鴨頭の掲示板

日本史学関係の個人的な備忘録として使用します。

【受贈】 吉田智史「朝鮮通信使接待の財政負担―宝暦通信使の萩藩を事例として―」ほか1本抜刷

2014年05月24日 22時27分57秒 | いち研究者としての日記

吉田智史先生より、標記の論考(『七隈史学』16号、2014年3月)と、併せて私自身が研究ですでに参考にさせていただいている

「朝鮮通信使接待をめぐる西国諸藩の動向―萩藩大坂留守居の活動を中心として―」(『七隈史学』4号、2003年3月)

計2冊の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

前者は、松山藩での幕府公用通行者迎接で藩が地域社会に支給した経費を研究している私の立場からすれば、大いに参考となります。

すなわち、私が研究対象とする平時の幕府公用通行の場合だと考えられないことですが、萩藩(長州藩)における朝鮮通信使迎接の場合だと、藩の特別会計のみならず地域社会の公金まで巻き込むほど大きな経済的負担があり、大雑把にいえば藩のなかで会計面のやりくりをしながら幕藩体制を支えていた(ただし、通信使通行と関係しない行政区域の会計との関わりは今後の課題)、という実相を提起されています。

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【受贈】 中島三佳『東海道枚方宿と淀川』(自費出版、印刷:ダイコロ株式会社、2003年6月)

2014年05月24日 22時19分04秒 | いち研究者としての日記

中島三佳(かずよし)先生より、標記単著の完成本を贈っていただきました。ありがとうございます。

長らく近世東海道枚方宿(ひらかた、現大阪府)および淀川に関する史料の研究に努められた中島先生が、旧河内国域の冠婚葬祭を包含した風俗習慣を考えつつ、2003年までの成果を一冊の書にまとめられたものです。

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【受贈】 藤田達生《時評》「教職大学院と教員養成制度の将来」(『日本史研究』617号、2014年1月)

2014年05月24日 22時08分07秒 | いち研究者としての日記

藤田達生先生より、標記《時評》文の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

所属される三重大学大学院教育学研究科という組織の見解ではなく、個人の見解として、政権政党が構想した「教職大学院」「教師大学院」の問題を切り口に、わが国の教育行政が有する根本的問題を鋭く指摘されています。

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【受贈】 中島三佳「紀伊徳川家の参覲交代―東海道枚方宿の人馬継立と宿泊を中心に―」ほか論考4本

2014年05月24日 21時39分57秒 | いち研究者としての日記

長らく東海道枚方宿(ひらかた、現大阪府)の宿駅史料を研究されてきた中島三佳(かずよし)先生より、標記論考(『交通史研究』40号、1997年11月)のほか、

・「東海道枚方宿の『片宿』について―京街道・山崎道・淀川舟運の競合―」(『交通史研究』32号、1994年4月)

・「文政五年の勅使・院使の人馬賃銭不払いについて―院使日野資愛卿と東海道枚方宿の豪農中島家の動向―」(『地方史研究』237号、1992年6月)

・《研究ノート》「東海道五十三次(宿)への問題提起―中学校社会(歴史的分野)教科書の『五街道』記載の相違点―」(『交通史研究』28号、1992年4月)

・「文政十三年のお蔭踊りについて―東海道枚方宿を中心に―」(『地方史研究』168号、1980年12月)

 

4本、計5冊の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

一連の論考を読みとおしてみると、枚方宿を、近世交通体系のなかで位置づけなおす提起から、公用通行をめぐる情報ネットワークのなかで位置づけていく提起へと、時期ごとの研究ブームに合わせながら研究を深化させた軌跡がよくわかります。

 ※ちなみに、標記論考の題目にある「参覲交代」は「参勤交代」と同音同義です。

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【受贈】 藤田達生『天下統一―信長と秀吉が成し遂げた「革命」―(中公新書2265)』

2014年05月24日 21時23分30秒 | いち研究者としての日記

三重大学大学院教育学研究科長の藤田達生先生より、標記新書(中央公論新社、2014年4月)の完成本を贈っていただきました。ありがとうございます。

最新の研究成果を踏まえつつ世界史的視点から、織田信長・豊臣秀吉が成し遂げた天下統一について集権化や実力主義を推進した「革命」だと評価するとともに、戦国日本を捉え直されています。

藤田先生は、私が現在、非常勤講師を務める新居浜工業高等専門学校が所在する愛媛県新居浜市のご出身で、戦国時代の瀬戸内の海賊大名についても研究されています。

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【受贈】 東昇「近世石清水八幡宮の神人文書と文書認識―分散管理と情報共有の視点から―」

2014年05月24日 21時10分18秒 | いち研究者としての日記

東昇先生より、編著書(国文学研究資料館編『アーカイブズの構造認識と編成記述』、思文閣出版、2014年3月)収録の標記論考の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

近世の石清水八幡宮文書について、東先生のご専門である史料管理学・情報史論の視点から検討を試み、その結果、当該文書には朱印状と補任状の両方または一方を含んでおり、いずれも株と化し移動していきながら身分も変化させていく特徴があることを述べられています。

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【受贈】 東昇『対馬・宗家と安徳天皇陵―「宗家文庫」の新史料―(交隣舎ブックレット№1)』

2014年05月24日 12時57分08秒 | いち研究者としての日記

東昇先生より、標記の《単著》完成本(交隣舎出版企画、2014年4月、総ページ数76)を贈っていただきました。ありがとうございます。

現在山口県下関市の赤間神宮内にその陵がある安徳天皇と、対馬(現長崎県)の宗家との関係について、歴史の虚実の検証ではなく、宗家の始祖が家や対馬のなかでどのように認識されてきたのかを実証されています。

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【受贈】 東昇「近世後期庄屋日記にみる地域情報の収集・伝達―肥後国天草郡上田家と船頭情報―」

2014年05月24日 12時42分30秒 | いち研究者としての日記

東昇先生より、標記論考(『京都府立大学学術報告』人文 第65号、2013年12月)の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

近世後半期の肥後国天草郡(現熊本県天草市)をめぐるさまざまな情報伝達の様相を、地元の古文書史料を用いつつ検討されています。

そのなかで、特に異国船来航情報に関する説明は、私の研究テーマとも共通しており、今後、研究を深化させていくうえで重要な参考文献の1つになります。

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【受贈】 三宅紹宣「長州藩元治の内戦の研究」(『山口県史研究』22号、2014年3月)

2014年05月24日 12時31分08秒 | いち研究者としての日記

広島大学大学院教育学研究科教授の三宅紹宣先生より、標記論考の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

元治年間(1864~65)に長州藩領内で起こった内戦について、それまでの議論を整理したうえで、可能な限り一次史料を用いつつ実証されています。

なお、三宅先生からは、昨年度に《単著》『幕長戦争(日本歴史叢書69)』(吉川弘文館、2013年3月)も受贈しておりました。併せて、厚くお礼申しあげます。

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【受贈】 玉井建也「『文部省往復』からみる明治初期の『大学』成立過程」

2014年05月24日 12時16分22秒 | いち研究者としての日記

玉井建也さんより、標記論考(『東京大学史紀要』32号、2014年3月)の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

明治初期、昌平坂学問所から開成学校へ移るまでのあいだに位置する「大学校」の1つ南校などと文部省とのあいだで交わされた公文書を収録する簿冊「文部省往復」の史料的価値を解説するとともに、当時における、学校組織の成立に向けた環境整備の中身を考察されています。

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【受贈】 玉井建也「近世日本における漂着民送還と瀬戸内海」

2014年05月24日 11時33分57秒 | いち研究者としての日記

平成26年度から東北芸術工科大学(山形県)芸術学部文芸学科の専任講師に就任されている玉井建也さんより、標記論考(『共立女子大学文芸学部紀要』第60集、2014年1月)の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

標記の研究テーマについては、私が漂着異国人移送経路上の地域社会をめぐる廻状や経費に着目したのに対し、玉井さんは、「御仕構」(「おしかまい」と読む)という移送団を迎接する態勢(体制)に着目して、近世瀬戸内海の様相を考察されています。

 

なお、標記の論考は、PDFファイル化されたものがネット上で無料閲覧できます。

↓↓↓

https://kyoritsu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2996&item_no=1&page_id=28&block_id=27

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【受贈】 下向井紀彦「寛政年間における三井越後屋の木綿仕入状況とその特質」

2014年05月24日 11時16分47秒 | いち研究者としての日記

下向井紀彦さんより、標記論考(『三井文庫論叢』47号、2013年12月)の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

天明年間(1780年代)につき考察した前稿の続き的なものとして、藩の専売制が強化される19世紀に入る前である寛政年間(1790年代)の、三井越後屋京本店による伯州(現鳥取県)木綿仕入の動向を、江戸・大坂の営業店や他店・在地商人との関わりを踏まえつつ考察されています。

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【受贈】 下向井紀彦「天明年間における三井越後屋の伯州木綿仕入活動」

2014年05月24日 11時03分02秒 | いち研究者としての日記

約1年前、平成25年のことですが、下向井紀彦さんより、標記論考(『三井文庫論叢』46号、2012年12月)の抜刷を贈っていただいておりました。ありがとうございます。

論考は、天明年間(1780年代)に三井越後屋という大商家が、鳥取藩の大坂為替送金を請け負うなどで、伯州(現鳥取県)木綿の新規直仕入体制を構築した経緯を述べられています。

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【受贈】 澤井廣次《書評》「津田秀夫『近世民衆運動の研究』」(『日本史研究』616号、2013年12月)

2014年05月24日 10時55分06秒 | いち研究者としての日記

天理大学附属天理図書館に勤務されている澤井廣次さんより、標記《書評》の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

単に標記の著書を批評するだけのものではなく、近世民衆運動史に関する研究動向もわかりやすく解説されており、研究史および今後の展望を学ぶうえで勉強になります。

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【受贈】 内田鉄平「萩藩における石炭採掘と有帆(ありほ)村」ほか《単著》1冊

2014年05月24日 10時42分35秒 | いち研究者としての日記

内田鉄平さんより、標記論考(『ゆけむり史学』8号、2014年3月)の抜刷を贈っていただきました。ありがとうございます。

近世中期以降、塩田の燃料として石炭の商品価値が見いだされたのち、支配領主である萩藩(長州藩)と採掘地域の社会とが、石炭をめぐり江戸幕末期まで、それぞれどのような歩みをたどったのかを整理されています。

なお『ゆけむり史学』という学術雑誌は、別府大学大学院文学研究科歴史学専攻院生研究報告会の成果論集という位置づけのようです。

 

また、内田さんからは、約2年前に《単著》『近世村社会の変容―微視(ミクロ)の村落史―』(日本経済評論社、2012年7月)を贈っていただいております。

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