昨日の「読売」紙は、日本共産党が提唱している「国民連合政府」構想について、志位委員長へのインタビュー記事を掲載しています。 その中で、天皇制や、国旗・国歌などへの質問があります。
「--天皇制や国旗・国歌にはどう対応するか」
「天皇制をどうするか決めるのは、将来のことだと考えている。 国民連合政府は暫定的な政権だから天皇制に一切手をつけることはしない。 国旗国歌法には反対したが、それが法律になった事実がある。 国民連合政府では、国会での国旗の常時掲揚などの変更を求めるつもりはない」
また、次のような質問もあります。
「--社会主義・共産主義を目指す綱領や共産党の名前を変える可能性はないか」
「それはない。 貧困と格差の問題など、あらゆる点で資本主義の限界が指摘されている。 党名を変えるとか理想を捨てることはない」
日本共産党は、現在の中国などの現状を「社会主義に到達した国」とは見ていないことは、紹介したとおりです。
それでは、日本のお未来社会ー社会主義への道をどう考えているのでしょう。 「国民連合政府」の提唱への関心が広がると同時に、こうした課題への関心も高まっています。
日本共産党第26回大会「決議」はこうした課題について、次のように明らかにしています。
【①未来社会への移行の過程の条件ーー経済力の水準について】
「日本における未来社会を展望した場合には、未来社会への移行の過程の条件は、異なったものとなる。 日本が当面する資本主義の枠内での民主主義革命の課題をやりとげて、社会主義への道にすすむ場合には、発達した資本主義のもとでつくられた巨大な経済力の水準を引き継ぐことになる。 その場合には、現在の中国社会で進行しているような経済の急成長、それにともなう社会的諸矛盾の拡大という現象は、決しておこらないだろう」
「日本経済は、現在の水準でも、日本国憲法にいう『健康で文化的な最低限度の生活』を国民すべてに十分に保障できるだけの経済力をもっている。 社会の現実がそうなっていないのは、財界・大企業の横暴な支配のもとで社会的格差が拡大しているという問題にくわえて、今日の資本主義がきわだった『浪費型の経済』--繰り返される恐慌、大量生産・大量消費・大量廃棄、金融経済の異常な肥大化などーーになっているためである」(以下、略)
【②未来社会への移行の過程の条件ーー自由と民主主義、政治体制について】
「自由と民主主義、政治体制という点でも、日本での社会主義の道は、中国などとは異なる道をすすむことになる。 中国、ベトナム、キューバでは、政治体制の面で、事実上の一党制をとり、それぞれの憲法で『共産党の指導性』が明記されている。 これは、それぞれの国で社会主義をめざす勢力が、革命戦争という議会的でない道を通って政権についたことと関連がある。 もちろん、議会的てない道を通って政権についた場合でも、レーニンがロシア革命の初期に実践したように、反対政党の禁止は一般的な革命の原則とはいえない」
「同時に、議会も民主主義の経験も存在しないという条件から革命が出発したことが、現在のこれらの国ぐにの政治体制のあり方と結びついていいることを、見ておかなければならない」
「日本では、このようなことは決して起こりえないことである。 日本共産党は当面する民主主義革命でも、将来の社会主義的変革においても、その一歩一歩を、選挙による国民の審判を受け、議会で多数を獲得することによって進むことを、綱領で宣言している。 綱領には、つぎのように明記されている」
「『社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる』」
「『さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される』」
「『社会主義』の名のもとに、特定の政党に『指導』政党としての特権を与えたり、特定の世界観を『国定の哲学』と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる」
「これは綱領が国民に約束している社会主義日本の展望であるが、これはたんに綱領上の公約というだけにとどまらない。 日本のように憲法で国民主権、基本的人権がうたわれ、議会制民主主義が存在する社会を土台にするならば、未来社会において、それらが全面的に継承され、豊かに花開くことは、歴史の必然である」