ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

ところてんとは〝こころぶと〟だよ!

2019年07月22日 | 俳句

 土曜日は句会、日曜日は先日のみんなの吟行句の選句・選評と自分の作句、その他諸々…で、ブログどころではありませんでした。雨は容赦なく降ったり止んだり…。でも、いいこともありました。あれほど負け続けていたカープが巨人に三連勝、それも見事な逆転勝ちと…主人共々大喜び!試合中は目が離せませんので、いろいろなことがストップですもの。ブログに手が回りませんでした。ゴメンナサイ!

 さて、今日も俳句教室。ここはだんだん人が減って…とうとう私を含めて6人になってしまいました。この先どうなるのでしょう。でも、参加されている人はみんな熱心ですから、私からどうのこうのとは言えません。まあ成り行きに任せるしかないでしょうね。

 兼題は〝心太〟でした。こう書いて「ところてん」で、夏の季語。

 私も最初はなぜ?と思いましたから、やはり同じ気持ちの人がいたんですよ。〈心太文字に惹かれて辞書を見る〉という句が出ましたから。この句はこのままでは季語の〈心太〉が気になります。現実に心太があるのか、それとも字だけを言うために用いられたのかがハッキリしませんから。そのため散文的になって印象も薄くなります。そこで〈心太食べつつ辞書を引きにけり〉とかすると韻文の力がでて、作者の心太を啜っている姿も辞書を引いている姿もしっかり見えてきます。また、言わなくても〝心太〟を辞書で引いていると言うことも想像するのに難くないでしょう。

 ではなぜ〝ところてん〟のことを「心太」と書くのでしょうか。

 そもそもところてんは、日本独特の海藻製品で、奈良時代から食用されていたことが正倉院の宝物中に記録されているそうです。そのところてんの原料の天草が、古く平安時代には「心太」の字を当てて「こころふと」と言われていて、これから作ったところてんも最初は〝こころふと〟であったんですが、それが室町時代に「こころてい」と読まれるようになり、更に「こころてん」→「ところてん」に転訛したものであろうと言われています。そのため文字は昔のままの「心太」が使われて、読むのはところてんと言っているのです。

 今回の最高得点は〈ところてん煙のごとく沈みをり〉で、殆どの人が採っていましたね。もちろん有名な句なんですが、みんな知らなかったんですって。そこで日野草城の句ですよと言うと、〝私たち見る目があるよね~〟ですって。マイッタ!

 この句については、山口誓子が次のように語っています。

 草城の句では寒天がまだ水の中に冷やしてあるときのところてんですね。ところてんは透明ですけれども少し曇ったところがありますね。水の中に寒天が冷やしてありますと、曇りだけが見えるんでしょうね。ところてんそのものが見えないで、曇りだけが見えるんでしょうが、その曇りをですね草城は「煙のごとく」と、曇りを煙と感じたんですね。「ところてん煙のごとく沈みをり」と。
 水の中に煙があるなんてことはあるはずはありませんけれども、水の中に寒天が煙のごとく沈んでると、こういわれますとね、読む人にも煙が見えてきます。水の中に煙が見えてくるわけですね。そして、それがところてんの曇りであるということも分かってくるわけですね。この「煙のごとく」というたとえが、ところてんに即して、如実な表現になっているわけですね。
 俳句ではこういうたとえ、比喩が、非常に大事なことです。比喩がすばらしいといい句になるわけですね。ところてんの句でも「煙のごとく」という比喩が、非常にすばらしいですから、この句が非常にいい句になったわけですね。私が三高時代にこの句を見て非常に喜びましたが、いま見ても非常にいい句だと思って鑑賞しました。
 
 写真は、買って来た〝ところてん〟。我が家には、何か一品欲しいときや小腹が空いたときに食べられるように夏はいつでも冷蔵庫に用意しています。でも今日〈蜜添へてベッドの母に心太〉という句がありましたので、作者に〝葛のように甘くして食べるの?〟と聞くと、〝そう、黒蜜がいいですよ〟と。へエッ!まだ甘いのは食べたことがありませんので、今度試してみようかしら。そうするとこれはデザートになりますね。
 
 
 
 
コメント (2)
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