒いでいる。外は桜花爛漫の春だというのに、それには目もくれず天井裏などで騒いでいるのはあたかも鶯が桜花をねぐらとせずにあちこちの木々を飛び回っているのと同類のようだ」と解釈している。
華女 「花にねぬ」とは、桜が咲くと木から木へと囀り飛び回る野鳥のことを言っているのね。「此もたぐい(ひ)か鼠の巣」とは、天井裏で騒いでいる鼠を言っているのね。分かってきたわ。
句郎 桜が咲き始めたころ、芭蕉庵の天井裏で騒いでいる鼠の駆ける音を芭蕉は聞いていた。
華女 芭蕉は『源氏物語』を思い出していたのね。
句郎 『源氏物語』若紫の巻で、光源氏が女三の宮以外に紫の上と不倫を続けている。「春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ、あやしと覚ゆることぞかし」とある言葉を思い出し、美しい女性を見ると次々に声かけたくなる男の気持ちを表現したくなったのかもしれないな。
華女 鼠が天井裏を走り回っている音を聞き、春の鳥、鶯が花から花へと囀りいくことを思い、『源氏物語』まで気持ちが飛んでいくということなのね。
句郎 「光源氏は鳥=鶯、女三の宮を桜に譬えたのが『花にねぬ』。句では鶯をネズミに譬えて、花ではなく天井裏にこだわるネズミを揶揄している」とネットでは解釈している人がいる。
華女 注釈があって初めて理解できるような句は残ってはいかないと思うわ。
句郎 私もそう思うな。芭蕉の句にもこのような句があるということに時代の制約ということを感じる。
華女 芭蕉もまた時代の制約の中で句を詠んでいたということよね。その中から時代の制約を潜り抜けてい句があったということよね。
句郎 逆に言うと時代や社会の制約があったからこそ、芭蕉の句が生れたということもあるように思うな。
華女 どういうことなの。時代や社会の制約ということは、その時代、その社会にいなければ伝わらないことがあるということなんでしょ。それにもかかわらず、その時代、その社会にいることによってはじめて普遍的な真実を極めることができるということは、どのようなことなのかと思ったのよ。
句郎 「夏草や兵どもが夢の跡」と言う句を平泉で芭蕉は詠んでいるでしょ。当時の江戸庶民の中に義経を讃える世論があった。このような世論の反映がこの句に結晶している。芭蕉は江戸に居住していた。この時代、この社会の中にいたことによってこの句は生まれた。この句が表現していることに普遍的な真実があるからこそ三百年後の現代社会の中にあっても広く知られている。
華女 その時代に、その社会で詠まれた句の中に後世に残っていく句と忘れ去られていく句があるということなのよね。芭蕉の句の中にも人々からいつか忘れられていく句と残っていく句があるということね。
句郎 「花ねぬ」の句は、どうかな。私は理解が難しいように感じるな。俳句は詠んですぐ分かり合える句がいいように思うけれどもね。
華女 芭蕉は『源氏物語』の愛読者であったのね。


醸楽庵だより  1030号  白井一道

2019-03-19 11:27:49 | 随筆・小説



   季語 猫の恋



句郎 芭蕉は「猫の恋」の句  を四句残している。華女さんが一番好きな句はどの句かな。
「猫の妻竃の崩れより通ひけり」
「麦めしにやつるゝ恋か猫の妻」
「猫の恋やむとき閨の朧月」
「まとふどな犬ふみつけて猫の恋 」
華女 私は「猫の恋やむとき閨の朧月」がいいかな。このチョットした艶めかしさが良いなぁと思うわ。芭蕉何歳の時の句なのかしら。
句郎 元禄5年、49歳の時の句のようだ。
華女 芭蕉は51歳で亡くなっているのよね。49歳というともう晩年ね。芭蕉には妻がいなかったのよね。
句郎 妻恋をもよおしているということなのかな。
華女 そうよ。女がほしい。そんな気持ちを詠んでいるのかなと私は思うわ。
句郎 大人の句ということかな。
華女 大人の句よ。恋猫の鳴き声が止んだ時の静かさの情緒があるわ。この句にはね。そう思わない。
句郎 「猫の妻竃(へっつい)の崩れより通ひけり」。この句には若さがあるということかな。
華女 知識をひけらかしているところに若さがあるわ。若いころの芭蕉にもそういうところがあったのよね。
句郎 「麦めしに」の句には恋というものが持つ恐ろしさのようなものが表現されているように感じるな。
華女 そうね。恋は身を亡ぼすようなところがあるわね。実際、恋に身を滅ぼした女が数多くいるように思うわ。
句郎 「まとふどな犬ふみつけて猫の恋 」。この句の「まとふどな」とは、現在では使われなくなった古語だね。
華女 古語辞典にも見つからない言葉よ。
句郎 「愚直な」と言うような意味のようだ。この句はいつ詠まれたのか不明の句のようだ。
華女 若さがあるわ。恋とはこういうものよ。もたもたしていては恋を得ることはできないわ。積極性が必要よ。積極的にいかなければ誰かに取られてしまうわ。恋とはそういうものなんじゃないのかしらね。「猫の恋やむとき閨の朧月」。この句が一番私は好きよ。

醸楽庵だより  1029号   白井一道

2019-03-18 16:31:49 | 随筆・小説


     かぞへ来ぬ屋敷屋敷の梅やなぎ   芭蕉



 元禄2年8月(1689年)、芭蕉は大垣で『おくのほそ道』の旅を終わりにする。その後芭蕉は近江近辺に滞在し、元禄4年9月下旬、江戸に下る。
 陸奥への旅立ちにあたり、芭蕉は江戸深川の芭蕉庵を手放している。その時の句が「草の戸も住み替る代ぞひなの家」である。芭蕉は跡を絶って江戸を旅立った。芭蕉には江戸に変える住いが無かった。妻もいなければ、子供もいなかった。江戸に変えるべき理由がなかった。しかし芭蕉は元禄4年9月下旬になると江戸に向かった旅立ち、11月、江戸に戻り、日本橋橘町に仮寓する。
なぜ芭蕉は江戸に下る決断をしたのか、その理由が今のところ、私には分からない。江戸の門人たちからの誘いがあったからなのかもしれない。元禄5年の正月を芭蕉は江戸で迎えている。
「かぞへ来ぬ屋敷屋敷の梅やなぎ」。この句を芭蕉は元禄5年3月に詠んでいる。この句に芭蕉は「緩歩(くわんぽ)」と前詞を付けている。町人たちが住む日本橋橘町を出て江戸詰めの日本各地の大名屋敷が軒を連ねる武家屋敷街の散歩した折の句が「かぞへ来ぬ」の句であった。
江戸時代は身分制社会であった。武士が住む地域と町人が住む地域、農民が住む地域は別々に住み分けられていた。理由なく農民や町人が武士の住む地域に出入りすることはできなかった。その分をわきまえぬ行いをする者を武士は切り捨てることができた。
芭蕉の身分は農民である。農民身分の者が妄りに理由なく武家屋敷街を歩き回ることは難しかったに違いない。江戸時代、身分は服装で分けられていた。農民は農民の服装が強制されていた。が芭蕉は墨染めの衣を羽織った僧侶の服装をして武家屋敷街を緩歩したのではないだろうか。手には数珠を持ち、屋敷ひとつづつ数えながら、厚い塀で仕切られた庭に掃いている高い樹木、梅や柳の木を愛でて行った。
春の日の武家屋敷街の静かな佇まいに心が満たされていくのを芭蕉は感じていた。これは芭蕉の江戸武家屋敷街への冒険であった。
これが俳句だ。武家屋敷の発見であった。この句はまさに現代俳句に生きる俳句の手本中の手本になる句のような句だ。この句は良い句だと思うだけで自分の俳句力がアップしたような気分になる。

醸楽庵だより   1028号   白井一道

2019-03-17 16:02:41 | 随筆・小説



 この心推せよ花に五器一具    芭蕉


句郎 『葛の松原』に載せてある句のようだ。
華女 『葛の松原』とは、俳諧集なのかしら。
句郎 芭蕉の弟子の各務支考(かがみしこう)が著した随筆風俳論書が『葛の松原』かな。
華女 芭蕉には有能なお弟子さんが何人もいたのね。
句郎 そう、何人もの有能な弟子たちが芭蕉の句を有名なものにした。
華女 身近に評価してくれる人がいたから、芭蕉は生きることができたし、今も芭蕉の命は続いているということね。
句郎 評価して宣伝してくれる人がいて、初めて俳諧師は俳諧師になることができたのだと思う。
華女 「この心推せよ」と芭蕉は詠んでいるのよね。でも「この心」とは、どのような心なのかが分からないわ。前詞には何か書いていないのかしら。
句郎 「東行餞別」とある。岩波文庫『芭蕉俳句集』の注には支考東行餞別とある。また今栄蔵著『芭蕉年譜大成』には「支考奥羽行脚の餞別句会あり」とあるから支考は師匠芭蕉の『おくのほそ道』の跡をたどる旅に出ようとしていた。
華女 そのための餞別句会の発句が「この心推せよ花に五器一具」だったということね。
句郎 俳句とは、17音の文字で読み手に伝える文芸だから前詞がなければ分からないような句はいかがなものだろう。
華女 そうよね。「この心」が何かということが分かってきたようにも思うわ。「五器一具」とは、日用品でいいのかしら。旅に必要なものは花に五器一具で十分だということじゃないのかしら。
句郎 旅路は花に満ちている。あとは無一物でかまわない。そのような心を推しはかれと芭蕉は支考へ諭したくなのかもしれない。
華女 自然の中に花を発見する愉しみが俳諧の旅だと芭蕉は詠んでいるのよ。
句郎 そうなのかもしれない。





醸楽庵だより  1027号   白井一道

2019-03-16 13:26:57 | 随筆・小説



   芭蕉の文体と近代日本の文体について



句郎 「醸楽庵ゼミナール」「『おくのほそ道』を読む」を月一回、地域の公民館で開き、三年間かけてこの三月に読み終えた。
華女 よく続いたものね。
句郎 楽しかったからね。参加してくれた仲間が楽しんでくれたからではないかと思う。
華女 知的な興味を刺激することができたのね。
句郎 そうであってくれればいいと思っているんだ。最後の最後に話したことは、芭蕉の文章は名文だということだった。
華女 『おくのほそ道』は日本の古典中の古典なのでしよう。だから高校の古文の授業でも教えられているわけなのよね。
句郎 『おくのほそ道』の冒頭の文章を高校生の頃、覚えた人も多いのではないかと思うな。
華女 今でも私は覚えているわ。「月日は百代の過客(かかく)にして、行き交う年もまた旅人なり。 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎うる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。 古人も多く 旅に死せるあり。 予もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず、 海浜にさすらへ、 去年の秋、江上の破屋に 蜘蛛の古巣を払いて、やや年も暮れ、 春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物に憑きて 心を狂わせ、 道祖神の招きにあいて 取るもの手につかず、 股引の破れをつづり、笠の緒付け替えて、 三里に灸すうるより、
松島の月 先づ心にかかりて、 住める方は人に譲り、 杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、
  草の戸も 住み替る代ぞ 雛(ひな)の家
面八句(おもて・はちく)を 庵の柱に掛け置く。」この冒頭の文章は名文よね。
句郎 高校生の頃覚えた文章の記憶は忘れることなく、明確に心に刻み込まれているということかな。口調がいいからね。
華女 何が書いてあるのかもよく分からずに暗記しただけかもしれないわ。
句郎 文体は漢文の書下し文だと思う。この名文の伝統は明治時代まで大きな影響を与えていた。例えば高山樗牛の『滝口入道』の文章は名文だと昔、教わったことがある。読んでみると芭蕉の文章に通じるものがあるように思うな。
華女 『滝口入道』の文章とはどのような文章なのかしら。
句郎 『滝口入道』の冒頭の文章は次のような文章なんだ。「やがて來こむ壽永(じゆえい)の秋の哀れ、治承(ぢしよう)の春の樂みに知る由もなく、六歳(むとせ)の後に昔の夢を辿(たどり)て、直衣(なほし)の袖を絞りし人々には、今宵(こよひ)の歡曾も中々に忘られぬ思寢(おもひね)の涙なるべし」とね。漢文の書下し文の強い影響下にある文章じゃないのかな。
華女 芭蕉の文章と同じような響きが感じられる文章ね。
句郎 漢文の強い影響から抜け出るには大変だった。二葉亭四迷や森鴎外の悪戦苦闘を経て近代日本の文体ができてくるのではないかと思う。
華女 言文一致運動ね。
句郎 二葉亭四迷の小説『浮雲』のはしがきは「薔薇ばらの花は頭かしらに咲て活人は絵となる世の中独り文章而已のみは黴かびの生えた陳奮翰ちんぷんかんの四角張りたるに頬返ほおがえしを附けかね又は舌足らずの物言ものいいを学びて口に涎よだれを流すは拙つたなしこれはどうでも言文一途いっとの事だと思立ては矢も楯たてもなく文明の風改良の熱一度に寄せ来るどさくさ紛れお先真闇まっくら三宝荒神さんぽうこうじんさまと春のや先生を頼み奉たてまつり欠硯かけすずりに朧おぼろの月の雫しずくを受けて墨摺流すりながす空のきおい夕立の雨の一しきりさらさらさっと書流せばアラ無情うたて始末にゆかぬ浮雲めが艶やさしき月の面影を思い懸がけなく閉籠とじこめて黒白あやめも分かぬ烏夜玉うばたまのやみらみっちゃな小説が出来しぞやと我ながら肝を潰つぶしてこの書の巻端に序するものは」。漢文の影響から抜け出るには大変だった。
華女 だらだらと一文が長いのね。
句郎 それは江戸戯作文の影響かもしれないな。
華女 森鴎外の文章は素敵よね。
句郎 『舞姫』の文章かな。「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきも徒いたづらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。
 五年前いつとせまへの事なりしが、平生ひごろの望足りて、洋行の官命を蒙かうむり、このセイゴンの港まで来こし頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新あらたならぬはなく、筆に任せて書き記しるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日けふになりておもへば、穉をさなき思想、身の程ほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねの動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記にきものせむとて買ひし冊子さつしもまだ白紙のまゝなるは、独逸ドイツにて物学びせし間まに、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり」。
華女 とても綺麗な文語文た思うわ。


醸楽庵だより  1026号   白井一道

2019-03-15 08:34:28 | 随筆・小説



   鶯や餅に糞(ふん)する縁のさき     芭蕉



句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』を読むとこの句には異型の句が二つ紹介されている。「うぐいすや餅に屎(ふん)する縁の上」、「うぐいすや餅に糞する縁の上」である。
華女 何年に詠まれている句のかしら。
句郎 今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によると元禄五年(1692)芭蕉49歳の年の一月末に「史考と両吟歌仙を巻く」とある。
華女 その歌仙の発句が「鶯や」の句だったのね。
句郎 できたと芭蕉が考えた句が「鶯や餅に糞する縁のさき」だった。史考と二人で歌仙を巻いた時に詠んだ発句が「うぐいすや餅に屎(ふん)する縁の上」だったのか「うぐいすや餅に糞する縁の上」だった。
華女 芭蕉は「うぐいすや餅に屎(ふん)する縁の上」、「うぐいすや餅に糞する縁の上」を推敲し、「鶯や餅に糞する縁のさき」としたということね。
句郎 「鶯や餅に糞する縁のさき」。この句は俳諧、歌仙の発句ではなく、歌仙から自立した俳句になっている。芭蕉はこの句が俳句だと言う認識はなかったが、俳句をすでに無自覚的に詠んでいた。
華女 俳句の誕生は明治なって詠まれた正岡子規の句だと高校生の頃、国語の時間に教わったような記憶があるけれど、すでに芭蕉が俳諧の発句ではなく、俳諧から自立した俳句をよんてせいたということなのね。
句郎 正岡子規は芭蕉の句より蕪村の句を高く評価し、これは俳句だと認識したということだと思う。
華女 無自覚に詠まれていた句を俳句だと自覚し、認識したのが子規だということなのね。
句郎 これは新しい文芸、俳句だと意識化したということは子規の手柄だと思う。
華女 芭蕉は3百年も前にすでに俳句を無自覚に詠んでいたということは凄いことだと思うわ。
句郎 俳諧の発句は俳句へと発展していく必然性があったのだと思うな。
華女 その必然性を認識したのが正岡子規だったということなのね。
句郎 芭蕉は発句としては上五を「うぐいすや」と平仮名で書き、詠んでいる。がしかし俳句として詠んだものは平仮名を漢字で書き、詠んでいる。なぜ芭蕉は平仮名の上五を俳句にした場合、漢字にしたのか、その理由は何かな。
華女 芭蕉は季語を強調したかったのよ。季節の言葉、鶯は平仮名で書くより、漢字で書いた場合の方が強調できるのではないかと考えたのよ。
句郎 平仮名より漢字は発信力があるということなのかな。
華女 漢字は平仮名より硬さがあるでしょ。だからなのよ。この堅さが読み手に印象を明確にする働きがあるように感じるのよ。
句郎 餅は初めから漢字で書いている。「ふん」という言葉の漢字に芭蕉は推敲している。「えん」は漢字で「縁」と書き、場所をはっきりさせている。
華女 この句は鶯が糞をするということが俳句なのよ。芥川龍之介の短編小説に『好色』があるでしょう。『今昔物語』に取材した短編よ。美女に惚れた男が恋焦がれ、諦めるため美女の糞を見ようとする色好みの男の話よ。
句郎 美女の糞が小説になっているということかな。
華女 だから鶯の「ふん」をどの漢字で書くと俳句になるかと芭蕉は推敲したということなのよ。きっと。
句郎 その結果が「糞」だったということか。
華女 「ふん」を表現する漢字は「糞」がもっとも迫力があると芭蕉は感じたのよ。私もこの「糞」の漢字が最も「ふん」を表現していると思うわ。
句郎 「鶯が餅に糞をする」からこの句は俳句になったということだよね。
華女 名詞を漢字で書いていくのよ。「鶯」「餅」「糞」と詠んでいくとここにリズムが生れているわ。強弱強というリズムね。
句郎 「鶯」が一番強く、「餅」とやや弱くなり、「糞」とやや強くなるということ。
華女 更に「縁」と弱くなるのよ。強弱強弱というリズムね。下五のおわり「縁」の「さき」は平仮名なのよ。更に弱くなっていくようになっているのだと思うわ。
句郎 この句のリズムは強弱強弱弱というリズムになっているということなのかな。
華女 芭蕉の言語感覚は研ぎ澄まされているように感じるわ。
句郎 この句は名句のようだ。

醸楽庵だより  1025号  白井一道

2019-03-14 13:18:37 | 随筆・小説



 日韓の政治関係は悪化している



侘助 昨日の晩、BSフジのプライムニュースを見た。ゲストは中谷元、元防衛相 自由民主党衆議院議員、 小野寺五典、前防衛相自由民主党衆議院議員、森本敏 元防衛相 拓殖大学総長らであった。彼らの発言は韓国文在寅大統領に対する不信感に満ちていた。彼らが日本の政治を行っている以上、日韓の政治関係が良くなることはない。韓国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国に対する不安感、恐怖感を感じさせる発言だった。
呑助 韓国は約束を守らない国だというような発言だったのですか。
侘助 1965年の日韓基本条約、請求権協定についての認識が日本と韓国では大きく違っているということを感じた。韓国の認識について理解しようという気持ちが中谷氏や小野寺氏、森本氏には何もないということが良く分かった。
呑助 1965年の日韓基本条約、請求権協定について韓国はどのような認識をもっているのですか。
侘助 対等平等な外交関係を成立させたものではないという認識のようだ。
呑助 日韓基本条約は不平等条約だったということなのですか。
侘助 1965年の日韓基本条約は不平等条約だからこの条約の改正をしたいと考えている。こうした韓国国民の意思を表明しているのが文在寅大統領のようだ。
呑助 具体的に日韓基本条約のどこに不平等性があると韓国の人々は感じているのですかね。
侘助 それは歴史認識の問題だと思う。日韓基本条約第2条には次のようにある。「1910年8月22日以前に大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」。「すべての条約及び協定」とは、韓国併合条約など日本が敗戦するまでに結ばれた条約を意味する。日本としては「もはや」つまり、今となっては無効であるという解釈だ。しかし、韓国側では「韓国併合条約自体がもともと国際法に反する不法、無効なものだ。そもそも無効であったものを確認した」という認識だ。
呑助 日本と韓国でどうしてこのような解釈の違いがあるのですか。
侘助 もっともな疑問だよね。日韓基本条約は、日本語と韓国語、英語と三カ国語の文章で作成されている。それぞれの条文の翻訳と解釈はそれぞれの国に任せることにした。もし、解釈に問題があれば、その時は英文に基づくとした。その結果、日本と韓国は互いに都合のいい解釈をしている。
呑助 どうしてそのような曖昧な条文にしたのですかね。
侘助 当時の日本政府は、韓国国内の事情に配慮したということだと思う。1910年の日本による韓国併合は不法なもの、朝鮮民族の尊厳を傷つけるものだという認識が韓国国民のものだった。一方、日本政府は朝鮮を植民地支配したことを不法なこととして反省していない。韓国政府に謝罪したくない。日韓両国政府が互いの国の国民に対して顔が向けられるようにしたため、曖昧な表現になった。1965年にこのような日韓基本条約が結ばれた背景にはアメリカ政府からの強い要請が日韓両国にあったからようだ。
呑助 アメリカ政府にはどのような事情があったのですかね。
侘助 1964年8月、北ベトナム沖のトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件が起きた。これをきっかけに、アメリカ合衆国連邦政府は本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。アメリカ政府は在韓米軍をベトナムに派遣した。韓国には北朝鮮からの脅威がある。その時は日本の協力が必要だ。その時のために日本と韓国との国交回復をさせなければならない。
呑助 1964年のトンキン湾事件、北爆の開始。1965年の日韓基本条約の成立。これらは密接に結びついている出来事なのですね。
侘助 同時にアメリカ政府は韓国政府に韓国軍のベトナム戦争への派遣を要請し、1965年に韓国は軍をベトナムに派遣している。
呑助 アメリカは韓国軍と南ベトナム解放戦線軍とを戦わせたということですね。
侘助 日韓基本条約なしにアメリカはベトナム戦争を戦うことはできなかった。ベトナムが共産化するとドミノ倒しのように隣接国が共産化する。ドミノ理論の基本的な認識は今も変わらずにアメリカ政府にも日本政府にも継承されているようだ。中谷元、元防衛相 自由民主党衆議院議員、 小野寺五典、前防衛相自由民主党衆議院議員、森本敏 元防衛相 拓殖大学総長らの発言を聞いて彼らは共産主義を恐れる恐共主義者であると思った。

醸楽庵だより  1024号  白井一道

2019-03-13 12:05:07 | 随筆・小説



   沖縄、辺野古に米軍のための新基地建設についての
                   民意を問う県民投票には法的拘束力がある




侘助 新聞やテレビのニュースによって県民投票には法的拘束力がないと聞いていたが、実は法的拘束力があるという話を聞いた。
呑助 県民投票に法的拘束性を認めるような法律が出てきたんですか。
侘助 憲法95条を読むと県民投票には法的拘束性があるという。安倍政権が沖縄県民投票の結果を無視することは、日本国憲法95条に違反する行為だと断罪する法的見解を述べている憲法学者がいる。
呑助 その憲法学者とは、誰ですか。
侘助 慶応大学名誉教授の小林節氏だ。またyou tubeで「永田町フーウン録」を見ていたら平野貞夫さんが沖縄県民投票を無視する安倍総理を憲法95条違反だと告訴する予定だと述べていた。
呑助 私も沖縄、辺野古に米軍新基地建設の可否を問う県民投票には法的拘束力はないものだと思っていましたが、そうではない。憲法に保障された県民投票だったということなんですか。憲法95条にはどのようなことが書かれているのですかね。
侘助 憲法95条とは次のようなものだ。
特別法の住民投票
 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、 その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
呑助 辺野古に米軍の新基地を建設するという特別法を施行するには住民投票の結果、過半数の同意が必要だということなんですね。
侘助 小林節氏は琉球新報の記者のインタヴューに答えて次のように述べている。辺野古新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問うた24日の県民投票で、投票総数の約7割が埋め立てに「反対」票を投じた結果について憲法学者の小林節慶応大名誉教授は27日、本紙(琉球新報)の取材に応じた。小林氏は「県民投票には憲法上の拘束力がある。政府には憲法の趣旨に従って『少なくとも県外への移設』を追求すべき義務がある」と指摘した。
 小林氏は憲法95条を根拠に挙げた。同条文では「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」と定めている。小林氏は県民投票で辺野古への移設は県民の過半数の同意が得られていないことが明確になったと指摘した。
 憲法95条で対象にしているのは「国の法律」だが、小林氏は「辺野古への米軍基地移設は形式上は『法律』ではないが、中央から地方へのいじめをしてはならないという憲法の趣旨からすれば、政府が過重な負担を沖縄に押し付けてはならないという規範が95条の法意だ」と説明した。
 投票率が有権者の約半分にとどまり、「反対」以外が約70万人いることなどを挙げて「反対が沖縄の民意」とすることを疑問視する指摘については「先の衆院選小選挙区で自民党の小選挙区での得票率は47%余りで全有権者に占める割合は約25%にとどまった。それにもかかわらず約74%の議席を獲得した。安倍政権が県民投票の獲得票の割合が低いと言うのであれば自己矛盾になる」と強調した。
 その上で「県民投票での埋め立て反対票の割合は自民に比べても圧倒的に多い。棄権した人は、投票に行った人の結果に従うというのが法的評価だ」と述べ、そうした指摘は全く当たらないとの見解を示した。
 また、首都東京大学教授、憲法学者の木村草太氏は県民投票の必要性を次のように説明している。
  新基地を造るための法的根拠
辺野古について考える際、そもそも米軍基地を造りたい場合にどうするのかが問題になる。日本は法治国家なので、何か国が行為をするときには、必ず根拠になる法律や条例が必要になる。
今の米軍基地を造るための法的根拠というのは、政府、内閣、防衛大臣に非常にたくさんの権限を与え、責任を内閣にかなり押しつけるという状態になっている。
いわゆる日米安保条約第6条に基づく駐留軍用地特別措置法に基づけば、政府がここに必要ですと言えば、そこに基地を造れるし、政府が土地を所有してなくても、収用して基地を造れるという法律になっている。
ただ、住民や地元自治体から何の意見も聞かずに、政府が認定し、基地ができるという法律になっているが、それでいいのだろうか。
こういう仕組みだと、嫌なことを押しつける仕事を政府だけで引き受けなければならない。今は法律の根拠が非常に曖昧かつ抽象的で、国民や国会が基地建設の責任を感じることができる状況になく、問題だ。
住民投票の必要性
憲法95条に基づいて、地元の声について考えてみたい。
米軍基地のようにみんながいやなものをどこかに造るとき、多数決というのは賢明な手段ではない。沖縄県民、東京都民であっても、国民全体でみれば少数派なので、国民全体で多数決をとれば負けてしまう。
日本国憲法95条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票において、その過半数の同意を得なければ、国会はそれを制定することができない」とある。辺野古新基地建設では、この条文に基づく住民投票が必要に思える。
1997年に名護市で、海上ヘリ基地についての住民投票があったが、それとは違う住民投票だ。従来の住民投票は法的効果というのが非常に弱い。なぜなら、住民投票の結果が、市や国を拘束できないからだ。憲法で市長や内閣に与えられた権限を、住民の意思で拘束することが、権限の制限となってしまうからだ。これが一般的に住民投票をやるときの壁になる。
ただ憲法95条の住民投票はそうではない。住民の同意を得ないと、その法律は制定できないわけだから、法案が国会を通過したとしても、その後に地元住民の同意を得るプロセスが必要になる。
辺野古新基地建設問題については、まず国民全体で責任を引き受け、地元を説得するために、国民全体が努力しなければいけない。そういったコミュニケーションを生み出す制度づくりが必要だ。


醸楽庵だより  1023号  白井一道

2019-03-12 10:56:52 | 随筆・小説


  韓国の積弊清算政策


侘助 韓国の政治は日本と比べてダイナミックだね。
呑助 前朴槿恵(パククネ)大統領は現在刑務所に入っているわけですからね。悪事をしたということで弾劾されている。
侘助 親日派と言われていた保守政治家たちは、自分たちの富を築く悪事を働いたということでその罪が問われているようだ。
呑助 最高裁判事までもが起訴されたそうですね。
侘助 韓国検察は2月11日、韓国大法院(最高裁)が朴槿恵(パククネ)前政権の意向を受けて徴用工訴訟の進行を遅らせたとされる事件で、前大法院長(最高裁長官)の梁承泰(ヤンスンテ)容疑者(71)を職権乱用などの罪で起訴した。朴炳大(パクビョンデ)容疑者ら2人の前大法官(最高裁判事)についても、共犯として同様の罪で起訴した。このように朝日新聞は報じているよ。
呑助 このくらいしないと政治は変わらないのかもしれませんね。韓国だったら、安倍総理の森友学園問題、加計学園問題も徹底的に調べられ、起訴されているかもしれませんよ。
侘助 韓国の中央日報は次のような社説を掲げている。「検察が昨日、梁承泰(ヤン・スンテ)司法府で法院行政処長を務めた朴炳大(パク・ビョンデ)、高永ハン(コ・ヨンハン)両前最高裁判事に対する逮捕状を請求した。職権乱用容疑という。直前政府の最高裁判事に対する逮捕状請求は憲政史上初めてのことだ。解放直後の反民族行為処罰政局、4・19革命、5・16軍事政変などの混乱期にもこのようなことはなかった。統合と未来に焦点を合わせるよりも「積弊捜査」に注力する国内の状況と司法不信の風土でなければあり得ないと考えられ、惨憺たる心境だ。
 万人の尊敬を受ける地位からわずか数カ月間で犯罪者に転落した当事者の心境は複雑だろう。司法府がこのようになったことに対する責任感と同時に、管理者として熱心に仕事をしたことが何の罪になるのかという捜査に対する反感が共存するからだ。実際、今回の逮捕状請求は予想された手続きだった。検察が企画した司法壟断捜査フレームは林鍾憲(イム・ジョンホン)元次長の逮捕後、頂点の梁承泰(ヤン・スンテ)元大法院長(最高裁長官)に進むステップのように朴、高前最高裁判事を狙ったからだ。
 罪を犯せば相応の罰を受けるのが法治主義の根幹だ。検察が請求した逮捕状には、両前判事が進歩性向判事を統制するためのいわゆる「判事ブラックリスト」作成に関与したと記載されている。また、民事・刑事、行政裁判に幅広く介入し、捜査情報を引き出したという容疑もある。それぞれ100枚を超える起訴状羅列犯罪事実だけを見ると大逆罪人といえるほどだ。しかし前最高裁判事の容疑者が「正当な業務指示だった」と強く容疑を否認している状況で有罪無罪を予断するのはまだ早い。
 したがって早ければ5日ごろ行われる裁判所の逮捕状実質審査が何よりも重要となる。過程は公正、結果は正しくなければいけない。この事件の逮捕状担当判事は進歩や保守の理念に偏らず、提示された事実と証拠だけで裁判官の良心に基づいて最善の決定を下さなければいけない。
呑助 公正な裁判をしてほしいと思いますね。
侘助 2009年、民主党鳩山由紀夫政権が誕生した時に韓国文在寅政権のような積弊政策をとるなら、官僚に裏切られ倒れることがなかったかもしれないな。
呑助 元最高裁長官田中耕太郎のような日本の主権を売り渡すようなことをした裁判官を起訴し、刑務所に入れることができれば、日本はまっとうな国になったかもしれませんね。
侘助 砂川裁判で起訴された日本人を無罪にした一審の伊達判決を覆し、有罪とした判決のことかな。
呑助 田中耕太郎は駐日アメリカ大使と話合い、アメリカの意向を受け入れ、砂川米軍基地拡張に反対した日本人を有罪にした裁判官ですよね。
侘助 田中耕太郎のような裁判官は断罪されてしかるべきだろうね。
呑助 安倍総理も沖縄辺野古米軍新基地建設に反対する沖縄県民の民意を踏み躙る政治家として民主主義を破壊した罪で断罪される日が遠からず来るかもしれませんね。
侘助 きっと来ると思うな。