昨夜(10月12日夜)は鹿屋市吾平町の振興会館(吾平中央公民館)内の大ホールで、「神話フェス 天孫降臨」をタイトルとした古事記神話関連の公演行事があった。
この公演の主催者は「NPО法人 神代の守り人」で、今年度の鹿児島県が推進するユニークベニュー事業の助成を受けて催された。
開催者挨拶によれば、古事記神話を日本人として身近なものとして学び、ふるさとの活性化にも役立てたいそうで、鹿児島県に所在する天孫降臨および神代の三山陵についても称揚し行きたいーーというものだ。
公演中の写真は撮れないということで、案内パンフレットを掲げた。
一昨日は天孫第一代ニニギノミコトの御陵、可愛山陵のある薩摩川内市で、昨日は鹿児島市で、そして3日目の昨日は天孫三代目のウガヤフキアエズノミコトの御陵、吾平山上陵のある鹿屋市吾平町と、三日連続の公演である。
最初の登場は鹿屋市に本拠を構える「劇団ニライスタジオ」による郷土芸能の披露で、棒踊りから始まってそば切り踊りなど、舞台用にアレンジした大きなパフォーマンスの集団舞踊だった。メリハリのある所作と笑顔が映えていた。
二番目は、鹿児島出身だが東京は浅草に基点を置く「吉福社中」という名の神社神楽を中心に活動している団体で、「隼人神楽」を演じて見せた。団体と言ってもたった二人だけの公演だったが、こっちは衣装が映えていた。隼と獅子舞の獅子という組み合わせの舞なのだが、ハヤブサと獅子とが格別に掛け合っていたわけではないので、やや、首をひねってしまった。
この直後に休憩時間があったので、隼を舞った吉福社中の代表者に「隼人神楽を各地の神社に奉納しているという話だが、隼人の先祖であるホデリノ命を全国で唯一主祭神としている宮崎県の潮嶽神社に奉納したか」と聞くと、「今はまだなんで、いずれ行きたいと思ってます」と答えが返って来た。
自分も見たことはないのだが、潮嶽神社には「潮嶽神楽」というのがあって、春秋の大祭には舞われる、とは4年前だったか、日南の鵜戸神宮方面を史話の会で見学旅行した時に潮嶽神社まで足を延ばし、宮司さんから聞いていた。
吉福社中の「隼人神楽」が全くの創作神楽であるにせよ、本元の神社に奉納したら、それはそれで喜ばれるに違いない。何しろ神様というのは「神楽」が好きなのだ、楽しいのだ。
三番目に登場したのは、うら若き女性シンガーソングライターのYULY(ユリ)で、神代衣装を身にまとい、天孫の王妃となったコノハナサクヤヒメ、トヨタマヒメ、タマヨリヒメそれぞれをヒロイン(?)として歌詞と音曲を作っており、時々解説を加えながら、三曲を伸びやかな歌声で披露した。
パンフレットの紹介文に「沖縄出身の洋楽を歌う父と、歌謡曲好きの鹿児島出身の母のもとに生まれ、ジャズから童謡まで幅広いジャンルを歌う」とあった。活動の本拠地はどこか知らないが、鹿児島は度々訪れているようで、創作した歌詞の中には、金峰町かどこかの、田んぼ一面に広がる黄金の穂波の美しさに感動した経験を取り入れたなどと語っていた。
最後のトリは、この天孫降臨フェスタの中心である「市川森一古事記の天語り」で、演じたのは脚本家の故市川森一氏の妻である柴田美保子氏だ。記憶にはないのだが、パンフレットの紹介によると、1980年から6年半、テレビ朝日の「モーニングショー』でキャスターを勤めていたそうだ。多分、その頃、一度や二度はブラウン管でお目にかかっていると思う。
夫の市川森一氏が残した「日本人らしさが失われていくようだ。古事記を通して歴史と伝統を発信したい」という遺志を継いで、今度のような「古事記神話の語り部活動」に力を入れ、全国を回っているという。小学校などでも公演しているそうである。
舞台の後ろにプロジェクターによる画面を映し出し、そこにフランス人画家のマーク・エステルという人が描いて神社に奉納しているという神話の場面の絵を投影しながら、天孫降臨神話をドラマチックに語った。
ウェブ検索によると昭和23年生まれである。となると御年73歳だが、とてもそうには見えず、50代後半くらいの若々しさに満ちた姿と声だった。
今回の演目は、
<アマテラスオオミカミの天岩戸隠れから始まり、オオミカミの孫のニニギノミコトが高千穂の峰を目当てに、地上の生活に必要な五伴緒(イツトモノヲ)を引き連れて地上に降り、途中で鼻高のサルタヒコに出会い、その道案内で笠沙の岬に到り、コノハナサクヤヒメとの「一夜契り」があった。ところが一夜でニニギの子を身籠ったというヒメに、ニニギノミコトは「この子は国つ神の子だろう、俺の子ではない」と疑い、その疑いを晴らすためにヒメは産屋に火を放ち、その中で無事に3人の男子を産んだ>
というところまでであった。
BGMの音量が少し大き過ぎたきらいはあるが、語りだけで聴衆を惹きつける手法は初めてで、よい体験になった。
もしこれを普通の舞台演劇的にやったとしたら、配役といい舞台セットといい、莫大な資金が必要になるだろう。
昨日の会場は詰めれば1000人入る規模(実際の来場者は300人程度)だが、これならなるほど、小学校の数十人から数百人規模の会場でも十分にやっていけるに違いない。今後の活躍を祈りたい。
なお柴田美保子氏の現在の肩書は「市川森一脚本賞財団理事」ということである。
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この公演の主催者は「NPО法人 神代の守り人」で、今年度の鹿児島県が推進するユニークベニュー事業の助成を受けて催された。
開催者挨拶によれば、古事記神話を日本人として身近なものとして学び、ふるさとの活性化にも役立てたいそうで、鹿児島県に所在する天孫降臨および神代の三山陵についても称揚し行きたいーーというものだ。
公演中の写真は撮れないということで、案内パンフレットを掲げた。
一昨日は天孫第一代ニニギノミコトの御陵、可愛山陵のある薩摩川内市で、昨日は鹿児島市で、そして3日目の昨日は天孫三代目のウガヤフキアエズノミコトの御陵、吾平山上陵のある鹿屋市吾平町と、三日連続の公演である。
最初の登場は鹿屋市に本拠を構える「劇団ニライスタジオ」による郷土芸能の披露で、棒踊りから始まってそば切り踊りなど、舞台用にアレンジした大きなパフォーマンスの集団舞踊だった。メリハリのある所作と笑顔が映えていた。
二番目は、鹿児島出身だが東京は浅草に基点を置く「吉福社中」という名の神社神楽を中心に活動している団体で、「隼人神楽」を演じて見せた。団体と言ってもたった二人だけの公演だったが、こっちは衣装が映えていた。隼と獅子舞の獅子という組み合わせの舞なのだが、ハヤブサと獅子とが格別に掛け合っていたわけではないので、やや、首をひねってしまった。
この直後に休憩時間があったので、隼を舞った吉福社中の代表者に「隼人神楽を各地の神社に奉納しているという話だが、隼人の先祖であるホデリノ命を全国で唯一主祭神としている宮崎県の潮嶽神社に奉納したか」と聞くと、「今はまだなんで、いずれ行きたいと思ってます」と答えが返って来た。
自分も見たことはないのだが、潮嶽神社には「潮嶽神楽」というのがあって、春秋の大祭には舞われる、とは4年前だったか、日南の鵜戸神宮方面を史話の会で見学旅行した時に潮嶽神社まで足を延ばし、宮司さんから聞いていた。
吉福社中の「隼人神楽」が全くの創作神楽であるにせよ、本元の神社に奉納したら、それはそれで喜ばれるに違いない。何しろ神様というのは「神楽」が好きなのだ、楽しいのだ。
三番目に登場したのは、うら若き女性シンガーソングライターのYULY(ユリ)で、神代衣装を身にまとい、天孫の王妃となったコノハナサクヤヒメ、トヨタマヒメ、タマヨリヒメそれぞれをヒロイン(?)として歌詞と音曲を作っており、時々解説を加えながら、三曲を伸びやかな歌声で披露した。
パンフレットの紹介文に「沖縄出身の洋楽を歌う父と、歌謡曲好きの鹿児島出身の母のもとに生まれ、ジャズから童謡まで幅広いジャンルを歌う」とあった。活動の本拠地はどこか知らないが、鹿児島は度々訪れているようで、創作した歌詞の中には、金峰町かどこかの、田んぼ一面に広がる黄金の穂波の美しさに感動した経験を取り入れたなどと語っていた。
最後のトリは、この天孫降臨フェスタの中心である「市川森一古事記の天語り」で、演じたのは脚本家の故市川森一氏の妻である柴田美保子氏だ。記憶にはないのだが、パンフレットの紹介によると、1980年から6年半、テレビ朝日の「モーニングショー』でキャスターを勤めていたそうだ。多分、その頃、一度や二度はブラウン管でお目にかかっていると思う。
夫の市川森一氏が残した「日本人らしさが失われていくようだ。古事記を通して歴史と伝統を発信したい」という遺志を継いで、今度のような「古事記神話の語り部活動」に力を入れ、全国を回っているという。小学校などでも公演しているそうである。
舞台の後ろにプロジェクターによる画面を映し出し、そこにフランス人画家のマーク・エステルという人が描いて神社に奉納しているという神話の場面の絵を投影しながら、天孫降臨神話をドラマチックに語った。
ウェブ検索によると昭和23年生まれである。となると御年73歳だが、とてもそうには見えず、50代後半くらいの若々しさに満ちた姿と声だった。
今回の演目は、
<アマテラスオオミカミの天岩戸隠れから始まり、オオミカミの孫のニニギノミコトが高千穂の峰を目当てに、地上の生活に必要な五伴緒(イツトモノヲ)を引き連れて地上に降り、途中で鼻高のサルタヒコに出会い、その道案内で笠沙の岬に到り、コノハナサクヤヒメとの「一夜契り」があった。ところが一夜でニニギの子を身籠ったというヒメに、ニニギノミコトは「この子は国つ神の子だろう、俺の子ではない」と疑い、その疑いを晴らすためにヒメは産屋に火を放ち、その中で無事に3人の男子を産んだ>
というところまでであった。
BGMの音量が少し大き過ぎたきらいはあるが、語りだけで聴衆を惹きつける手法は初めてで、よい体験になった。
もしこれを普通の舞台演劇的にやったとしたら、配役といい舞台セットといい、莫大な資金が必要になるだろう。
昨日の会場は詰めれば1000人入る規模(実際の来場者は300人程度)だが、これならなるほど、小学校の数十人から数百人規模の会場でも十分にやっていけるに違いない。今後の活躍を祈りたい。
なお柴田美保子氏の現在の肩書は「市川森一脚本賞財団理事」ということである。
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