今治市村上水軍博物館学芸員の大上幹広さんより、標記のパンフレット型資料集(全16頁)を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
江戸時代の中期に描かれたという最古の海城分布図「伊予国嶋々古城之図」を掲げたうえで、瀬戸内海芸予諸島域に存在した村上海賊の主要な城を1つずつわかりやすく解説してあります。
今治市村上水軍博物館学芸員の大上幹広さんより、標記のパンフレット型資料集(全16頁)を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
江戸時代の中期に描かれたという最古の海城分布図「伊予国嶋々古城之図」を掲げたうえで、瀬戸内海芸予諸島域に存在した村上海賊の主要な城を1つずつわかりやすく解説してあります。
今治市村上水軍博物館学芸員の大上幹広さんより、標記の論考を収録する完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
能島村上氏は、豊臣秀吉が天正16年(1588)に発した海賊停止令で海賊衆としての活動から撤退せざるをえなくなり、江戸時代に入ると、現在の山口県大島郡周防大島町へ移住し代々船手組の一員として萩藩の海事を支えました。平成28年(2016)、現在の能島村上氏(一学家)当主の家を訪問して、約600点もの近世・近代古文書を新たに確認しました。村上水軍博物館では、この新出文書を「新出村上家文書」と名づけ、随時、速報的に文書を公開しています。この論考では、調査・整理を担う立場から、平成29年(2017)のうちに明らかとした新出文書の概要を述べております。
なお、こうした動きについて、実は私も近い将来、紹介記事的な小論文を発表することとなっています。ただ、投稿したのは大上さんの論考が発表される前だったため、この論考で説明された諸事実を、さも不明なままなように書いている箇所があります。その点ご了承いただきますよう、あらかじめ申し添えておきます。
広島市公文書館歴史資料専門員の濱保仁志さんより、標記の紹介文と《展示報告》「旧広島市民球場開場六〇年記念展示 文書と写真でたどる旧広島市民球場」とを収録する私製の抜刷を1点、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
《資料紹介》のほうは、プロ野球の広島東洋カープの創設期に関わった人たちの資料について、重要なものを翻刻しながら丁寧に解説してあります。カープ球団が黎明期、経済的に困窮したこと自体は「たる募金」などのキーワードをつうじて有名ですが、この紹介文から、地方行政機関との折衝も絡む苦労のより具体的な姿にせまることができます。
広島大学名誉教授の三宅紹宣先生より、標記の単著(一般社団法人 萩ものがたり、全78頁、本体667円+税)を1冊、私にも贈っていただきました。ありがとうございます。
長州藩の、19世紀初期から明治時代初めの廃藩置県までを対象にしつつ、国際環境や民衆の動きに着目しながら、独立を保つ近代国家をいかに作ったのかを説明しています。三宅先生のこれまでの学界誌等における研究発表の成果を、一般の歴史ファンにもわかりやすいよう1冊の書にまとめ直したものと言えましょう。
標記の小論文を掲載する山口県県史編さん室『山口県史研究』第26号(2018年3月)が完成し、自宅にも届けられました。
《修史研究》という論文種別は学界でも珍しいですが、掲載誌の投稿要領によれば「県史・市町村史・地域史などの比較研究をはじめ、編さん方法や資料処理についての研究など」と、定めてあります。その珍しさゆえ投稿者が少ないようであり、バックナンバーを確認すると、平成8年(1996)3月発行第4号の青山忠正《修史研究》「『奇兵隊日記』原本の伝存状況」から21年間も掲載のない状況が続いていました。しかし、せっかく設けられた論文種別がこのままなくなってしまうのはもったいないと考え、1つ投稿してみたわけです。22年ぶりに《修史研究》が掲載されました。
本稿の内容は、1960年代~モータリゼーション(車社会化)時代の公共交通史が残した教訓を、山口県内の自治体史誌編さん事業史を素材にしつつ見通していくための、基礎的な資料整理の成果を示すものです。山口県内で発行された史誌の現代通史編をすべて読み、そのなかからモータリゼーション・公共交通に関する記述を拾いあげ、取りあげ方の傾向を一覧表に整理してみました。こうして、かかる研究の課題点と展望を示しています。