2月14日にシーナ&ザ・ロケッツのシーナが亡くなったというニュースが流れ
本当に驚きました。
つい数ヶ月前、日本テレビ「秘密のケンミンショー」に
夫婦揃って出演されていたのに。
部屋の隅に放られて~♪…って、「夢見るラグドール」の歌詞じゃないですけど
隅に置いてあるカセットテープのラックから
取り出してみました。シナロケのテープ。
当時、大学生だった私がレコードから録音したテープ。
この頃は、レコードに傷がついたり汚れたりするのがいやで
すべてカセットテープに録音していたのです。
まだパソコンはおろかワープロもなかった時代
タイトル面は「レタリング用転写シート」を使用していました。
一番下のテープに入っているのは
伝説の名盤、と言われたデビューアルバム「#1」と
大ヒット曲「ユー・メイ・ドリーム」がフィーチャーされたセカンドアルバム「真空パック」
真ん中のは、サードアルバム「Channel Good」。「d」が抜けてるのは見逃してちょ。
一番上は、9枚目の「#9」と10枚目の「Happy House」が入ってます。
そしてこちらは
テープ版として販売されたもの。
4枚目のアルバム「ピンナップ・ベイビー・ブルース」です。
当時、超売れっ子コピーライターだった糸井重里氏が作詞に参加
そしてミッキー・カーチスがプロデュースと
非常に話題を呼んだアルバムでした。
私はこのアルバムが大好きで
特にストーンズの「サティスファクション」のカバーは絶品でした。
この曲はいろんな人がカバーしてますが
シナロケのアレンジといったら、もうね、ぶっ飛びました。
この頃、音楽雑誌だった「宝島」誌で
「おまえらの日本のロックアルバムベスト3を教えろ」という企画があり
読者から投稿(ネットのない時代だから郵送ですよ)を募っていたので
私も投稿しました。
・サンハウス「有頂天」
・サディスティックミカバンド「黒船」
・シーナ&ザ・ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」
で、シナロケのとこのコメントには「サティスファクションには参るぞ!」と書いた覚えが(笑)。
もともと私はサンハウスが大好きだったんですよ。
サンハウスについての日記も書いてますので、よろしければこちら→http://star.ap.teacup.com/ladystardust/25.htmlをどうぞ。
デビューアルバム「#1」は、ロックの名盤とされていますが
長いこと廃盤になっていて
「幻の名盤」と言われていました。
今はアマゾンで買えるんですね。
サンハウス時代のブルース色が残っていて
シーナのボーカルはまだ荒削りだけど
ロックンロールの原石って感じのアルバムでした。
宝島誌でも「日本の女性ロックボーカリストの原点がここにある」って評価されてましたね。
シナロケは突然CMに出てくるイメージがあって(笑)、
ぼーっとテレビを観ていて「あれ?今のシナロケ??」ってことが多々起こりました。
何のCMだったか忘れたけど
「海は広いな大きいな~♪」の「海」を歌い踊りながらメンバーが出てきて
「!!!!!」と目玉飛び出しそうになったり(笑)、
「職業選択の自由、アハハン♪」のCMの時は
声だけで「これシーナやん!」とわかったり
ジャノメミシンのCMでは
小学生だった双子の娘さんたちと鮎川誠が出ていて
かっこいいパパとかわいいお嬢ちゃん、という
ほんわかしたイメージでした。
このCM、あんまり流れなくて
スポンサー番組だった「3時のあなた」ぐらいでしか観られなかったんですよ。
いまはYouTubeで観られます。
いい時代になったもんだ。
そういえば80年代
中島らもがメインの大阪ローカル番組「なげやり倶楽部」で
第1回目のゲストがシナロケでした。
いやもう、この番組は…(詳細はウィキペディアでよろしく)。
中島らもと鮎川誠の会話が進まないことといったら(苦笑)。
中島「…………えー、鮎川さんは最近どういう音楽を聴いてるんですか」
鮎川「…………あー、最近ですか…レゲエなんかいいですね」
中島「………そうですか……僕レゲエ嫌いなんですよね……」
しつこいようですが、番組の詳細はウィキペディアで。
終始、鮎川誠の隣でシーナが笑顔をキープしてたのが印象的でした。
「シーナ偉いなあ」と感心してました(笑)。
シーナの訃報を聞いて、いろんな思い出が蘇りました。
私自身の結婚式の時
披露宴でのキャンドルサービスのBGMがこちらでした。
もちろん自分で持ち込み。
当時、披露宴でのBGMは式場で用意された曲を使用するのが普通だったので
BGMすべて自分で持ち込んだ私は
さぞかしめんどくさい客だったと思います。
キャンドルサービスの時は、この曲だけでは尺が足りなかったので
ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」を継ぎ足しました。
ちなみに新郎新婦入場の時は
映画「ロッキー・ホラー・ショー」のオープニング曲
「Science Fiction Double Feature」でした。
やりたい放題だったよ(笑)。
あ、その頃、式場でよく用意されてたのは
ヴァンゲリスの「炎のランナー」とか
ロッドスチュアートの「セイリング」とかだったですね。
だいたい時代がわかりますね。
シーナ、かっこいいまま逝っちゃって。
ロックなまま逝っちゃった。
夢見るロックンドール。
うち、酒屋なんですけど
訃報を聞いてこのポスターを作り
入口に貼りました。
5分で作ったんで雑だけど許してちょ。
本当に驚きました。
つい数ヶ月前、日本テレビ「秘密のケンミンショー」に
夫婦揃って出演されていたのに。
部屋の隅に放られて~♪…って、「夢見るラグドール」の歌詞じゃないですけど
隅に置いてあるカセットテープのラックから
取り出してみました。シナロケのテープ。
当時、大学生だった私がレコードから録音したテープ。
この頃は、レコードに傷がついたり汚れたりするのがいやで
すべてカセットテープに録音していたのです。
まだパソコンはおろかワープロもなかった時代
タイトル面は「レタリング用転写シート」を使用していました。
一番下のテープに入っているのは
伝説の名盤、と言われたデビューアルバム「#1」と
大ヒット曲「ユー・メイ・ドリーム」がフィーチャーされたセカンドアルバム「真空パック」
真ん中のは、サードアルバム「Channel Good」。「d」が抜けてるのは見逃してちょ。
一番上は、9枚目の「#9」と10枚目の「Happy House」が入ってます。
そしてこちらは
テープ版として販売されたもの。
4枚目のアルバム「ピンナップ・ベイビー・ブルース」です。
当時、超売れっ子コピーライターだった糸井重里氏が作詞に参加
そしてミッキー・カーチスがプロデュースと
非常に話題を呼んだアルバムでした。
私はこのアルバムが大好きで
特にストーンズの「サティスファクション」のカバーは絶品でした。
この曲はいろんな人がカバーしてますが
シナロケのアレンジといったら、もうね、ぶっ飛びました。
この頃、音楽雑誌だった「宝島」誌で
「おまえらの日本のロックアルバムベスト3を教えろ」という企画があり
読者から投稿(ネットのない時代だから郵送ですよ)を募っていたので
私も投稿しました。
・サンハウス「有頂天」
・サディスティックミカバンド「黒船」
・シーナ&ザ・ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」
で、シナロケのとこのコメントには「サティスファクションには参るぞ!」と書いた覚えが(笑)。
もともと私はサンハウスが大好きだったんですよ。
サンハウスについての日記も書いてますので、よろしければこちら→http://star.ap.teacup.com/ladystardust/25.htmlをどうぞ。
デビューアルバム「#1」は、ロックの名盤とされていますが
長いこと廃盤になっていて
「幻の名盤」と言われていました。
今はアマゾンで買えるんですね。
サンハウス時代のブルース色が残っていて
シーナのボーカルはまだ荒削りだけど
ロックンロールの原石って感じのアルバムでした。
宝島誌でも「日本の女性ロックボーカリストの原点がここにある」って評価されてましたね。
シナロケは突然CMに出てくるイメージがあって(笑)、
ぼーっとテレビを観ていて「あれ?今のシナロケ??」ってことが多々起こりました。
何のCMだったか忘れたけど
「海は広いな大きいな~♪」の「海」を歌い踊りながらメンバーが出てきて
「!!!!!」と目玉飛び出しそうになったり(笑)、
「職業選択の自由、アハハン♪」のCMの時は
声だけで「これシーナやん!」とわかったり
ジャノメミシンのCMでは
小学生だった双子の娘さんたちと鮎川誠が出ていて
かっこいいパパとかわいいお嬢ちゃん、という
ほんわかしたイメージでした。
このCM、あんまり流れなくて
スポンサー番組だった「3時のあなた」ぐらいでしか観られなかったんですよ。
いまはYouTubeで観られます。
いい時代になったもんだ。
そういえば80年代
中島らもがメインの大阪ローカル番組「なげやり倶楽部」で
第1回目のゲストがシナロケでした。
いやもう、この番組は…(詳細はウィキペディアでよろしく)。
中島らもと鮎川誠の会話が進まないことといったら(苦笑)。
中島「…………えー、鮎川さんは最近どういう音楽を聴いてるんですか」
鮎川「…………あー、最近ですか…レゲエなんかいいですね」
中島「………そうですか……僕レゲエ嫌いなんですよね……」
しつこいようですが、番組の詳細はウィキペディアで。
終始、鮎川誠の隣でシーナが笑顔をキープしてたのが印象的でした。
「シーナ偉いなあ」と感心してました(笑)。
シーナの訃報を聞いて、いろんな思い出が蘇りました。
私自身の結婚式の時
披露宴でのキャンドルサービスのBGMがこちらでした。
もちろん自分で持ち込み。
当時、披露宴でのBGMは式場で用意された曲を使用するのが普通だったので
BGMすべて自分で持ち込んだ私は
さぞかしめんどくさい客だったと思います。
キャンドルサービスの時は、この曲だけでは尺が足りなかったので
ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」を継ぎ足しました。
ちなみに新郎新婦入場の時は
映画「ロッキー・ホラー・ショー」のオープニング曲
「Science Fiction Double Feature」でした。
やりたい放題だったよ(笑)。
あ、その頃、式場でよく用意されてたのは
ヴァンゲリスの「炎のランナー」とか
ロッドスチュアートの「セイリング」とかだったですね。
だいたい時代がわかりますね。
シーナ、かっこいいまま逝っちゃって。
ロックなまま逝っちゃった。
夢見るロックンドール。
うち、酒屋なんですけど
訃報を聞いてこのポスターを作り
入口に貼りました。
5分で作ったんで雑だけど許してちょ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます