研究会をつうじ個人的にお世話となっていた荻慎一郎先生が、今年2月22日に亡くなられていることを知りました。
荻先生とは、平成18年(2006)6月に高知大学で開催された『中国四国歴史学地理学協会 高知大会』日本史学際総合部会Ⅰ―文献・考古・文化財―で初めてお会いしました。2010年代に入ってからは、毎年年賀状を交換していただくなど私のことも気遣ってくれておりました。今年の場合は、私の方が喪中の立場であるゆえ、新年のご挨拶を慎んでおりました。それだけに、大変驚いております。
研究会をつうじ個人的にお世話となっていた荻慎一郎先生が、今年2月22日に亡くなられていることを知りました。
荻先生とは、平成18年(2006)6月に高知大学で開催された『中国四国歴史学地理学協会 高知大会』日本史学際総合部会Ⅰ―文献・考古・文化財―で初めてお会いしました。2010年代に入ってからは、毎年年賀状を交換していただくなど私のことも気遣ってくれておりました。今年の場合は、私の方が喪中の立場であるゆえ、新年のご挨拶を慎んでおりました。それだけに、大変驚いております。
同じく倉恒康一さんより、島根古代文化センター『古代文化研究』第26号に掲載された標記論文の抜刷を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
この論文は、戦国時代尼子氏の研究の一環として、石見国人福屋氏の末裔を名乗り、江戸時代には徳島藩蜂須賀家に仕えた「徳島福屋氏」が明治初年まで伝えていた、尼子氏旧臣立原久綱などに関する史料を翻刻しつつ紹介するものです。
広島大学の大学院生時代にお世話となった倉恒康一さんより標記論文の抜刷を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
この論文は、収録書名であるテーマの一環として、戦国期の石見国西部で主要港の1つに位置づけられる現島根県の浜田を、16世紀の史料を読解しつつ近隣の港と比較しながら検討されました。そして、天文10年代(1541~1550)に大内氏の勢力が浜田に入ったことをポイントにされています。
標記の論説を掲載する中国四国歴史学地理学協会『年報』第14号が完成して発行されました。
この論説は、山口県県史編さん室『山口県史研究』第26号(同じ月に発行)に掲載された《修史研究》「山口県内における自治体史誌とモータリゼーション時代の公共交通」の続編であって、そこからの発展研究を説明するものです。
学界では近年、全国的には1980年代の半ばに峠を越えた自治体史誌編さん事業の歴史を批評しようとした、いわゆる「自治体史誌論」が提起されるようになっています。平成30年(2018)1月発行の日本歴史学会『日本歴史』第836号では、その事業史をテーマにする《特集》「自治体史を使いこなす」が組まれました。そうした動向に対してこの論説は、かかる歴史を先行研究からさらにわかりやすく批評できる方法論を試しに提示するものです。具体的には、陸・海・空すべての公共交通機関を有し、しかもそれらが競合関係にある瀬戸内5県(岡山・広島・山口・香川・愛媛県)をフィールド、自治体史誌の編さん事業と変容の時期をほぼ同じにする公共交通を分析対象と定めたうえで、公共交通の動向が史誌でいかに書かれたのか、分析結果を一覧表に整理してみました。この表をとおし、かかる歴史について県ごとの特徴を明らかにするとともに、将来的な課題点を見出すこともできたのです。
変則的な手法の研究ゆえ論文を量産できるようなテーマではないだけに、対象5県の基礎データのすべてを掲示しておきたかった……が本心ですが、今回の論説では紙幅のルールによって、基礎データを要約しスペースを圧縮した表を掲示しています。しかし、せっかく整理した基礎データだから、将来どこかの機会で公表したいと考えております。