鴨着く島

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真鍋氏にノーベル物理学賞

2021-10-07 09:48:07 | 日本の時事風景
今年のノーベル物理学賞にアメリカ在住の真鍋叔郎さんが選ばれた。

日本人ということだが、国籍はアメリカで、東大で博士号を取った後、向こうの研究機関に招かれてから思索と研究を重ねた業績が評価されたそうだ。

内容は大気中の二酸化炭素の濃度と気温との因果関係をコンピューターによるシミュレーションで解析し、それを定形化したもので、具体的には今日の大きな課題になっている地球温暖化(気温上昇)への「警鐘」につながった。

その基礎的な研究を、アメリカに渡って10年足らずの1967年には成し遂げていたというから驚く。本人も「まさか自分の研究がノーベル賞の対象になるとは」と驚きを隠さない。

ある意味で浮世離れをしたような研究だが、ここ10年くらい、世界中で地球温暖化による災害が頻発するようになったために、喫緊の課題を解決する研究として浮上したのだろう。

御年90歳ということも驚きだ。今度の物理学賞受賞者は他に2名いて、そのうちの一人が89歳と、これまた高齢である。

真鍋氏が生まれたのは愛媛県の四国中央市だが、平成の大合併の前は「新宮村」という小さな村だったそうで、報道によると新宮村の住民でさえ、キツネにつままれたような今度の受賞だったようだ。

それも無理はないだろう。もし真鍋氏が日本に残って研究者となり、どこかの大学の教授にでもなっていれば、毎年、盆と暮れには帰郷をして近所や同窓生などに頻繁に会っていただろうが、1960年頃にアメリカに渡ったきり、ほとんど姿を見せなくなれば、忘れ去られても仕方がない。

1960年というとまだ一般人が渡米するのは難しく、政治家(外交官)やこうした研究者以外はほとんどいなかったはずだ(移民は認められていた)。その頃一般人は、ジャズやロカビリー、映画に「憧れのアメリカ」の幻影を追っているのが関の山だった。

いまでこそ誰もが自由にアメリカに行き、気に入ったらいくつかの条件を満たしたうえでアメリカ国籍を取得する可能になったが、その頃は夢のまた夢だった。まさに隔世の感がある。

真鍋氏がブラウン管に写った時、60年前に渡米し国籍も取得したというには余りにもアメリカナイズされていないので意外に思った。

また大変失礼ながら、グアム島から約30年ぶりに「復命」した小野田寛郎元少尉や、フィリピンのルバング島から戻った横井庄一さんのことを思い浮かべてしまった。

真鍋氏は宝の山のアメリカで研究開発というジャングルに没頭し、小野田氏と横井氏は文字通り本物のジャングルの中で生き延びた。どちらも数十年ぶりに母国に姿を現した。つまり、どちらも「浦島太郎」的なイメージがするのだ。

長いこと行方知らずだったのがひょっこり帰って来たという例では、何と言っても北朝鮮に拉致された蒲池さんたちがいる。

まだ向こうにどれだけの数の「浦島太郎」「浦島花子」がいるのか、健在なのか。

みな帰国して喜びを分かち合える日が来るのだろうか。