芸備地方史研究会に寄稿していた標記の記事を掲載する『芸備地方史研究』第318号が完成し発行されました。
江戸時代瀬戸内の海上交通史で遊女といえば、多くの方がおそらく、大崎下島(安芸国広島藩領、現広島県呉市)の御手洗を連想されるでしょう。ただ、彼女らの墓についてはその島嶼ばかりでなく、その東隣で当時から行政区域の異なる岡村島(当時、伊予国松山藩領。現愛媛県今治市)にも建てられていたのです。そこで、後者の墓を現地取材した成果を、簡潔な作文で記述してみました。
私自身、広島県と愛媛県の往来では通常、しまなみ海道を走行するのですけど、気分転換でたまに「安芸灘とびしま海道」を通ったりもします。トータルの通行料金は後者のほうが高いのですけど……岡村島関前に関前食堂というお店が近年オープンしたため、ここで昼ご飯をいただくとき通るようにしました。https://tabelog.com/ehime/A3802/A380201/38013742/
今回執筆した記事も、実は、関前食堂へ寄るついでに取材した成果なのです。