フェイスブックでクイーンの話題が出たので
「そういや私もクイーンのレコード持ってるわ。デビューアルバムとデビューシングル」
と思い出し、ガサゴソとひっぱりだしてみました。
<
はい、歴史的デビューのシングル盤です。
「Keep Yourself Alive」。邦題「炎のロックンロール」(笑)。
タイトルの上についてるキャッチコピーが
「ブリティッシュロック界最高の新人・ニューヘヴィロックグループ・クイーン登場!」ですよ。
クイーンも新人だったのね。当たり前ですが。
B面は「Son & Daughter」。
これもへヴィなかっこいいナンバーです。
当時、大阪の心斎橋に「ミヤコ」という大きなレコード屋さんがありまして
シングル盤を買うと、希望すれば店内に流してもらえたんです。
私もこのレコードを店員に渡し、流してもらいました。
イントロの「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」が流れた瞬間
店内にいた女性客数人が直立不動になったり、「キャッ!」と叫んだり
クイーン人気がよくわかる現象がおこりました。
とはいえ
この頃はまだクイーンはメジャーではなく
あくまでロックが好きな女の子たちに大人気だった、というだけでした。
このシングルを含むデビューアルパムがこちら。
「Queen」。邦題「戦慄の王女」。
このアルバムはとにかく衝撃的でした。
ハードロックなんだけど、プログレの要素があり
だけどプログレじゃない。
何なんだこの音は!
もうね、1曲目の
「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」で
圧倒されましたね。
かと思うと2曲目はがらっと替わって静かな曲。
そして3曲目は再び激しい曲。
B面はいきなり「Liar!」ですしね。
ところでクイーンを日本で最初に紹介したテレビ番組は
おそらく近畿放送(現・KBS京都)の
「ポップス・イン・ピクチャー」(通称PIP)ではなかったかと思います。
PIPは、当時としては画期的な、海外ミュージシャンのPVを流す番組でした。
まだMTVがなかった時代ですよ。
今でこそ日本のミュージシャンもPVつくるのが当たり前ですが
あの頃は欧米のミュージシャンのPVしかなく
それも日本ではなかなか見られませんでした。
「11PM」の水曜日にダイジェストを見ることができましたが
まるまる流してくれたのはPIPだけでした。
大阪の私の実家では近畿放送が見られませんでしたが、神戸の「サンテレビ」は見られたので
サンテレビ経由で見ていました。
PIPにレコード会社の人がクイーンの宣伝で出演し
この「戦慄の王女」のジャケットを見せたのですが
DJの川村龍一さん(当時は川村ひさし)が
「なんでクイーンなのにタイトルが王女なんですか?」とつっこんで
レコード会社の人は答えられなかったのが印象に残ってます(笑)。
で、オンエアされたPVが「Liar」でした。
Liar、かなりインパクトありましたね。
このデビューアルパムのジャケット
裏はこんなふうでした。
これだとあんまメンバーの顔わかんないですね。
だからか?あまりミーハーなファンはまだいなかったですが
この次のアルバム「QueenⅡ」では
宣伝ポスターがモロ「貴公子4人組!どや!」って感じのベルばら風だったんで
女子が食いつきましたね~。
おまけにメンバーのプロフィールがだんだん明かされていくと
もう女子は「美形で頭いいってサイコー!」
とばかりにキャーキャーとなりました。
フレディ以外のメンバーが大学卒で
ブライアンにいたっては大学院を出て博士号をとってます。
当時のイギリスでは、大学に進学するのは相当頭がいいってことだったんです。
日本と違い、誰でも入れるわけではなかったんですね。
イギリスのロックミュージシャンで大学卒はミック・ジャガーぐらいでしたから
史上最強のインテリバンド出現!と言われました。
3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」からシングルカットされた
「キラー・クイーン」が日本で大ヒットして初来日。
私の友人がライブに行きまして
フレディが客席に投げた花に向かって突進。
苦闘の末、葉っぱ1枚ゲットして(笑)、大事に生徒手帳に挟んでました。
てか、なんで私クイーンのライブ行かなかったのかなあ?
デビューアルバムに衝撃受けたって書いてるくせに
ライブ行くほど好きじゃなかったのかな。
今となってはわかりません。
「クイーン・キッス・エアロスミス」がロック御三家と呼ばれてましたが
キッスとエアロスミスは初来日のライブに行ったんですけどねえ。
キッス初来日の話はこちら。
エアロスミス初来日の話はこちら。
4枚目「オペラ座の夜」の世界的大ヒットで
日本だけでなく世界のクイーンになりました。
実は私、このアルバム以降クイーン聴かなくなったんで
ヒット曲ぐらいしか知らないんですよね。
だけどなぜかこのレコードは持ってます。
クイーンが日本語で歌ってる有名なナンバー。
この曲、大阪の報道番組「MBSナウ」のCM曲として
使用されてました。
以前、うちの店でしばらく飾ってたことあるんですが
お客さんのリアクションがまったくなくて
ショックでした(笑)。
あーなつかしいわクイーン。
クイーンがブレイクしてすぐにベイ・シティ・ローラーズが一世風靡したり
パンク到来で、イギリスからはセックス・ピストルズが
アメリカからはラモーンズが登場したり
エキサイティングな時代に中高生でラッキーでした。
そーいやランナウェイズも当初はパンクのくくりに入ってたよなあ。
ジョーン・ジェットかっこよかったなあ…
と、いろいろ思い出されて中高年の夜は更ける。
「そういや私もクイーンのレコード持ってるわ。デビューアルバムとデビューシングル」
と思い出し、ガサゴソとひっぱりだしてみました。
<
はい、歴史的デビューのシングル盤です。
「Keep Yourself Alive」。邦題「炎のロックンロール」(笑)。
タイトルの上についてるキャッチコピーが
「ブリティッシュロック界最高の新人・ニューヘヴィロックグループ・クイーン登場!」ですよ。
クイーンも新人だったのね。当たり前ですが。
B面は「Son & Daughter」。
これもへヴィなかっこいいナンバーです。
当時、大阪の心斎橋に「ミヤコ」という大きなレコード屋さんがありまして
シングル盤を買うと、希望すれば店内に流してもらえたんです。
私もこのレコードを店員に渡し、流してもらいました。
イントロの「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」が流れた瞬間
店内にいた女性客数人が直立不動になったり、「キャッ!」と叫んだり
クイーン人気がよくわかる現象がおこりました。
とはいえ
この頃はまだクイーンはメジャーではなく
あくまでロックが好きな女の子たちに大人気だった、というだけでした。
このシングルを含むデビューアルパムがこちら。
「Queen」。邦題「戦慄の王女」。
このアルバムはとにかく衝撃的でした。
ハードロックなんだけど、プログレの要素があり
だけどプログレじゃない。
何なんだこの音は!
もうね、1曲目の
「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」で
圧倒されましたね。
かと思うと2曲目はがらっと替わって静かな曲。
そして3曲目は再び激しい曲。
B面はいきなり「Liar!」ですしね。
ところでクイーンを日本で最初に紹介したテレビ番組は
おそらく近畿放送(現・KBS京都)の
「ポップス・イン・ピクチャー」(通称PIP)ではなかったかと思います。
PIPは、当時としては画期的な、海外ミュージシャンのPVを流す番組でした。
まだMTVがなかった時代ですよ。
今でこそ日本のミュージシャンもPVつくるのが当たり前ですが
あの頃は欧米のミュージシャンのPVしかなく
それも日本ではなかなか見られませんでした。
「11PM」の水曜日にダイジェストを見ることができましたが
まるまる流してくれたのはPIPだけでした。
大阪の私の実家では近畿放送が見られませんでしたが、神戸の「サンテレビ」は見られたので
サンテレビ経由で見ていました。
PIPにレコード会社の人がクイーンの宣伝で出演し
この「戦慄の王女」のジャケットを見せたのですが
DJの川村龍一さん(当時は川村ひさし)が
「なんでクイーンなのにタイトルが王女なんですか?」とつっこんで
レコード会社の人は答えられなかったのが印象に残ってます(笑)。
で、オンエアされたPVが「Liar」でした。
Liar、かなりインパクトありましたね。
このデビューアルパムのジャケット
裏はこんなふうでした。
これだとあんまメンバーの顔わかんないですね。
だからか?あまりミーハーなファンはまだいなかったですが
この次のアルバム「QueenⅡ」では
宣伝ポスターがモロ「貴公子4人組!どや!」って感じのベルばら風だったんで
女子が食いつきましたね~。
おまけにメンバーのプロフィールがだんだん明かされていくと
もう女子は「美形で頭いいってサイコー!」
とばかりにキャーキャーとなりました。
フレディ以外のメンバーが大学卒で
ブライアンにいたっては大学院を出て博士号をとってます。
当時のイギリスでは、大学に進学するのは相当頭がいいってことだったんです。
日本と違い、誰でも入れるわけではなかったんですね。
イギリスのロックミュージシャンで大学卒はミック・ジャガーぐらいでしたから
史上最強のインテリバンド出現!と言われました。
3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」からシングルカットされた
「キラー・クイーン」が日本で大ヒットして初来日。
私の友人がライブに行きまして
フレディが客席に投げた花に向かって突進。
苦闘の末、葉っぱ1枚ゲットして(笑)、大事に生徒手帳に挟んでました。
てか、なんで私クイーンのライブ行かなかったのかなあ?
デビューアルバムに衝撃受けたって書いてるくせに
ライブ行くほど好きじゃなかったのかな。
今となってはわかりません。
「クイーン・キッス・エアロスミス」がロック御三家と呼ばれてましたが
キッスとエアロスミスは初来日のライブに行ったんですけどねえ。
キッス初来日の話はこちら。
エアロスミス初来日の話はこちら。
4枚目「オペラ座の夜」の世界的大ヒットで
日本だけでなく世界のクイーンになりました。
実は私、このアルバム以降クイーン聴かなくなったんで
ヒット曲ぐらいしか知らないんですよね。
だけどなぜかこのレコードは持ってます。
クイーンが日本語で歌ってる有名なナンバー。
この曲、大阪の報道番組「MBSナウ」のCM曲として
使用されてました。
以前、うちの店でしばらく飾ってたことあるんですが
お客さんのリアクションがまったくなくて
ショックでした(笑)。
あーなつかしいわクイーン。
クイーンがブレイクしてすぐにベイ・シティ・ローラーズが一世風靡したり
パンク到来で、イギリスからはセックス・ピストルズが
アメリカからはラモーンズが登場したり
エキサイティングな時代に中高生でラッキーでした。
そーいやランナウェイズも当初はパンクのくくりに入ってたよなあ。
ジョーン・ジェットかっこよかったなあ…
と、いろいろ思い出されて中高年の夜は更ける。
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