標記の記事を掲載する芸備地方史研究会『芸備地方史研究』第315・316合併号が完成して発行されました。本四架橋のきっかけとなった海難事故といえば、昭和30年(1955)5月11日における宇高連絡船「紫雲丸事故」が著名ですけど、ほかにもきっかけに位置づけられよう事故は複数ありました。標記の記事は、その1つを取材した成果を簡潔にまとめたものです。
昭和20年(1945)11月6日、芸予諸島域伯方島の木浦沖で、今治行き民間連絡船の第十東予丸が転覆して沈没しました。乗客のほとんどが愛媛県を故郷とする復員軍人だったことから、これまでは、愛媛県における終戦悲話の1つとして語られてきた感が大きいです。しかしながら、この事故は広島県にも関係しました。
そこで、広島県で交通史を学ぶ人たちへの紹介を念頭に置きつつ、この事故の慰霊塔をめぐる概要を述べてみたのです。