「しんぶん赤旗」16日付は、「1970年9月9日と14日に行われた中曽根康弘防衛庁長官とレアード米国防長官(いずれも当時)との会談記録の抜粋」を紹介しています。
「(中曽根)▽ 個人的な考えであるが、世界の誤解を防ぎ国内のコンセンサスを維持するために核兵器は持たないと書いた方がよい。 ただし米国の核兵器の導入にいついては留保しておいた方がよいと思う。 ▽ サトウ・ジョンソン共同声明において日本に核のきょういが生起した場合米国はあらゆる兵器(核兵器を含む)をもってこれに対応すると約束したことは現在も有効であるか」
「(レアード)▽ 核抑止力の問題においては、核の所在は重要な問題であり、かるがるしく論ずべきではない。 従って将来核の所在については80年代にかけてPOLICY MAKER(政策立案者)がタフな決断に迫られることがあるということを知っておかなければならないと考える。 ▽ 日本には国防に関連して憲法上の問題があるが、憲法改正の必要が生じてくるであろう。 ナカソネ長官のような偉大な政治家にはこれができると思う」
同紙は、また、次のように報じています。
「この発言はこれまでも米側の解禁文書や国会での追及で知られていましたがが、日本政府の公開文書で明らかになったのは初めて。 核兵器廃絶の先頭に立つべき日本政府の当事者が、日本への核持ち込みを容認するどころか、自ら求めていたことが裏付けられました」
「外務省側は『オキナワを含めて日本に対する将来の持ち込みに関して発言した感触である』との注釈をつけています」
「中曽根氏の発言について82年12月9日の衆院本会議で、日本共産党の不破哲三委員長(当時)が同氏の署名の入った秘密訪米報告書を基に追及。 中曽根首相(同)は『私が核兵器の導入を認めるような発言をしたことはありません』と虚偽答弁しました。 中曽根氏は国民・国会への説明責任という点で重大な背信行為を行ったといえます」
「日米両政府は60年の安保条約改定に際して、米艦船・航空機による核持ち込みを容認する密約(討論記録)を交わしました。 この密約は破棄されておらず、今も有効です」
今年は、被爆70年です。 国連で核兵器廃絶交渉の開始を求めるNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれます。 被爆国日本政府の態度が問われます。