「第29章 1950年(下)」には、「58年後に発見されたスターリン書簡」が紹介されています。 (「前衛6月号」209~211頁)
不破さんは、この書簡について、次ぎのように分析しています。
「発見されたスターリン書簡は、発表された2008年当時、日本のメディアでも報道されましたが、本格的には研究されないまま、一時的なニュースとして忘れられていったと思います。 その内容が、朝鮮戦争の歴史的経過についての通説とあまりにもかけ離れており、歴史のどこにどうはめ込むべきかの理解がつかなかったからかも知れません」
「しかし、その時期のスターリンの国際活動の経過をヨーロッパとアジアの両方面を視野に入れて追跡してきたわれわれの目から見ると、この書簡は、朝鮮戦争をめぐる多くの謎を解き明かす力をもった、スターリン自身のきわめて重大な発言であることがわかります」
「最初に指摘しておく必要があるのは、これは、米軍の仁川上陸で北朝鮮軍が危機に陥った時期に、スターリンが言いわけ的に語ったものではない、ということ、『南進』作戦がほぼ成功して韓・米両軍を洛東江の一角に追い込み、意気盛んだった時期の書簡だということです。 (書簡の日付の8月27日は、スターリンが『南進』作戦の成功をたたえる金日成あてのメッセージを書いた前日でした)」
「この書簡で、第1に重要なことは、スターリンがアメリカを朝鮮戦争にひきだすことが安保理欠席の目的であることを、はっきり認めているということです。 『4つ目は、米国政府にフリーハンドを与え、安保理での多数を利用してさらなる愚行をおこなう機会を提供し、世論が米国政府の真の顔を目にできるようにすることだ。 ・・・・ われわれが安保理を退席したあと、米国は朝鮮での軍事介入を開始し、そこで軍事的威信と道徳的権威を失いつつある、いまや、米国が朝鮮における弾圧者、侵略者であり、軍事面では自ら吹聴するほど強いわけではないことを、正直者であれば疑うことはできないだろう』。 彼は4つ目の目的をあげていますが、中国の代表権問題などあとの3つは、一時的な意思表示をすれば済むことで、いつまでもボイコットを続ける根拠にはなり得ないものでした。 現にソ連は、それらの問題は何一つ解決していないのに、50年8月、この手紙を書いた時点では、すでに安保理に復帰していたのですから。」
「スターリンは、この書簡で、米国政府に『さらなる愚行』、すなわち朝鮮への出兵をおこなわせること、そのことを目的にして、安保理が米国提案の2つの決議を無事に成立させるように、50年1月に開始したボイコットを6月~7月まで続けていたのだと、まったくあからさまな言葉で説明したのです」
「第2は、スターリンにとって、米国政府に朝鮮出兵という『愚行』を犯させることが、なぜ必要だったのか、についての説明です。 スターリンは、先の文章に続けてこう語ります。 『さらに、米国が現在ヨーロッパから極東にそらされていることは明らかである。 国際的なパワーバランスからいって、これはわれわれに利益を与えているだろうか。 もちろん与えている」
「重大なことは、スターリンがここで、安保理欠席の理由だけでなく、なぜ朝鮮戦争を起こしたかの理由まで説明していることです。 スターリンは、朝鮮戦争によって、アメリカの関心と軍事戦略の重点をヨーロッパから極東にそらすことが目的だった、それが『われわれ』に利益を与えていることは明らかだと、何一つ言葉を飾ることなく実に率直に語っています。 ここで『われわれ』という時、それはソ連と東ヨーロッパ諸国のことで、(チェコスロバキアは東ヨーロッパ諸国の代表として扱われている)、アメリカの脅威がヨーロッパからよそへ移りさえすれば、それが移った先の国々がどうなろうと、それは自分たちの利益の外の出来事でしかないのです。 これが、スターリン流の『国際的なパワーバランス』の論理なのでした」
そして、不破さんは、「朝鮮戦争こそは、アメリカ帝国主義との対決の主戦場をヨーロッパから極東に移す『第2戦線』構想の具体化として引き起こされたものだ、そのことを、スターリン自身があかさまに証言しているのですから」と指摘しています。
日本共産党の「50年問題」を考える上でも新たな視点を提示するものです。
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